1.15 細かいところが気になる

(日記です。)

いつもこんなことを話しているわけではないという前置きをまずここに。

大阪にいるとき、なんやかんや会話していて、ふと兄が「音楽は言語の一種である」ということをいった。

はっきり違和感があって、そして、相手が兄だったので、「音楽は言語の一種ではないんじゃ?」と自分が言うと、「知ってるけど、わかるやん」という類の返答をし、うむ、まあわかる、という感じとなった。(いつもこういう会話をしているわけではない(二度目))

もはや説明が面倒なので図にしたがこういうことを言いたかったのだ。

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だいぶ雑な図だけど、伝わるだろうか。なにかイメージがあって、それを表現するための言語、音楽、美術などは同階層的ではあるものの、互いに排他的関係でしかなくて、(音楽である美術は存在しない、という関係)そのため音楽は言語の一種ではないという主張となった。もし音楽が言語の一種なら、音楽は「英語」などと同じリストに存在することになる。

というような、かなり微妙な細かいところがたまに気になる性格で、とくに、定義的なことについて話しているときによくなる。

以前、「クジラとイルカの違いは、サイズだけらしい」という話を聞いたときにも、「いや、それはイルカとして生まれて成長しクジラにもなりえる種があるだけで、(つまりイルカ∩クジラでありえる種がいる)、実際的には、イルカとして生まれて、イルカとして認識されない種の独特の”イルカ的特徴”はありえて、サイズで分けているのは、そのイルカ∩クジラ種においての話だけじゃ(ていうか、そう考えないと、イルカとクジラの顔が明確に異なるのが違和感)」というようなことを思ってしまい、(動物学的にこれが正確なのかは不明)我ながら、細かいことを言っているな、と感じた。(まあ実際は口には出さなかったけど)

こういうことをたまに考えている。なにも役に立たないような気もするが、集合論的にものごとを整理していくのは好きだ。(ある言葉が表す範囲の境界について、定義して整理すること)
そして、こういう細かい定義についてきっちりするのは、昔は悪癖寄りだと思って生きてきたけど、最近では、この思考法は意味あるな、と思うこともあるので、他人に迷惑をかけない限りは自由にやっていっている。

もちろん、普通の会話ではあまり細かいことは気にしません。また、自分は雑談においては曖昧な言葉遣いを連発する(「ヤバい」、「わかる」、「なるほど」等)タイプであるのでご了承ください。

以上です。

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