退社することにしました(1)

5月のコロナ禍に在宅勤務が始まり、いろいろ思っていたことを綴ろうと始めたこのnote。それ以後記事を書いていません。まぁ、そんなもんか。

で、その後、夏に人事異動が発令。中国地方の某県に行くことになり、数か月前から単身赴任しています。家族は妻だけですので、妻の仕事の都合があり、当初数か月だけ単身赴任をすることとしていましたが、突如思いがけない出来事が! いろんなことが複雑に絡みあってなんだなんだで眠れない夜が続き、先日、自宅に戻った際に妻と話し合い、私が勤務先を退職し自宅に戻る選択をしました。

20数年勤務した会社の退職を決意し、これから上司へ報告したり人事といろんな話をしていくのでしょう。少し不謹慎かなとも思いながらも記録的に一連の経過を残していきたいと思い、これから起こることを記していきたいと思います。どうせ我が社の関係者などにはバレまいて。。。

妻の妊娠

思いがけないことは妻の妊娠です。人事異動まではまったく分からず、異動後に「実はデキたみたい。。。」と伝えられました。とにかく嬉しくて嬉しくて本当に喜びました。単身赴任中ですので夫婦で喜びを分かち合うことができなかったのが残念でした。

僕ら夫婦は婚期が遅く、私40手前。妻が30半ばでの結婚でした。なかなか子宝に恵まれず、いろんなことを試しましたが授かることはありませんでした。そして不妊治療を開始。採卵に備えて何度も自己注射をする妻の姿を見て本当に頭の下がる思いでした。

それでも授かることはありませんでした。不妊治療のクリニックを変更し今までは行わなかった治療も行い、そこでやっと授かることに成功。本当に喜びましたが、8週過ぎたところで心拍音が確認できずに稽留流産。妻にはかける言葉もありませんでした。本当に悲しかった。さらにその後の処置の日に仕事でどうしても休めず、妻の傍にいてやれなかったのは今だに申し訳ないと思っています。

その後、もう一回妊娠・流産を経験し、妻の年齢が40代になりそろそろ・・・と思っているときに異動。その上しばらく単身赴任。今思えば異動を断ることができたのではないかと非常に後悔もしています。そんな中で不妊治療ではなく「自然妊娠」で授かったことは本当に嬉しいことでした。

そしてやってくる「悪阻」

高齢での出産や、過去数度の流産の経験から本当は妻の傍にいてあげたい気持ちが強いのですが、いかんせん単身赴任の身。中国地方へ向かう新幹線の時間もあり、トイレでえずいている妻の横で「いってきます」と玄関を出なければいけませんでした。涙目で「いってらっしゃい」と見送ってくれる妻。今思い出しても涙が出ます。

先日の夜の出来事。日に日に悪阻がひどくなってくるようで、いつも妻から送ってくるLINEが来ない。こっちから送っても既読が付かない。少しアセりましたが、まぁ帰宅中なんだろうと思っていました。30分後くらいに電話をかけても出ない。何度かけても出ない。これは本当にアセりました。心臓がバクバクしてきてエアコンで涼しいハズなのに汗だくで。どうしようかと部屋の中をウロウロウロウロしていたときにやっと電話がつながり、妻は「悪阻がツラすぎてぶっ倒れるように寝ていた」と。寝ていた時に電話してゴメンね。と少し話をして電話を切り、なぜがボロボロと涙がこぼれてきました。何かが体の中であふれたように本当に涙がボロボロボロボロと。これだけ泣いたのは祖父が他界して以来だと思うくらい自然に涙が出てきました。妻が無事であった安堵と、妻の傍にいてやれない悔しさ。これからも続く不安。いろんまモノが混ざり合って長いこと涙が出ていたと思います。その時に「妻の元に帰ろう」と初めて思いました。

実家の状況

そして私の実家は農家です。まぁまぁ良い作物を作っており、毎年農繁期には帰省していろいろ手伝っていました。今年はコロナの影響で帰省できていませんが。

今年は長雨と日照不足、その後の猛暑による水不足で例年にない不出来だそうで、親父は強がって「大したことはない」」と言っていますが、母によると品質が本当に悪く、なかなか売り物にならないと嘆いています。そんな中で妻を置いて単身赴任する息子を見て、「いきなり実家に帰ってこいとは言わないが、もう少し近くにいて欲しい」と訥々と語られたのが先日です。

