大阪でライブに100人集めた時の話など
やほ、キツネカオリです。
またもや昔話シリーズです。
めちゃ長くなったので目次つくったし、
きになる項目あればつまみ読みしてくだされ。
「ワンマンライブに100人集客」って、きっと一般的に音楽を消費している人からしたらものすごくしょぼいレベルで、決してイキっていいレベルではないことは承知した上で書いてく
一般的な消費者がおもうアーティストといえば、zeppとか武道館とかドームとかを埋めるレベルのことなのではなかろうか。その規模感が一般的なの「普通」ラインなのだとおもう。
以前上京していた際に、渋谷でお世話になってたライブハウスの方に言われて印象的だった言葉がある。
20歳過ぎて芽が出ていない時点で凡人
「20歳過ぎてなんの芽も出ていない時点でおまえは凡人、才能なんてない。あのきゃりーぱみゅぱみゅだってジュニアアイドルからずっと芸歴があってやっと掴んだポジションなんだ」
そう、真面目だけが取り柄(というかほんとは全然真面目じゃないんだけど真面目でいないと居場所を確保できなかったゆえに息を潜めるしかなかった正真正銘の陰キャ)で同窓会とかで会っても「こんなやついたっけ?」と思われるくらい影も幸もうすいJKことわたしが高校卒業してとつぜん18歳から歌とかはじめちゃって、その言葉を聞いたときはもう23歳。絶望だ
小さい頃からピアノを習ってはいたけど、根が不真面目だからクラシックを弾き切る集中力もなく、家族の中でも音楽をやっているのは自分だけ。
自分に才能的なものはないことは薄々わかっていたのに謎に湧き上がる期待が捨てられず岡山から大阪に出て音楽系の専門学校に行って、小さい頃から養成所に通ってて歌も演技もばっちりできる同期を見たとき、得体の知れない謎の期待はすでに玉砕していた。アーメン
***
それなのに
気付いたら23歳のときには上京
このトチ狂った行動に至った理由は
22歳のときの成功体験にある。
陰キャコミュ障凡人のわたしが22歳のときに単独ライブでお客さんを100人集めたらしい。
他人事みたいに言っちゃうんだけど、いまだに振り返っても「あれ夢だったんじゃないかな」とおもうくらいありえない景色だったし、世間的にはきっと小さな規模なのだけど自分の中ではとても大きかった成功体験なので、そのときのことを書いていく。
***
客席ゼロの気まずいライブ
当時のライブでの集客は0〜2人とかだったとおもう。これ売れないバンドマンとか一回は経験したことあるだと思うんだけど、がらんどうの客席(0人)でPAさんに向かってライブをしたこともある。「なんだよこの時間...」とお互いに思っていたのではないかと推測される。気まずさMAX
そんな不毛なライブを繰り返してどんどんメンタルが死んで行って「地道に続けていればいつか報われるとか嘘」などとおもいはじめた。
そして、「100人集客できなかったら音楽やめて岡山に帰ります」とTwitterで宣言して、この企画が始まった。
***
宣言した当時の自分に送る言葉
勝手に帰れやメンヘラ。じぶんの人生の決断の言い訳に他人を使うな。もし集められなくて辞めたら来てくれた人が抱える罪悪感はどうなるんじゃい。「別れるなら死ぬ!」と言うメンヘラと同じ思考。そうやって自分のことしか考えてないから普段のライブから集客できひんねんバーカ!というかおまえ5年後も音楽やめられてないし、たぶん一生やめられないから!
