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Accept 〜私を認める。ということ(前編)


こんばんわ、Karo.です。


あっという間に夏至を越してしまい、昨日は満月でした。6月の満月はストロベリームーンと言うそうで、これはアメリカ先住民の風習に由来するもので、月の色などは関係ないそうです。ウィキペディアによると、アメリカ合衆国・五大湖の西側に暮らすオジブワ族が、農耕や狩猟が困難な森林地帯を生活の場とし、野生の木の実や種子を採集する暮らしを送ってきたことから、その時に採集できるものを月の呼び名としてきた。ということらしいです。6月はイチゴの収穫期だから、ストロベリームーンなのですね。

こういう話、大好きです。


さて、これまであまり、コロナやワクチンについて、記事では触れなかったのですが、オリンピックを前に大規模なワクチン接種が始まって、ワクチン接種券なるものが送られてきているとか?で(うちにはきていませんが)、ずいぶん身近に迫ってきた感じです。

ここで改めて、まだ私が越えられていない課題に気づかされた体験をしたので、今日はそのことについて描きたいと思います。


それにしても、コロナって本当にすごい。ちょっとしつこいけど(笑)。


ジャッジメントのトラップ

発端は、先日Twitterで友人たちと話をしていたら、みんながワクチンを打つ前提で話していて、もうすでに1回目を打った友人もいて、さらにはコロナへの恐れが依然として高いことに、びっくりしてしまったのです。

確か数ヶ月前には高橋徳先生の動画もシェアしたりしていたし、コロナはそんなに怖いウィルスではないことを伝えたりもしていたので、そのあとしばらくはコロナについての話題にはならなかったのですが、久しぶりに蓋を開けたらインドの変異株(デルタ株?)が怖いとか、オリンピック前にはなんとか接種したいとかっていう話をしていて...日々のテレビっていうのはすごいんだな。と改めて思いましたし、ちょっと愕然としました。

私の伝え方が悪かったのか。情報の発端を話せば、自ら調べてくれるだろうと思っていたのが甘かったのかも。もっと詳しく話すべきだったのか。などなど、見ていていろいろと考えていました。

そして、やはり人は恐れの中に長くいて、その恐れが差し迫った時には、そこから抜けられる手取り早い方法を選んで、とにかくそこから抜けたいのだ。とも、思いました。それは自分も同じだと思うのです。

だから、やっぱり、一番こわいのは「恐れ」なのだと思いました。

なので、みんなにもとりえず、「恐れ」から何かを選択しないで、冷静になってほしいと思いました。



でも、です。


じゃあワクチンを打たないと決めているこの私は、冷静なのか?

何も恐れていないのか?と考えました。


コロナに関しては恐れていません。なので、多少冷静かも...。

ですが、ワクチンに関しては「恐い」と思っています。だから自分も打つのは嫌ですし、できれば家族や友人にも打って欲しくないと思っています。

じゃあ、ワクチンに関して、私が正しいと思っている情報は、すべてが本当に正しいのだろうか?そう考えた時、

ああ、そうだった!正しいとか間違っているとかはないんだった!と思い出しました。やれやれ...。

このジャッジメントのトラップ、もう何度も繰り返しています。


そういえば昨年も、こんなことを書いていました。


これは「私が見ている(創っている)世界」なのです。

私が今見ている世界、つまり今、私が頑なに信じていることは、ウイルスは敵ではないし、ワクチンは身体に入れると危険な毒物。ということ。

それは、私の中で疑いようのない「真実」に見えています。でも、どんなに疑いようがない、と思っても、やっぱり「真実ではない」のです。だって「外側に真実はない」のですから。

ぶっちゃけ妄想です、妄想....。(苦笑)

って、それでは身も蓋もないので、じゃあこの「私が信じているこのこと」自体は、いったい何なのか?というと、それは「これが今の私を表す周波数であり、今の私という色」であり、「私が私という存在を確認するための道具のようなもの」なのだと思いました。

つまり、私は私を観ることはできないので、この「私が信じていること」を外に向かって表現する。それがどこかに反射して返ってくる。その返ってきた「響き」を私が感じる。そうすることで、はじめて私が私自身の存在を知ったり感じたりする。のだと。



