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『とほぼえ』(内田百閒著)を読んで★★★

こんにちは、Frankです。

短編集の巻末にある、薀蓄のある書評を引用しながら、感想を述べさせていただきます。 書評にもある通り、内田百閒(うちだひゃっけん)といえば、夏目漱石の弟子で、『我が輩は猫である』の水瓶に落ちて死んだ猫を生き返らせ、再び大活躍させた『贋作我が輩は猫である』という傑作を書いています。

気難し屋で、頑固。1967年の12月、百閒は芸術院の会員に推薦される。芸術院の会員になれば、当時で60万円の年金が入るというのに、決して裕福とは言えなかった百閒は、それを断わったとか。

その理由が、「・・・サレドモ、ご辞退申し上げたい。ナゼカ。芸術院という会に入るのがイヤなのです。ナゼイヤカ。気が進まないから。ナゼ気が進まないか。イヤダカラ・・・」

この何とも、生理的に受け付けないというか、皆と同じことをするのが嫌いというか、私にも同じようなところがあるので、彼の芸術院辞退の話にはクスッと笑ってしまいました。

《初めての家によばれて来て、少し過ごしたかも知れない。主人はその先の四ツ辻まで送ってきた。気をつけて帰れと云ってくれた様だが、足許があぶなかしく見えたのだろう》

紹介する小説は、こんな冒頭で始まる、ちょっと不気味なお話しです。

主人公の「私」は帰宅途上、氷屋に立ち寄る。そこで「死んだ筈の●●が」と摩訶不思議な体験をする。

「私」が「さあ、もう帰るよ」というと「墓地から来たんでせうが」と氷屋の主人。 <頭から水をかぶったような体験をお望みの方には、 一読の価値があります>とは書評がうまく表現しています。

頑固者だった百閒の面白い掌編。文句なく★★★です。

【書籍】『名短篇、さらにあり』(ちくま文庫)
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【出典】実践文学の達人

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