ラスベガスのカジノで、スロットマシンにひたすらお金を食わせた話
もう10年以上も前の話だ。家族をほったらかして、1人で4日間ほどラスベガスに行ったことがある。仕事でもなんでもない、プライベートでだ。
まだサラリーマンだった僕にとって、そんなまとまった休みを取れるのは夏休みか正月休みしかなかった。たまたま、正月休みに家族の予定が何もない年があったのだ。
「ラスベガスに行くのは夢だ。夢を叶えたい」
とダメ元で妻に伝えたところ、
「夢だったら仕方ないね。行っておいで」
と、とんでもなく寛容な反応が返ってきた。今も昔も妻にはどこかそういう、仏様のようなところがある。
僕がなぜラスベガスに行きたかったかと言えば、そんな大層なビジョンがあったわけではない。
浅田次郎の『オー・マイ・ガァッ!』『カッシーノ』といった小説・エッセイを読み、感化されたまでのことだ。実に単純極まりない。
なんとなく、その時ラスベガスに行くことができたら、メガバックスでジャックポットが出る気がしたのだ。細かな説明は省くが、数千万円から億を超える大当たりのことだ。
ともかく僕は、ラスベガスで夢のような4日間を過ごした。
ホテルはフラミンゴ。当然、映画『バグジー』も観ている。決して高級なホテルではないが、どうせギャンブルの合間に仮眠を取るためだけの部屋だ。
今はどうだか知らないが、ラスベガスではホテル代が異常に安かった。それでもホテルはリニューアルされ続け、豪華なサービスが提供され続けることと、ホテルには必ずカジノが併設されていることには関係性がありそうだ。
初日こそルーレットやらブラックジャックなどを試したが、だんだんコミュニケーションが面倒になってきた。僕はさほど、英語が堪能ではない。それ以上にそもそも、人としゃべるのが面倒なタチだ。
自然、気づけばスロットマシンばかりやっていた。ドルをマシンに「食わせて」スロットを回す。外れる、外れる、たまに小さく当たる。
ギャンブルというのは不思議なもので、やっているうちに「自分だけは勝てる」という変な自信が湧き出てくる。このマシンやホテルは誰のお金で作られているのだろうとは考えない。
バニーガールがカクテルを持ってくる。1ドルのチップを渡して、実質無料でそれを受け取って飲む。お金を食わせてマシンを回す。外れて外れて、ごくまれにわりと大きく当たる。
そうやってお金を食わせていると、お金がおもちゃに見えてくる。こんなものに今まで価値を感じていたのがバカみたいだ。ただの紙切れじゃないか。
100ドル札を食わせても、全く痛みを感じない。最後には勝つことがわかっているのだし。自分はこの世界の主人公なのだから、負けるはずがないのである。
事実、3日目までは勝っていた。ブッフェを食べたり、シルクドゥソレイユのショーをみても日本から持ってきたお金が全く減っていない。あと1日、やはり勝てる・・・。あとはジャックポットだけだ・・・。
そう考えたとき、ふと、不安に襲われた。せっかくラスベガスに来て、4日間もカジノで遊んで、ちょっとだけ勝って帰るなんてことが許されるのだろうか。
やはり大勝ちするか、もしくはすっからかんにならないと話としては面白くないのでは。器の小さい人間の遊び方として、後悔することになるのではないか。もちろん筋の通らない話だが、それを言うならこの話は最初からずっと筋なんか通っていない。
最終日、変わらずスロットマシンしかやらないが、少しだけ大きく勝負をすることにした。大きく勝つか、すっからかんか。そうは言ってもきっと自分は、ジャックポットを出してしまうことだろう。
1億円か。当てたらどうするか。一括でもらうのか分割か。日本に持ち込むときに税金はどうなるのだろうか。それ以前に、そんな大金を持って無事にこのラスベガスから出られるのだろうか。
ホテル側からめちゃくちゃ接待されて、酒池肉林の数日間を過ごすことになり気づけばすっからかんになるということなのかもしれない。当たったらすぐに、日本語がわかる弁護士を呼んでもらうか。
そんなことを考えながらマシンにドル札を食わせ続け、当然のように僕は・・・負けた。すっからかんになる前に我に返って「やーめた」となったところが実に器が小さい話だ。
宝くじは当たらないし、ジャックポットは出ない。なんだか自分にはそれが起こる気がしても、全ては気のせいだ。自分はこの世界の主人公ではないのかもしれない。
でもこれは、器の小さい僕の場合の話。あなただったら、どうだろうか?
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