クリスタルボウルからのメッセージ

ちょっと話が変わりますが、クリスタルボウルをはじめて、最近はセッション中にボウルからメッセージを受け取ったりするようになりました。

それは映像だったり言葉だったり、その時によって違いますが、その人に今、必要なメッセージをボウルから受け取っているような感じです。内容自体は私には意味不明な時が多いのですが(苦笑)。

そして、自分で奏でている時にも、時折、メッセージをもらうことがあります。先日、6月15日にも、2つのボウルからそれぞれ、メッセージを受け取ったのですが、そのうちのひとつはこんな内容でした。

対話:
意見の違う人と対話しなさい。それを受け入れなさい。
許す。許可をする。
そうすることで自分を許可できる。
いくつもの層に重なったレイヤーを、許可をして剥がしていくこと。
その人の意見を聞いて自分が「どう感じるのか?」に注視しなさい。

それ以前、ちょうど先月の今頃だったのですが、Accept(受け入れる)という言葉が降りてきて、そのまましばらく気になっていましたが、なんとなく、この「許可をする」というメッセージとも繋がっているような気がしました。


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そして話を戻しますが、先の友人たちとのTwitterでワクチンをいつ打つかという話をしている中、私はどういう意見をコメントしたらいいのか...。悩みました。いや、もうコメントするべきではないかもしれない。などなど、しばしiPhoneを見つめたまま、このクリスタルボウルからのメッセージのことをふと思い出していました。

「意見の違う人と話しなさい...。」かぁ。

そうして、ずいぶん悩んだあと、今回のワクチンはこれまでとは違うワクチンなので、危険だということ。副反応はこの先何年もあるかもしれないこと、自己免疫疾患に罹るとも言われているので、急いで打たないで、自分でたくさん調べて情報を見てから判断してほしい。また卵巣に溜まると言われているし、男子も不妊になるとも言われているから子供には打たないでほしい。とコメントをしました。

「私が信じていること」を、一旦、外に向かって表現したのです。

もうワクチンを接種した友人もいる中、このコメントをすることがいいのかどうかわからない。多分嫌な思いをさせると思う...。でもメッセージに従って、自分の意見を伝えてみよう。と思ったのです。

そうしたら、「子供には打ちたくない。打つ前にちゃんと調べて考えてみる。」という反応も返ってきて、少し安心しました。

そして、すでに1回目ワクチンを接種した友人にはこのコメントを入れた後に直接LINEで話をしました。

友人は「仕事で移動が多いし、最近は街に人が多くてこわすぎる。病院に定期検診に行ったら棚ボタですぐワクチンを打てるというので打ったんだよー。」と。私は友人の仕事や家庭や本人の様々な背景を知っていますし、すべてを併せて考えたとき、いや、考える間もなく「ああ、今、私の正しさとか、信じていることとか、どうでも良いな。」とココロが感じました。

自分が今信じていることとは違っているけれど、でもこの目の前を丸ごと全部受け入れよう。って思いました。そうして、そもそも強運の持ち主である友人に「あなたはいつも守られているから大丈夫だよ。棚ボタはむしろラッキーなのかも」と、その瞬間感じた本心から言葉を伝えたら、なんだか胸のあたりがあたたかくなりました。

身近な人に、私が信じていることやワクチンの危険性を伝えている瞬間には私は、このあたたかさは感じないのです。私の話を聞いてくれて「打つ前にちゃんと調べて考えてみる」と受け入れてもらった時に、ああ良かった!とも思うけれど、その感じとは全然違うのです。


あたたかくなる、 この感じ。


これは自分に嘘をついたのでもなく、相手の考えを受け入れたのでもなく、実は私は私の世界にひとつの「許可」を出したんだな。と気がつきました。


ああ、そうか、起きている現象も、考えも、本当の本当のところは、実はどうでもよくて、私たちはこの「あたたかい感じ」をいつも交換できてさえいれば、それで良いのではないか?と。



いくつもの層に重なったレイヤーを、許可をして剥がしていくこと。
その人の意見を聞いて自分が「どう感じるのか?」に注視しなさい。

なるほど...。改めてクリスタルボウルからのメッセージ、深いです(笑)。


(多分つづく)

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