今までは車で2時間くらいの場所だったので帰省も気楽にできていたのが、この夏からそう簡単に帰省できなくなってしまい、両親も心細くなったのだと感じ、長男の僕がなんとかせねばとまた悩みが増えました。

なんだかんだで農家の長男なので、いずれは実家を継がねばなりません。両親のどっちかに何かあれば実家に戻らねばならないと若いころから覚悟はしており、そもそもこの会社も定年まで勤めるつもりはありませんでした。

異動先での出来事

異動した先では初めて経験する業務ばっかりで今までの知識や経験があまり役に立ちませんでした。20数年も仕事してきたのに。悲しいことです。1つのセクションの長として部下を預かる身でもあり、なかなか思うように進まない業務に加えていろんな未経験で困難な業務が五月雨式に発生し、少し疲れ気味なのは事実です。

そして新職場ではトラブルがあった際の初期対応要員として輪番で担当が回ってきて、土日に担当が回ってくると自宅に帰ることができません。妻は大変だねと言ってくれますが、身重の妻が本当に笑顔でいるのかどうかはわかりません・・・。

そして妻と相談して決断

妻と連絡が取れなくなって焦った夜、動揺する気持ちの中で「会社辞めて妻の元に」と決めました。実家のこともあって遅かれ早かれだとも。夜はほとんど寝ることができず、いろんなことを考えていました。本当に辞めていいのか。辞めてどうする。収入は?子供が生まれるときに無職か。等々。気づけば朝になり出勤。椅子に座っているんだかいないんだがフワフワする感じで一日過ごして定時で退社。部屋でもまだウジウジと考える。週末の土日のうち日曜に輪番が回ってくるので赴任先にいてもいいのですが、母子健康手帳をもらいに行く予定もあったのでトンボ返りで帰宅することに。帰宅する新幹線の中でもいろいろと頭の中がグルグルと回り、実は今までのことは夢だったのではないか。とか、20数年勤めた会社辞めるのはこんなに簡単なことなのか、とか本当にいろいろ考え、1時間半の新幹線があっという間でした。

帰宅し、妻は悪阻で食事どころではない様子。会社から帰ったら本当にしんどそうです。少し落ち着いたときを見計らって切り出します。。

「こないだ寝てたときに電話してごめん。本当に心配した。電話切ったあとに安心したのとこれからの不安で涙がこぼれてきて仕方なかった。俺はお前と一緒に暮らしたい」と。妻は黙って聞いていて、「私がそっちに行く話をもう一回しようか。」 妻は私の異動が決まった後に異動する予定でした。ただ異動先の隣県の職場で在来線乗り換えアリで新幹線通勤2時間。妊婦が耐えれる訳がないと異動そのものがなくなっていました。

僕は「いやそれはムリやろ。通勤できる訳がないし何かあったら後悔しか残らない。実家から近くに帰って欲しいと先日言われて、いろんな事と考えたけど僕が会社を辞める」妻「え。。。(絶句) 私も一緒に暮らしたいけど辞めるほどのこと?」

それから数時間語り合いました。これからの二人(ともう一人)の人生についてこんなに話し合ったのは結婚して初めてかもしれません。仕事がつらく上司とソリが合わないことも伝え、これから妊娠を継続していくこと、大きい病院で出産をすること、やはり高齢出産でいろいろなリスクを抱えている妻を傍で支えないといけない思いが強く、妻は「あなたが後悔しないならそれで良いよ。私も一緒に暮らしたい」と言ってくれ一定の結論は出ました。

翌日、2人で役所に行って母子健康手帳を申請しました。今までは流産ばかりで母子手帳の申請はできませんでしたが、今回はいまのところ順調なので初めて申請できました。初めて母子手帳を手にして本当に嬉しそうにページをめくる妻を見たとき、ジーンときて最後まで支えてあげないといけないし、路頭に迷わすようなことはできんなと思い、この決断は正しいんだと改めて思ったのでした。

自宅から赴任先の部屋までその日の夜に戻り、新幹線の中でも少し心が揺れました。朝になってもまだ迷う自分がおり、相変わらず優柔不断だなと呆れてしまいますが、この記事を書いていて今まで数週間の出来事を冷静に振り返ることができて、腹を括ったというか、少し気分的に落ち着くことができました。

これから会社に退社の意向を伝え、退社の日まで何が起こるのか。

さてさて。。。

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