ネット社会における人間の「囲い込み」と分断社会の到来

こんばんは最近よく思うことがあります。

産業革命時に起きた囲い込みが人間にも及んでいる気配を察知します。

囲い込みとは産業革命時に紡績工業が盛んになってくると、羊毛が必要となり、羊農家が作を囲って村々の共有の土地を個人で独占。

土地から追放された村人は都市へと逃げ込み工場労働者となって重労働をさせられました。

いわゆる資本主義社会の到来です。

環境保護やSDGsなど昨今資本主義の行き詰まりを感じる世の中にはなっているものの、逆に資本主義がさらにますますエスカレートしていると感じます。

その一つが人間の囲い込みです

では、人間の囲い込みとは何なのでしょうか?

SNSへのフォロワー、または、YouTuberの登録者数、さらにはインフルエンサーへの信仰者数、古くは掲示板の板ごとだんだんとネット上で家コミュニティーが形成されてきている。

一見人間を取り囲むというのはコミュニティズム的思想ではあるもののフォロワー同士での助け合い、いわゆる共助の繋がりが起こりにくく一対多の関係となっている。

SNSで表示されるのは自分とそれ以外の他人、YouTubeに登録されるのは対象の動画の投稿者とフォロワーインフルエンサービジネスではインフルエンザとその信者など相互間のやり取りが起こりにくいのが現状のネット空間である。

もちろんクラウドファンディングやオンラインサロンなどの共助が1部働く仕組みができているが、完全に働いてるとは言い難い

私は何でもかんでも自己責任の自助主義や何でもかんでもお上に頼る公助だけではなく、共助の仕組みが最もこれから先重要になってくるだろうと考えている。

しかし、現状リアルREALの地域コミュニティーは壊滅状態にありかつてのような隣保や互助会などの仕組みが整っている地域がどれほど残っているか?誰かがこれをしたい!と思った時にパトロンになってくれる社会とは言い難い。


自己資金無しでは到底したいこともできない。諸外国と比べて企業率が低い原因の一つであるだろう。

話を戻すが現状、人間の分断、社会になっている。日本は多神教の国である。がたまーに、いや少なくない人がこれを信じていれば大丈夫みたいな人や団体が存在している。これは昭和からある新興宗教のようなものだ。しかし、オンラインになって、宗教とは名乗らないサービスも増えてきた。

どのサービスにも一長一短はあるけれどこの人が一方的に喋ってることが100%正しいような、そのようなことを盲目的に信じている人がたは増えているような気がする、もちろんはこれは私の主観であって何の客観的根拠もないが

YouTubeにおいては一番わかりやすいだろう、YouTubeは多神教と一神教を混合している視聴者によってはバランス良くいろんなYouTuberを見ているケースもあれば、偏ったジャンルのYouTubeしかいない人もいるだろう。

こういった中良識的な層を除いては、人々は分断され、かつ動画投稿者のためへなんの利益にもならない、信者の合戦が繰り広げられている。

もっとも一番得するのは動画投稿者、即ちコンテンツクリエイターである。特に得するのは企画者で発案者である。資本主義社会においてますます格差は広がっている、それは動画投稿者とその登録者の間でも、である。

オンラインサロンはその上の投稿者を中心に回っているグループではあるものの頑張れば横のつながりも構成することが可能となっている。さまざまなコンテンツを見聞きし、そこから抽出し、普遍化し自分なりに咀嚼することが大切だと思う。盲目的に盲目的にそのコンテンツ提供者を信じることはコンテンツ提供者間での代理戦争に巻き込まれ、無駄に徒労に駆り出されることになる。

それを防ぐためには、様々なコンテンツを視聴し自分とコンテンツの意図を客観的に見れるようになりだり、労働力を浪費するのではなく、インフルエンザ同士のバトルに巻き込まれず自分で咀嚼して考える力がますます求められていると感じる



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