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通貨取引で稼いだ歴史上の豪傑

通貨を「モノを買う道具」ではなく「投資の対象」として捉えていた!?三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎(1835-1885)が、巨万の富を得て事業を大成させるキッカケとなったのが、通貨取引だったことはご存じでしょうか。

時代は幕末、混乱する経済を立て直すため新政府は次々と改革を実施していきます。まず明治4年5月に統一貨幣制度に乗り出します。

それまで日本は時代ごと、また地域ごとに様々な貨幣が出現していたのですが、ここで今日、私たちが使っている新通貨「円」が誕生することになるのです。これまで流通していた金貨(両)は廃止となり、外貨と交換できるのは円だけと決められます。

さらに2ヶ月後の7月には廃藩置県を断行し、旧藩主たちは一斉に職を失うことになります。主を無くし路頭に迷うことになった旧藩士たちは、全国で200万人以上いたとされています。

領地も領民も新政府に取り上げられ、さぞかし不平不満を抱いていただろうと思いきや、、、意外にも多くの旧藩主たちが従順だった!?実は、その当時、各藩は幕末の動乱のなかで、膨れ上がった債務で財政危機に陥っていたのです。

両替商からこれ以上の借り入れもできず、外国商人たちからは借金返済の厳しい督促が・・・、また各藩が兌換保証を前提として領内で発行していた「藩札」の取付け騒ぎも頻繁に起きていました。

そんな絶体絶命のなかで新政府が提案してきたのが、借金と藩札の引き受けというものだったのです。窮地に立たされていた旧藩主たちにしてみれば、渡りに船といった感じだったのかもしれません。

その一方で、政令の内容に納得できないのが商人たち。これまでに商人が諸藩の大名に巨額に貸し付けていた、いわゆる「大名貸し」の債務が帳消しに!?つまり、貸し倒れとなってしまったことで、大手両替商が次々と没落することになりました。

当然ながら「藩札」の価値も軒並み暴落しており、紙切れ同然となったものも多くありました。何とか財政難を乗り切ろうと、無計画に大量発行していた藩もあったので、藩札を掴まされていた大勢の人たちはそれらが無価値になることを当然恐れました。

その「藩札」に目を付けたのが岩崎弥太郎。なんと十万両という莫大な借金をしてまで、各地で藩札を買い漁っていったのです。人々は皆、何だかよくわからないが、岩崎が紙切れを買ってくれるといって大喜びし、二束三文の安値で売り払います。

しかし、弥太郎は商売人です。借金までして勝ち目のないことはしません。そう、確信があったのです。実は、新政府の高官となっていた後藤象二郎から、藩札を政府が買い上げるという情報を入手していたのです。まさにインサイダー取引!今なら一発逮捕ですね。

後に思惑通り新政府に藩札を買い取らせた弥太郎は、短期間のうちに莫大な利益を手中にし事業を飛躍させたのです。まさに時代を席巻した豪傑です!当時は明確なルールもなかったので、まさに意表をつく財テクだったわけですね。

ちなみにインサイダー取引が刑事規制の対象となったのは、昭和63年の改正証券取引法が成立してからのこと。そう考えると、まだ最近のような気もしますね。もう少し早く生まれていれば・・・なんて思ってませんか?笑

ただ、法規制がないのを良いことに、上手く稼ぐ方法を見つけた弥太郎さんもスゴイけど、もはやガッチリ法規制されている現代において、現役で株で稼いでいる人はもっとスゴイと思います。

PS
本日7月12日(火)は「寅の日」です。あいにくの悪天候ではありますが、藤ノ井先生は信貴山へ参拝されたようです。今月も「今月の寅参り」コーナーで現地の様子をご報告していただきました。

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