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私の本棚から2〜幸福論


こんにちわ、Karo.です。


「私の本棚から」シリーズ2回目は、幸福論(アラン著/日経BP社)です。

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アランの「幸福論」は古典名著と言えると思いますが、この本自体は2014年に出版されていて、当時、装丁がかわいくて、つい買ったのですが、実は、ほとんど中身を読んでいませんでした。

本棚の中に置いていてもかわいいので、ついついそのまま置かれたままでした。この本もご希望の方にお譲りしたいと思いますが、表紙自体はビニールカバーが最初からついていて比較的キレイですが、中のページは経年劣化で全体にうっすら日焼けしています。最後の方に載せた中ページの写真も参照していただき、それでもOKな場合は、下のお問い合わせからメールくださいませ!


さて、今回ご紹介するにあたって、ランダムに開いた数ページを読んでみましたが、めちゃめちゃいい本でした!

この本は装丁も編集も翻訳とっても工夫されていてわかりやすく、素直に言葉が入ってきます。内容も改めて真理を突いているなぁ...と思います。本自体596Pもあって分厚いのですが、どのページを開いてもここに紹介したいと思うような素敵な内容でした。


ではでは、本の中から一部ご紹介します。お楽しみください。

【不機嫌】129p
...だから私はこんなことを言う人が大好きだ。「なんて寒さだ。健康にはこれがいちばんだ」なぜって、これ以上の対処法はないからである。北風が吹いているときは、手をこすり合わせるのはいつもの倍もよいことになる。本能的な動作には知恵に劣らぬ価値があり、身体は喜んで反応する。寒さに対抗する唯一の方法は、寒さに満足することである。
喜びの達人スピノザなら「暖まったから満足しているのではない、満足しているから暖まるのだ」と言うことだろう。それに倣って、こう言おう。「成功したから満足しているのではない満足しているから成功したのだ」と。喜びを探したいなら、まず先に喜びを蓄えておくのがよい。受け取る前に感謝するのがよい。希望は希望を持つ理由を生み出し、ょい前兆は本物を招くからだ。となれば、あらゆるものがよい前兆、うれしい知らせでなければならない。
エピクテトスは「カラスのお告げも気持ち次第で幸運の前兆になる」と言った。エピクテトスが言わんとしたのは、何事も喜びとせよ、ということだけでなく、よい希望は運命を変え本物の喜びをもたらす、ということである。だから、自分で自分がきらいになっているいやな人間に出会ったら、まずはほほえみなさい。眠りたいときは、眠れると信じなさい。.... 

【自分の未来】153p
...ではいったいなぜ宿命を信じ込むのだろうか。主な理由は二つある。第一は恐怖のせいで待ち構えている不運に自ら飛び込んでしまうことだ。車に轢かれて死ぬと予言されていて、まさに運命の瞬間にそのことを思い出したら、それだけで私は、まるで命じられたかのように足がすくんでしまうことだろう。その瞬間に役に立つのは逃げ出すという考えであり、それが思い浮かべば直ちに行動できたはずだが、止まるのだと考えたら、もう身動きできない。これは一種の幻惑と言えるだろう。おかげで、占い師は一財産築いてきたのだ。
第二の理由として、情念や悪徳も、たどる道のりはちがっても結局は同じ結果をもたらすことを挙げておかねばならない。博打打ちは博打を打ち、守銭奴は溜め込み、野心家は策略を巡らすだろうということは、誰にでも予言できる。つまり占い師でなくたって、「自分はどうせこうなる」と予言して自分に一種の呪縛をかけてしまうことができる。これもまた一種の幻惑であり、予言を的中させることになる。....

【習慣】193p
...私たちは情念から逃れられないという誤った思い込みに囚われている。チーズはどうしても好きになれないと思い込んでいる人は、味わってみようともしない。また独身者は往々にして、結婚は耐え難いものだと思い込む。一度でも絶望を味わうと、思い込みが確信に変わり、強固な主張となって、もはや和らげることができない。この幻想としか言えない信念が生まれるのも当然かもしれない。なぜなら人間は、目の前に存在しないものはうまく判断できないからである。たとえば飲んだくれているときは、禁酒など考えもしない。飲むという行為が禁酒を妨げる。だがいったん禁酒をしたら、もうそれだけで飲酒は妨げられる。悲しみでも賭け事でも、すべて同じである。
引っ越しが近づくと、間もなく別れる家や町にさよならを言う。家具を運び出す前から新しい住まいに思いを馳せ、古い家を忘れてしまう。こんなふうに、どんなこともいずれは忘れ去られるものである。新鮮で魅力的なのはいつもいまであり、人々は確実にいまに適応しようとする。そんな経験は誰にでもあるはずだが、誰も信じようとしない。習慣は偶像のようなもので、こちらが従うから威力を発揮するのだ。.....

