3月のデトックス体験記 〜2.私は川であり水である(おまけ:夢の話)
こんばんわ、Kaloです。
この記事はこちらの続きです。
お墓のこと
春分の日の前日は、こちらの記事でも書きましたが、母に付き添って兄の家へお彼岸のお参りに行っていました。
そしてこの日、母と別れた後にひとり電車に乗っていて、ふと兄のお墓のことが思い浮かびました。「そろそろお墓をつくらないと」と。
ちなみに、私は自分自身が死んだら骨は地球にかえしてほしいと思っているタイプなので、お墓自体にもともと興味がないんですよね。
昨年、天逝した兄のお骨は義姉がまだ自宅に置いていて、それについて特に何も思わなかったし、母が会いに行きたい時には兄の家に行けばいいし。
と思っていたのに、なぜか不思議と、そろそろお墓に入れてあげたほうがいい。って思ったんです。なので、帰宅してすぐに義姉にお礼のLINEと一緒に、「そろそろお墓のことも検討してね。」と書きました。
もう、これ、まるで自分じゃないって感じです。
そして後日、母にも、兄のお墓のことについて義姉にそう伝えたよ。と電話で話して、母はずいぶん前から気になっていたみたいで、ひとしきり、お墓をどうするか話になりました。
もともと父も兄も長男で、兄にいたっては他の従姉妹たち全員女で、唯一の男子が兄という状況で、言ってみたら家を継ぐただひとりみたいな存在。
本家のお墓は両親ともに富山出身なので、富山に、墓標に長男である父の名が刻まれた先祖代々のお墓があります。が、兄弟の中で父は唯一東京に出てきているし、今更富山のお墓に入りたくないと言い、かと言ってどうするのか全く考えていない時に兄が先に亡くなったので、そのへんどうするの?的な話で、そこも含めて、母はどうしたいのか?を聞いて。
さらに言えば、富山にある本家のお墓には既に亡くなった父の兄弟が入っていて、まぁ、父の兄弟はみんな富山に住んでいるから、そこに入ってもらって墓守りをしてもらえたら、それはそれで感謝だね。ということになって、そういう一つ一つのことを母と話し、義姉とそのあとにまた「ぶっちゃけお墓はどうしたいのか?」を聞いて話し、と、母も義姉もお互いに少し気を遣っていて本音を言えなかったりしていたことを聞き出して繋いでいくようなことをしながら、そして先祖代々のお墓のことも全く知らないスタンスでいたので、そんなことを母に聞きながら、ああ、これは兄というよりご先祖がそうして整理してね。と言っているように感じました。
よくわからんけど(笑)。
猫の命日のお墓参り
そんなことをしていて、3月24日は、うちの18歳白猫の最愛の兄弟、源次郎の命日でした。
ちなみに、その日の朝、今年もアメスピからひまわりとカードが届いて毎年本当にうれしいです。
そして、実はひまわりは兄が好きだった花らしく、生前、夏になるとよくひまわりを1本だけ家に買って帰ってきていた。と義姉が話していたのを、届いたひまわりを見ながら思い出していました。
些細なことがシンクロして重なります。
そしてこの日は源次郎のお墓参りに行こうと決めていました。
富山の先祖代々のお墓にはまったくお参りできていないのだけれど、猫のお墓にはまめに行っている私。(笑)
もう天に帰った存在をあまりこちらに呼び出さないほうがいい(むこうとしては迷惑だから)。という考え方もあるようなので、一時期はお墓参りもやめようかな?と思っていました。源次郎は亡くなってもう10年以上経つし。
でも逆に時の流れとともに普段、思い出すことがほとんどなくなってくるので、そういう意味では、お彼岸やお墓っていう日本の風習に乗っかって年に一回あちらの世界へ想いを馳せることも、いいのかもしれません。
それに、お墓参りで先祖代々に思いを馳せることや感謝を伝えることは、やっぱり愛につながるのだろうと。
母と電話でお墓のことを話したこともあって、この歳になって初めてそんなことを感じ、その日の朝の瞑想では、初めて先祖代々のみなさまに感謝の気持ちを伝えました。
ちょっとは大人になったのかも(年齢的には充分すぎる大人ですけれども(笑)。
私たちは「川」そのもの
