お金と心とありがとう

今月から本格的にお金の勉強を始めた。
良さそうなオンラインスクールをようやく見つけたので、10日間ほどよくよく吟味してから安心してワクワクしながら入学した。楽して稼げることを売りにした宣伝が、やかましいほどあふれ返っていてうんざりしていた中で、「楽して稼げることなんてありません、特別な方法なんてありません、がんばって勉強するしかないのです、投資は兼業でやってください、とにかく一生懸命はたらくことが第一です、楽して稼ぎたいならよそに行ってください、けれど必ず最期にはお金を失います。」という創設者のメッセージに惹かれた。入ってみるととても良い学校だ。世界の3大投資家の一人と、もう一人の娘さんも講師なのだが同じことを言っている。「なにか魔法のような方法を聞けると思ったでしょ? でもそんな方法はないんです。学び続けるしかないんです。あとは絶対に損をしないこと。」的なことを言っていた。なるほど一流だ本物だと思った。

この自己投資は正解だった。知識や技術の習得は一生モノだ間違いない。これまでに触れてきた本も動画もメルマガも、なんだか私には響かないようなものばかりだった。そんな中で7年前に出逢った本をきっかけに少しずつお金のことを学んできた。それはたとえば物質と精神の仕組み。お金とは物質でありながら同時に精神的なエネルギーであり、それがどのように流れるものなのかといったようなことから、与えることと受け取ることの間に働く自然の力学、その不均衡がもたらす精神への作用など、思えば本質的なことばかりで今ようやく、インフレとか、金利とか実際の経済の勉強をしているな。

でも私はこれで良かった。その著者のお金についての本は一冊だけだったけれど、、翻訳されているものはほとんど読んだ。投資については、「まだ早い、まだダメだ、まだあなたには精神的な準備ができていない。」と言うので、私には珍しく言うことを聞いた。それだけの説得力があった。そしてその人の言うように小さな貯蓄から始めた。それまでは貯蓄なんてできたことがなかったのに、言うとおりにしたら本当にできておどろいた。何年も継続的に積み立てられて、3ヶ月毎に10%ずつ増加していくことで複利の効果で次第に加速的に増えていった。これは不思議なことだった。世界中でこの原理をすぐに理解する人もいれば、そうでない人もいるという。合理的な思考では理解のできないことだけれど、見る前に信じれば本当にそうなった。貯蓄をしてしまって月末に払えないはずのお金がどこからか流れてくる。私は何度もそれを体験したけれど、なんでなのかはわからない。

躁になれば弾けてしまい、鬱になればなにもできない。本など読めるはずもない。それでも断続的に私はよくやってきたと思う。私の住んでいる地域ではお金の話をするのがはばかられるような閉鎖的なムードがあるし、そうでなくともまた勘繰られて邪推されるだけだと思ったので、誰にも言わずにやってきた。日本人はお金の教育を受けていないので、私たちはほんとうになにも知らない。アメリカの小学3年生があたりまえに知っているようなことすら多くの人が知らない。一般のアメリカ人の月給の4分の1は投資からの収入だという。それぐらいに投資はあたりまえのことなのだ。

少し学んだだけでも理解したが、投資は今すぐにでも始めなければ損だろう。100円からでもできるのだから。インフレが進む中でのゼロ金利時代において、銀行預金の意味のなさを痛感した。それに投資は怖いものではない。ギャンブルのようなものもあるけれど、あれらはみんな投機だろう。実際に世界の株価は200年間、金融ショックなどの暴落や上下の波はありつつも、右肩上がりに上がり続けている。それでも投資は元金は保証されないので必ずなどとは言えないが、自分でちゃんと勉強すれば、まずほぼ間違いないほどに長期的には資産は増えていく。インフレもまずほぼ間違いなくおおむね右肩上がりに進むのだから、過去を見ても明らかなように物価は上がり続け、インフレは通貨下落ともいうように、銀行預金のお金の価値は目減りしていく。今その貯金で買える100万円の車も、30年後にはその100万円では買えなくなってしまう。今100万円の車は30年後には150万円ほどにもなってしまう可能性は明らかだし、それ以上になる見込みも十分ある。数字は嘘をつかないという前提において、過去の実際のデータからもこれほど明らかなのに、なぜ私たち日本人はこんなことになってしまっているのだろう。子ども達こそ今すぐにでもお金の勉強を始めるべきだと本当に思う。

私は20年間、精神疾患を抱えてきて、その中で色んなことを自分を実験台にしながら試してきたけれど、仕事やお金の不安がいつでもついてまわる。鬱状態にあり、なにもしない、なにもできなくて、じわりじわりと破滅に向かっていることは重々わかっているけれど、どうしようもない。自殺を考えたり実行してしまうのは当然の成り行きだと思う。

躁状態にあり、激しく散財したり、やたらな勢いで借金を重ねたり、私などはいきなり株式会社を作ってみたり、借金をして知り合ったばかりの生活困窮者に大金をあげてしまったり、やったこと言ったことのすべてが恐ろしいほど倍増して自分の首を絞めるのを何度も繰り返した。長年の返済にも苦しむことは目に見えているはずなのに、やはりどうしようもない。躁状態の人間など端から見れば同情の余地などないだろう。

なにを買うのでも、なにが買えないのでもなしに、お金は心をかき乱す。お金のない国へ行きたいけれど、どこの国もみるみるお金で塗り潰されていく。どうしたってお金が必要なのだ。ならば賢くならなければいけない。投資なんて私も専門用語や数字を見るだけで、こんなの到底無理だと思っていた。だけどひとつずつ段階的にやってみると、学校の勉強より全然簡単だ。苦手意識が邪魔なだけだった。しかもこれはなかなか面白い。世の中の見え方が変わるものだ。私の暮らしもまた、あらゆる人たちの労働のおかげで成り立っていたのだな。この便利すぎる世の中には疑問も感じるが、企業が利益を生むということは、素晴らしい価値を私たちに提供してくれているということが実感された。労働とはまったくお互いさまなのだ。

私たち日本人によくある思い込み。お金をたくさん欲しがるのは醜いこと。お金の話はあまりしてはいけません。こういうエネルギーがお金のエネルギーを妨げている。お金は遣い方次第では、遣えばなくなるものではないようだ。ありがとうの気持ちのように正しくたくさん受け取って、正しくたくさん与えれば良いのだろう。交換の原則には愛と感謝が前提にあるということは抽象的で月並みなようだが、どうも原理原則に照らしてみれば至極もっともなことのようである。私は私の人生において、ひとつでも多く思い込みを取り払い、お金とも人とも仲良くしたいものだ。




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