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投影された宇宙。


こんばんわ、Karo.です。


ちょっと間が空きましたが、2回に分けて「フラットアースを考える〜捏造された宇宙について」という記事で、一日一食 OMAD エンドゥさんのYouTube「この地球に本当は何が起こっていたのか?」のご紹介と、それを観て、感じたことなどを書いてきました。

この記事はタイトルを変えちゃいましたが、続きの内容になります。


改めて、この「この地球に本当は何が起こっていたのか?」シリーズは、ゲシュタルト崩壊というか、これまでの人生で疑う余地がなかったコトすら一旦解体して、リセット。この世界が白紙になった。という感じでした。

これまでこの世界はずっと、誰かの作ってきた幻想の世界だったのかもしれない。ということを知って、確固たるゆるぎのない現実だと思ってきた「常識」と言われるコト、それを疑うことなく受け入れていた自分の意識に、何らかの亀裂が入った。現実世界の崩壊です。


先日、noteでお見かけしたロメイン・スターレンさんの記事に「グルジェフの御話」が書かれていました。これを読んで、まさに私たちはこれまで、催眠術をかけられた羊だったのだと思いました。



そしてフラットアース説が、今、これだけの説得力をもって現れたことは、世界中の集団意識が大きく変化してきているということだと思うのです。

多分、実際の地球が球体かフラットかということは、実はどちらでもよくて(どちらでもないというパターンもありますし)、それよりも大切なのは、一旦「この現実世界は幻想だったし捏造だった」と知り、それをリアルに感じていくこと。それが新たなスタートなのだと思いました。


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そして、このエンドゥさんのシリーズを見始めた時、最初に、あ!と、思い浮かんだのが、実はこの記事のタイトル、投影された宇宙(マイケル・タルボット著)という本でした。


私がこの本と出会ったのは、確か6年前くらい前だったと思います。

私は、これまで結構多くの本を読んできた中で、直感的に「これはヤバイ〜っ」と感じる本(笑)、つまりは読んだら、すっかり世界が変わってしまった!ずっと手元に置いておきたい...と感じるような本が、ほんの数冊だけあるのですが、この「投影された宇宙」は、その数冊の中の1冊でした。

とはいえ、内容自体はすーっかり忘れていたので、この機会に読み直してみましたが、読めば読むほど、どうしてこの本や、この本に書かれている量子物理学者のデヴィッド・ボームが、あまり話題にならないのは何故なのだろう?と思います。まさに、今の時代の本なのでは?と思うのです。


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この「投影された宇宙」は、ホログラフィックユニヴァースへの招待というサブタイトルがついていて、おもに、量子物理学者のデヴィッド・ボームと神経心理学者カール・プリブラムとの共同研究で発見した「この宇宙はすべてホログラムである」という理論にもとづいて書かれています。

このホログラム論は、地球がフラットか球体か?とか、星がドームに映し出されたプラズマっていう話も飛び超えちゃう、宇宙に存在するあらゆるすべて、それは意識も物質も何もかもが織物のようにひとつなぎであり、なにもかも全部がホログラムって話で、それは自分の身体も含めて全部。という話なのです。


実際、私たちの脳自体が、ホログラムを作り出す仕組みと同じように様々な情報を処理しながら働いている「ホログラム脳」であり、あらゆるすべてを外の世界にホログラムのように映し出しているというのです。

プリプラムとボームの理論を合わせて考えてみると、そこには深遠な新しい世界観が見えてくる。
私たちの脳は、つきつめてしまえば他の次元  ー時間と空間を超えた深いレベルに存在する秩序ー  から投影される波動を解釈し、客観的現実なるものを数学的構築しているのである。
すなわち、脳はホログラフィックな宇宙に包み込まれたひとつのホログラムなのだ。
ふたつの理論をこのように統合した結果、プリプラムは、客観的世界などというものは存在しないと考えるようになった。
少なくとも私たちが慣れ親しみ、こうだと信じこんでいるようなかたちでは存在していないのだ。