そういえば、話がちょっと飛びますが、3月21日の春分の日の瞑想で、大いなる川が出てきたことを書きました。
24日、源次郎のお墓参りに行き、そのお墓の近くに流れている川を撮ってインスタにアップしたのですが、この時には春分の日に瞑想で見た大いなる川のことは全く忘れていました。が、よく考えたら川繋がり。
関係があったのでしょうね。
そしてこの動画をアップする際に、川を観ていたら、人によって、その時によって、目に映るものが違う。と、ふと思ったんです。
私たちは、この川をぱっと見た時に、同時に全部は見ていなくて、自分が気になるどこかに焦点を合わせて見ているんですよね。
私は川面に浮かぶ花びらでした。川面に桜の花びらたくさん浮かんでいたのがキレイで、それを見て撮ったので。
でも何度も見ていると
川の表面には、空に浮かぶ雲が映り込んでいる。
川の上では桜の花びらがゆっくりと流れに乗って動いていて。
川自体はそこにある大きな石にぶつかったりしながら、川の形状に沿ってところどころでスピードや向きを変えながら流れていて。
その下の川の流れはどうなっているのか、よくわからないけれど、意外と静かそうで、川底の藻や泥やゴミなんかが、ゆらゆらしていて…。
なんてことに気がついて。
実は他にも私には見えていないものもたくさん含んでいるのだろうけれど、これ全部が「川」であって…って思ったら
わぁっ!!!って。
なんだか「川」が人のように感じたのです。
水面は、大きな外側の世界を映し出していて
時間や季節によって外側の景色が変われば映し出される風景も変わる。
直接的には影響はない、ただ反射して映し出された世界だけれど、
その風景の変化によって川の見え方は変わる。
川面は近くで起きていること。お日様だったり雨だったり風だったり、花びらだったり鳥だったり石だったり、投げ込まれたゴミだったり、そうしたものが自分という川に直接触れる。だから、そのたびに影響される。
人は一つの出逢いによって人生が左右されるようなことがありますが、
そこにやってきたものによって、川も流れるスピードを変えたり、形を変えたり、流れ自体を変えたり呑み込んだりしながら、ともに流れていくし
そこにやってきたものもまた変化していく。
花びらやゴミは分解されたり底に沈んだり、石はやがてまるくなったりして変化していく。それによってまた川自体の水質も変化していくからお互いが影響し合い混じり合っていく場所。
川の底の方は流れが緩く穏やかで、そこに沈んできたものをゆっくり時間をかけながら分解したりして、地に戻す。川底にはどんどん、出会った何かが堆積されていって、川自体の流れを変えたり、形を変えたりして。
堆積物が多くなったら川の勢いが失われたりもする。
なんてことをアタマの中でくるくると考えていたら、何層にも重なった川の全てが「川」という存在そのものであって、また、これ全部が私のようである。と。
つまりはそこにあるもの全てが、何一つ欠けることなく、何一つ分けることもできない。別々の階層で別々のスピードで、別々のことをしながら、そのすべてが重なっていて、どこかの層だけで存在することは出来ず。
落ちてきた美しい花びらも、誰かが投げ込んだゴミも、何もかもが区別なく私という「川 」に入ってきて、すべてが私と混じり合い、溶け合って、私という川が出来ている。
この世界に「在る」ってそういうことだ。
って、なんだか目が覚めた気がしました。
(つづく)
おまけ:4/2に見た夢日記
まったく記事とは関係ないんですが、先日、めちゃ久しぶりに印象的な夢を見たので、そのメモも置いておきます。
そもそもホバークラフトってなんだか知らなかったので、さすがにググりました。
…ら、まさに、夢で見たのは操縦席の形も含めて、こんなだった。
海じゃなくて宙に浮いていたけれど。
で、ググっていたら大分でホバークラフトが今年復活する?した?んですね。関係あるのかどうかわからんですが〜(笑)。
以上です。
ではでは、おやすみなさ〜い。
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