【憐憫】368p
...人生を暗くする親切、陰鬱そのものの親切がある。これはふつう憐閥と呼ばれている。この憐憫は、人間の禍の一つである。肺病やみと言われる痩せこけた男に、感じやすい女がどんなふうに話しかけるかを見ればいい。涙ぐんだ目つき、声の調子、話す事柄すべてが、明らかにこの哀れな男を見放している。だが男は怒ったりしない。病気を我慢するように哀れみを我慢する。ずっとそうだったのだ。誰もが男に悲しみを注ぎ足し、決まり文句を言う。「あなたを見ていると胸が張り裂けそうだ」
もうすこし分別があって言葉に気をつける人は、励ますように話しかける。「元気を出しなさい。いい気候になったらきっとよくなるから」。だが顔つきが言葉と合っておらず、激励の言葉も結局は涙を誘う哀れみに過ぎない。それは微妙なちがいであっても、病人は敏感に気づく。当惑した目つきは、言葉より雄弁である。
ではどうしたらいいのか。ともかくも、悲しんではいけない。希望を持たなければいけない。人間が他人に分け与えることができるのは、自分の持っている希望だけなのだから。そして自然の働きに期待し、未来を明るく考え、生命は勝利を収めると信じることだ。これは思う以上にやさしい。自然の理に適っているからである。....

【他人の不幸】375p
...何かとてもむずかしいことに注意を集中している人は完全に幸福である。一方、過去や未来をあれこれ考えている人完全には幸福になれない。何かの重荷を引き受けているときは幸福にならなければいけない。さもないと、つぶれてしまう。不安の中で重荷を背負ったとたんに道はつらくなり、道中で過去と未来がのしかかってくる。
要するに、自分のことを考えてはいけない。ところが他人が自分のことをとやかく言っているのを耳にすると、滑稽なことに私も自分について考えたくなる。共に行動するのは悪いことではないが、ただ無駄話をするために、愚痴をこぼすために、非難を応酬するために集まるのは愚の骨頂である。人間の顔がひどく表情ゆたかで、雑事で紛らわせていた悲しみまで思い出させることはさて措くにしても、人がエゴイストになるのは集団の中だけである。個人と個人が衝突し、一方がああいえばもう一方がこう言い、口で返答し、目で返客し、おせっかいで返答する。たった一つの不平が千の不平を引き起こし、たった一つの恐れが千の恐れを引き起こす。群れ全体の意志が1匹の羊の中で渦巻く。....

【エピクテトス】412p
...エピクテトスは、船の乗客にはこう言う。「君が嵐を怖かる様子と言ったら、まるで大海を全部飲み干さなければならないかのようだ。だがね、溺れ死ぬときは小さなパケツ一杯ほどの水があれば十分なのだよ」。すさまじい荒波がほんとうの危険を表してはいないことを、彼はよく知っていた。
ところがたいていの人は、こんなふうに考えたり叫んだりする。「海が怒り狂っている。地獄からの声が呼んでいる。波が襲いかかってきた。危ない。もうだめだ」。だが、そうではない。潮流と風が引力に従って釣り合いをとろうとしているに過ぎない。悪い運命などどこにもない。猛々しい音も荒々しい動きも、君を殺しはしない。必然などないのだ。難破しても助かることもあるし、おだやかな海で溺死することもある。間題はたった一つ、水面から上に顔を出していられるか、ということだ。....

【幸福であるという義務】583p
...私にとってとりわけはっきりしているのは、人は望まない限り幸福にはなれないということである。だから、幸福を欲しなければならない。そして幸福を作りださなければならない。
幸福であることは他者に対する義務でもある。このことは、十分に語られてきたとは言えない。幸福な人しか愛されないとは言われるけれども、愛されることが幸福な人に当然与えられるべき報賞であることは忘れられている。私たちが呼吸する大気には、不幸や憂響や絶望が満ちている。だからこの有毒な空気を分解し、楓爽と手本を示して言わば社会を浄化してくれる人には、感謝と月桂樹の冠を捧げなければいけない。
こう考えれば、幸福になるという誓いは、愛の中で最も重いと言えるだろう。愛する人の悲しみや不幸や憂響を乗り越えるのは、何よりもむずかしい。幸福は、つまりここで言う自らのために勝ちとる幸福は、最高にうれしく、だから最高に気前のいい贈り物である。.....



コメント:

ちなみに、中にはこんなページも多くあって楽しいです。

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先にも書きましたが、パラパラ開いていたら、あれもこれも載せたくなってしまうほど、いい内容で、自分にも刺さりまくりました(笑)。

アランが言っているのは、一貫して「幸福」は誰かから与えられたり、外側の環境によるものではなくて、自分の中で作り出せる。ってことです。まさに基本中の基本という感じですが、それをさまざまな例をあげて詳細に表現してくれているので、自分の見逃していた部分に照らし合わせることもできるのではないかと思います。

また、表4には、アランのプロフィールの横に「もう深刻ぶるのはやめてのんきにやろう」という言葉が書かれています。

そう思うだけでゆるっとした気持ちになりますよね。


このあと、せっかくだから、もう少し読んでみようと思います(笑)。




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こちらは終了しました。


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