目の前に広がっているのは、実は茫漠とした波動の大海であり、現実が堅固なものに見えるのも、脳がこのホログラフィックなもやもやを、私たちの世界を構成している木や石といったおなじみの物質に変換することができるからにすぎないのである。
〜『投影された宇宙』第2章 ホログラムとしての宇宙 より
たとえばグロフはこう論ずる。
内在/外在秩序というのが現実の正確な姿だとすれば、「ある変性意識状態が、内在秩序を直接体験する、あるいはそこに直接介入するための橋渡し役を演ずることは充分考えられる。つまり、その発生源のマトリックスに手を加えることによって、現象界での現象を変容させてしまうことも可能であるということだ」。
別の言い方をしてみれば、念力で物体をあちこち動かすことに加え、意識は現実の奥深くまで手を入れて、もともとそれらの物体を創造/投影している宇宙映画プロジェクターのプログラムを変えてしまうことさえできるかもしれないと言うのだ。
したがって、たとえば慣性の法則のような一般に認められている自然法則を完全に飛び越えてしまうことが可能なばかりか、意識は、念力現象などが意味するものとは比べものにならないくらいに劇的なかたちでこの物質界そのものを変容させ、成型してしまうことができるということなのである。
〜『投影された宇宙』第5章 奇跡がいっぱい より


そして私が前回の記事でも注目していた、星の存在についてなのですが、 エンドゥさんの「この地球に本当は何が起こっていたのか?」シリーズの動画の中で、宇宙の星々はドームに映し出されたプラズマのようなモノだという話がありました。

このプラズマというものについても、本の中にこんなくだりがありました。

ある意味で、観察者は観察の対象そのものでもある。また、観察者は計測機器であり、実験の結果であり、実験室であり、窓の外をそよぐ風でもあるのだ。実際ボームは、意識とは物質のより精妙な一形態であり、このふたつの間にある関係の基盤は私たちの現実のレベルではなく、すべて深層の内在秩序にあると考えている。包み込みと開示の段階によって差こそあるものの、意識はすべての物質の中に存在する。
プラズマが生物の特徴をいくつかもち合わせているのは、おそらくこのためなのである。
ボームはこう語る。「活動的な形態をもつ能力というのが意識の最大の特徴であり、この意識状のものはすでに電子の中に存在しているのである」  

さらに

これと同じように、宇宙を生きているものと生きていないものに分けることも意味がないとボームは考える。
生命をもつものも、もたないものも不可分なかたちで絡み合っており、生命もまた、宇宙の全体性のあらゆるところに包み込まれているのである。岩でさえもある意味では生きている、とポームは言う。
なぜなら、生命と知性は、すべての物質のみならず、「エネルギー」「空間」「時間」「宇宙全体が織りなす現実」、そして私たちがホロムーヴメントから抽象的に取り出し、別々のものだと誤解しているその他一切の中にも存在しているからである。
意識と生命(そして、まさに万物)が宇宙のあらゆる部分に包み込まれている総体だとの考え方の裏には、やはり目くるめくような意味が隠されている。すなわち、ホログラムのどの部分にも全体の画像が記録されているのとまったく同様に、宇宙のあらゆる部分は全体を包み込んでいるのだ。
これは、アクセスの方法さえわかれば、自分の左手の親指の爪にアンドロメ夕星雲を見つけることさえできる、ということを意味している。
〜『投影された宇宙』第2章 ホログラムとしての宇宙 より


そして昨日ちょうど、エンドゥさんが、ご自身の意識が星のふるまいを変えたという動画をアップされていましたね。まさにタイムリーでした。


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私は前回の記事で、

この夜空の見え方がどんどん変化していることとフラットアース理論のドーム、捏造されてきた宇宙のこと、これらは全部、自分の意識の変化と連動しているのではないかな?と感じました。

