国家公務員法改正(検察庁法)(2)

(1)より引き続き.....

問題となっている検察庁法の改正について、定年の延長、役職定年の他に検事総長、次長検事、検事長の認証官3役については内閣が特別な事情を認めれば定年をさらに延長することができます。この特別な事情は別に定めることになっていますが、その内容については定かになっていません。

先日の朝の情報番組でなんとかと言う首相の御用コメンテーターと言われる方がおっしゃっていましたが、「検事総長(次長検事、検事長)の任命は内閣が行うことをこれまで慣例で行っていたのを正式な手続きにするんです」と見解を述べていました。確かに法律では任命権は内閣にあります。しかし現在は現検事総長が次期検事総長を指名し、その方を内閣が任命するという慣例によって決めていました。ここで疑問なのは戦後70年超えるこの現在までなぜいままで慣例によっていたのでしょうかということです。

まず、前例主義における行政実務の継続性挙げられると思います。かっこよく書けばこんな感じになりますが、結局のところ「新しいことをするのはいろいろ超える壁があって面倒くさくて大変だから、今までで問題があれば別だけど、問題なく今までできたんだし、誰も文句言わないし、言えないし前例によって処理した方がいいよね。」というお役所的な事務処理の方法です。まぁ、お役所ですから。

そして検察官に言えるのはよく強大な権力を持っているからと言われます。時の首相ですら逮捕・起訴できる権限を持っている検察は中立性を持たないといけません。時の権力者の意のままに操られると強大な権力の乱用やその権力者の罪を見逃してしまうことがあり得ます。戦前は思想検事と言われる、よもや現在では考えられない職務を持った検事もいたほどです。よって検察は右に左に流されず、常に中立を保つことで世の中の罪を処理していくのです。その権力の塊でる検察のトップに君臨する検事総長たるやより一層高い倫理性と道徳観をもって検察を統べてもらいたいものです。

これまで長い間慣例によって行われてきた実務にはそれ相応の歴史や経緯が隠れています。不必要な慣例ならば長い時の中で廃れていったハズです。原理原則では確かに内閣が任命すると定められているのですが、任命する側と任命される側でどちらが優位な立場かは考える必要はないでしょう。また、東京高検検事長の定年延長を意味不明な論法で通しきったほんの数か月前の政府の手法を思い出したとき、「内閣が恣意的な人事をすることはない」といくら叫んでも全く信用できません。やはりウラでなにか企んでいるとしか感じられません。信用を得るのならばまず、定年延長の特例を通した東京高検検事長をなぜこの人の定年を延長したのか彼の功績や期待できる効果を個別具体的に挙げて国民が納得するように今からでも示すべきです。なぜなら、このままだと時の検事総長が権力者の意のままに「右側通行を守らない歩行者は軒並み検挙起訴する」と命じることでも可能になってしまいます。そうなるともう戦前の治安維持法。特別高等警察の復活なのでは?という事態です。かなり極端な考え方ではありますが、このようなことも想像されてしまいます。

常に社会生活を営んでいる国民にとっては決して無関係の話ではなく、警察よりも強力な権力を持つ検察官のさらに権力を持つ検事総長等の身分に関わる検察庁法の改正は強行採決によることなく、冒頭に書いた特別な事情の具体例をきちんと示すなど、もっと政府が説明責任を果たし丁寧な国会での議論を踏まえ決定されるべきではないかと思います。

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