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フランケンラジオ
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第144話:文字情報は汚れが目立つ

今日はすごく久しぶりに昔の小説をパラパラと読んでいたんですよ。
小説です。ビジネス書の類はどうしても、いろいろ頭使っちゃうんで、ぼけらーっとしたい時には小説は悪く無いんですよ。

田中芳樹、銀河英雄伝説。
頭空っぽにして読むタイプの本じゃ無いんだけど、人生で何回も読んでるから意外とぼーっとしながら読める。

で、その中でちょっと気になるフレーズを思い出しちゃった。
バグダッシュ中佐、諜報部、スパイですね。
そのバグダッシュ中佐が主人公のユリアンミンツ少尉にアドバイスするんですよ。
「世の中の情報は、全てなんらかのベクトルが付加されている。」
けだし名言ですよね。
ニュートラルな情報なんか、人間は発しないと言うのは1つの真理です。
すべての情報は、その情報を受け取った人間が、発信者にとって都合の良い行動を行うことを期待するベクトルが付加されている。
バグダッシュは、そのベクトルを丁寧に取り除くと、事実や真実に近いものが見えてくるって行ってましたよ。

その通りだって思います。

最近、いろんな人のプロパガンダを目にするような立場になって、強烈に思うんですけど、今言ったような「利権誘導などの作為的構造」は、文字で読ませるよりも、音声で聞かせる方が隠蔽しやすいと思う。だから詐欺師は文字ではなく音を使うんだろうなって思いますよ。多分、詐欺師のトークを文字に起こすと、騙される人はいなくなる。書かれた文章というものは情報の構造を明確にあぶり出すのだ。

だから、本を読まず、テレビやラジオなどの音声情報からのみ情報を取り入れるのは、極めて危険な行為だと言える。発信者にとって都合の良い思考ルーチンを無批判に刷り込まれる恐れがあるからだ。
テレビCMによって購買動向などが変わることなど、本来はとても恐ろしいことだ。
また、責任の所在のハッキリしない断片的な文字情報も、これらと変わりは無い。SNSなどのジャンク情報の一群はおそらくこの部類に入るだろう。

良きにせよ悪きにせよ、現代は情報に溢れている。
黙っていても目や耳に入ってくる情報だけで、膨大な旅になるため、自覚的には自ら情報を取捨選択している様な錯覚に陥る。
しかし、あえていうならば、パッシブに得られる情報には、なんらかの潜在的リスクあると考えた方が良い。情報インフラに設備投資と維持コストがかかっている限りにおいて、黙って垂れ流される情報は、誰かが付加したベクトルがベッタリと張り付いている。少なくともそれらの情報は、あなたのためにデザインされていない。従って、それを取り入れたあなたの無意識な行動の結果を、誰も担保などしてくれない。

情報とは、あくまでアクティブに、なんらかのコストを費やして収集する癖をつけなければならない。その態度を貫いたとき、自然と行き着く先は書物であることを再認識してもらえるだろう。必ずしも物理的な本ではなくて良い。しかし、発信者の邪な思考誘導を排除して、構造化された知の集積を行うには、恐らく書物によってしか不可能だろう。
逆説的に言えば、なんらかの情報から発信者の邪な汚染を取り除くのはほぼ不可能で、かろうじて文章化された情報では汚れが見つけやすい、ということだろう。

これは、恐らく文字化された文章が持つ「検索性」の高さに起因する。文字化された文章を読むときに、我々は前後の情報との整合性を確認しながら、理解のスピードに合わせて読むスピードを調整し、それまでの内容との一貫性を視認しながら読んでいる。文章に構造矛盾があるとすぐに気がつくのはこの検索性に支えられている。音になった情報というものは、自分の理解の深さと関係なく進んでしまう。前後数秒の内容を追いかけながら、様々な矛盾や嘘などを吟味することもできず、ただただ情報が頭の中に入ることを許してしまう。

だから情報は文章として目で読まなければならない。文章化され、自分で吟味したロジックを、構造として取り込まなければならない。そうすることで、あなたの持つ思考の構造は精度の高いものになるだろう。

コレ、よく考えたら、ラジオで言うことじゃ無いですね。
すいませんでした。
お詫びにテキストに起こして、一緒にアップします。
どうしよう、文字におこすと支離滅裂なこと言ってたら。

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