と書きましたが、結局やっぱりすべては繋がっているのです。なにひとつ分け隔てなく。そしてそのもとは「意識」であり「波動」な訳です。(と、大雑把に括ってみました(笑))


これについては何度も何度も似たようなことを別の方向から書いている気がします。確かフラワーオブライフの記事も、そんな内容だったかと...。

で、何度も書いている本人が忘れる。という...(苦笑)。

でも、それくらい、催眠術を深くかけられていた訳なので、やっぱり何度も何度も、それが当たり前というレベルになるまで、自分のホログラフ脳に刷り込む必要があるのだと思います。


「投影される宇宙」の後半では、インドでガンディーと並んで敬愛されているという思想家、政治活動家、神秘家、そしてのちにヨギー(瞑想家)となったシュリ・オーロピンド(1872年生れ)のこんな言葉が書かれています。

精神のより精妙で内在的な領域を探っていくことは、意識を向ける対象についてポーム的とも言える変更を確かに要求される。
あるいは、シュリ・オーロピンドの言葉で言うなら「私たちの内面にある新しい地」を発見するためには、まずどうやって「古いものを捨て去る」かを学ばなければならないのだ。
実際のところ、シュリ・オーロビンドの説の多くは、ボームやプリブラムの結論と区別がつかない。
彼は、ほとんどの人間の頭の中には「心理的な幕」があり、これが「物質のべール」の向こう側を見るのを妨げているが、このベールの先をのぞくことをおぼえれば、あらゆるものが「強弱が変わる光の振動」からできていることがわかると語る。
”私たちは心や五感の罠から自分を切り離してしまわねばならないだけでな く、思想家の罠、あるいは神学者、教会設立者の罠、そして強力なる言葉の網や偉大なる思想の呪縛からも逃れなければならない。
これらすべては、精神を形態という壁で囲ってしまおうと、私たちの内面で待ちかまえているのだ。だが、私たちは常にそれを越えていかねばならない。大いなるもののために小なるものを棄て、限りなきもののために限りあるものを棄てねばならない。そして光から光へ、経験から経験へ、さらに魂から魂へと進んでいく用意がなければならないのだ。
……最も強く信じている真実にさえとらわれることがあってはならない。
なぜなら、それもまた、いかなる形態、いかなる表現に限定されることをも拒む、言葉では言い表わせぬものを形にし表現したものにしかすぎないからである。”
しかし、もしも宇宙が究極的には言葉では言い表わせぬもの、色とりどりの振動の寄せ集めであるとしたら、私たちが知覚しているさまざまな形体はいったい何なのだろうか。
物理的現実とはいったい何なのだろうか。それは、とシュリ・オーロビンドは言う。 「安定した光の集合体」であるだけなのだ。
〜『投影された宇宙』第8章 スーパーホログラムの旅 より


まさに、私はいま、古い「常識」というものを捨てたところです。

このタイミングでこの本を読み返すことができたこともシンクロで、私の中の意識が、あらためて再構築されはじめたような感じです。



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余談ですが、この本は1994年に日本で翻訳されて出版されていますが、著者のマイケル・タルボット氏はその2年前、1992年に38歳の若さで亡くなっているのです。翻訳された本には死因についての情報がなにもなかったので、私は「奴らに消されたのかも?!」って一瞬、思ってですね〜...。(笑)

すぐに調べてみたら、日本のWikipediaには、彼の情報がなかったのですが、英語版Wikipediaでみつけまして、彼はリンパ性白血病で亡くなったことがわかりましたので、まったくの考えすぎでした。(苦笑)

あ。でもですね、ちなみに、ですが、

デヴィッド・ボームも同じく1992年に心筋梗塞で亡くなっていました...。

んーーー...。(苦笑)




ではでは、

フラットアースからはじまっての私の思考の旅、とっても長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。


皆さんの現実世界も崩壊しますように!(笑)


おやすみなさい。




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