『華燭』(舟橋聖一著)を読んで
こんばんは、Frankです。
書籍の巻末にある、薀蓄のある書評を引用しながら、感想を述べさせていただきます。
◆
(須本一橋両家結婚披露宴は、今やデザートコースに入った。・・・)
こんな冒頭で始まるこの作品は、最初から最後まで「一末輩者」の披露宴での祝辞なのです。読み進めるうちに、新郎・新婦の両名を知る主人公の祝辞は際どさを増していく。
最初は掛け声も聞こえたが、次第にシンと水を打ったように静かになり、最後は罵声が飛んでくる始末。
盛大な華燭の典(かしょくのてん)、偕老洞穴(かいろうどうけつ)の契り、流汗淋漓(りゅうかんりんり)など、所々難しい言葉も飛び出すが、それがかえって作品の妙味を際立たせています。
最後に、誰もいなくなった披露宴会場の様子がかくも語られます。
(・・・時に会場は暗然として人なく、さしも皓々たりしシャンデリアの華燭もあますところ消え落ちていた・・・)
◆
私事で恐縮ですが、そういえば25年程前、生徒さんの結婚式に主賓として招待されたことがありました。お祝いとして渡したお金の大半がお車代で返ってきたので今でもよく覚えています。
実は主賓である私のスピーチが意外や意外、大うけしたのです。生徒さんは歯医者さんで、招待客の殆どが教授やお医者さんでした。
MC:「ではビジネスコンサルタントであり英語・スペイン語の講師もして
おられるFrank Yoshidaさんから一言、ご挨拶を頂きます」
場違いのモスグリーンのダブルのスーツを着た私は周りを見渡しながら徐に立ち、深呼吸してこう言い放ったのです。
私:「いやぁ、こんなに暗い結婚式は初めてです」
新郎の私の生徒さんには申し訳なかったですが、その結婚式は本当に暗くてまったく楽しくなかった。
私は単に本音を言っただけなんですが、これが大うけしました。会場が大爆笑でした。
過去の大作家が、遊び心で書いた『華燭』は、笑えるも、なんとも言えない寂寞感が漂う作品でした。
私のスピーチとは相容れない時代の違いを感じさせる言葉の節々。それでも出席者の場違い感は共通するものがあったのではないかと。
こうした時代錯誤感を味わうのも、文学に触れる妙味なんでしょう。
今宵のひと時、スマホから離れて温故知新に戯れては如何でしょうか。
【出典】実践文学の達人|『華燭』(舟橋聖一著)を読んで:
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?