団子虫先生

コイツらも腹が減っているだろうと思い、ダンゴムシの群れに唾液を垂らしてみると、やはり寄ってくるヤツがいる。そして唾液を啜っている。私と似たような感性のヤツなのかもしれない。類は友を呼ぶのだろう。可愛いヤツだと思い指でつつくと丸くなる。するとテコでも動かぬ頑固さ。一貫にして徹底的であり、貫徹した態度である。悪気はなかったのに、弁解の余地も与えてはくれない。

少し離れて間を置いてもまだ丸まっている。離れれば見えないだろう、油断するだろうというのは、私の偏狭な思い込み。彼らにはもっと遥かに高度な感覚があるのかもしれない。それは我々が気配と呼ぶもの以上のものなのかもしれないのだ。

今、ふと気になってダンゴムシの丸まることを検索してみた。


ダンゴムシは歩くのが遅いから、身体を丸くしてかたくなることによって、敵に食べられないようにしているんです。 虫によって、いろんな方法で敵から身を守っているんだね。


「敵に食べられないようにしているんです。」
なぜに言い切れる。体系立てられていて納得させられそうにはなるが、あなたはダンゴムシに聞いてみたのですか?私は甚だ疑問に思ってしまう。

たとえば弱肉強食。食う方が強くて食われる方が弱い。力の強いものが強者であり、力の弱いものは弱者である。誰もがこれを信じている。

食物連鎖のヒエラルキー。立派な理論で構築されたピラミッド。その頂点に君臨する万物の霊長、人間様。くだらねえ、この思い上がりに反吐が出る。全部ぶっ壊れてしまえばいい。ぶっ壊してやろうか。

気を付けよう、気を抜くと私はパンクになってしまう。こんな気持ちになること自体、私自身が弱肉強食を信じているということの表れなのだ。

ましてや躁鬱病、これまでにどれだけ過激なことをしてしまったか。思い出すとよく生きていたとも思える。こんなことはホラ吹きのようで人には言えないが、ある時は最大手の指定暴力団にも一人で突っ込んだ。またある時期は戦争にも行こうとしていた。当時、私は戦争の経験のある外国の友人と打ち合わせを重ねていた。その頃はシリアの最前線に行こうと本気で思っていたが、友人の一言で目が醒めた。あなたはあの光景を目の当たりにしたら突っ込んで行ってしまうかもしれない。あなたがその命ひとつ散らしたところで世界は何にも変わらない。戦争とは戦場で起こっているものではないのです。

お金もそうだ。お金を無駄に失うことは損であり、儲けることは得である。得をしないと損なので、損をしないと得らしい。無条件な程にも誰もがこれを疑わない。これはなにか一種の宗教のようである。私もその信者ではあるけれど。

弱肉強食、経済的合理性、優生思想、生命に対する差別。ダンゴムシを見ていると、私は私が人間であることが恥ずかしく思われてくるが、こうしてダンゴムシからいくつかのことを教えてもらえるのだ。






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