100人なんて、気が遠くなる数字だ。イベントは10人集められたら大成功くらいの価値観だったのだから。10倍。でも言ってしまったからには今までと同じ方法では無理だと判断し、死に物狂いで策を練ってはみたものの、知能が低いから戦略なんて立てられない。
***
バカが取った戦略
フライヤーを300枚刷っていたるところで配り歩く。いつでも手売りできるように、人に会うときはチケット100枚を握り締めて出かける。チケットが売れるたびに目標までの残りチケット枚数をTwitterで報告。
もう必死で周りとか見えてないから手当たり次第だ。目の前に人間が現れたらタイミングとかあまり考えられずにアピってたので、ウザくてキモいやつだったとおもう。あのときは大変失礼しました
チケットは半年前くらいから売り始めたけど直前まで全然減らなくて、みんなが「これはコケるやろな〜」と思っていたとおもう。実際会場に来ていた知人に後から聞くと「正直無理やろなと思ってたw」と言っていた。
集客のことで頭がいっぱいになって中身がつまらなかったら話にならないので、当時の自分が思いあたるゴリゴリのバンドメンバーを無理言って揃えて、友達のダンサーに振り付けを依頼して、彼女が指導しているダンサーチームに出演してもらうなど中身の方も同時進行で作っていった。
でもやっぱ集客のことが気がかりでバンドスタジオでもあまり集中できていないことが多く、バンドメンバーのことはイラつかせてしまったとおもう。もっと的確に自分が指示をださなくてはならない部分で楽器陣の顔色をうかがったり、モタモタしてたり、うん、イラつかせていたとおもう。
彼らは直接的な言葉は投げて来なかったけど、おそらく本音は「なんかめっちゃ頑張りたい意気込みはわかるから手は貸してやるが、具体的にちゃんと指示せんとまとまらんぞ」だったとおもう。それでも「仕方ねえなあ」の精神でなんとかまとめてくれてほんとにありがとうございました助かりました
***
全部ひとりで背負うということ
当時セーブスポットとして鶴橋のBarにたびたび顔を出して近状報告をしたり常連のお客さんにチケットを売らせてもらったりしていたのだけど、そこのママが霊感強めの人で、「佳織ちゃんワンマンの挑戦してるとき心がずっと泣いてたなあ」と言っていたことをそこに通ってたお客さん経由で聞いた。終わるまでなんにもいわずただ見守ってくれてたのかも
実際、毎日毎日、自分の無力さや現実の無慈悲さを見せつけられているような感覚は絶望の連続だったし正直地獄だった。迫り来る日程と減らないチケットを毎晩ひとりで数えてはあらゆる計算をして焦る日々。
それでも動き始めたものは壊れるか最後までやり切るかでしか止めることができないし、焦りと執念を原動力に、最後は「なるようになれ!えいや!」という投げやりモードも混じりながら走りきった。たしかにトラウマ級にしんどかったのだけど、意外と壊れないことも知った。
当日さえスベらなければそれまでの集客でいくらスベっても、恥をかいても、もういい、やれることをやり尽くそうという精神だった。
だからこそ、本番中はワンピースのウソップがビビってるとき級に膝が震えていたのだろう。
当然ながら100人集めることに成功したら終わりというわけではない。最終的に本番にすべての責任がのしかかってくる。
経験上、体感的に100人くらいの規模がいちばん緊張する。規模感は10~4万キャパまで経験はしているが、ひとりひとりの存在をしっかり「生身の人間」として認識できる最大規模が100前後という感覚。自分が直接動き回って集めて来た100人だったから全員が知り合いだったというのも大きかった。
オーディションを手当たり次第に受けていた時期を思い出してみると、オーディションでは審査員3人〜10人くらいに厳しい目でジロジロ見られる。しかしワンマンはそれより緊張していた感覚がある。これはなぜなのか考えてみた。
結果、業界の人間だとある程度「ああ、緊張してるな」みたいな演者側の視点を持っている場合が多いからではないかと推測。それに比べると、「ただ純粋に、専門知識もとくになく音楽を消費する人」からのジャッジのほうがある意味厳しいとも言える。専門家じゃない人間にいかに伝えるかの方が肝心だとおもうからこそ余計に体が強張っていた。
曲を披露しているときは没入しているので感覚が朧げで視線はあまり気にならないけど、MCをするときなんかは200個の目が集中してこちらの言葉を待っているのがわかる。あとでDVDを見返すとかなり頭真っ白で喋ってる感じだった。(このDVDは100枚限定制作して完売済)
恥ずかしすぎて全編公開はできないので、
編集して一部だけYouTubeにあげてます。
***
実はいまでもあまり実感がない
バンドやユニットを組んでいたらメンバーとなにか分かち合うことはできたかもしれないし、定期的に語り合ってあの日のことを思い出したりして実感を持てていたのかもしれない。ただこの企画は自分が発案してすべての指揮をひとりで取り仕切っていた状態だったので、終われば全員解散。
その後その勢いで上京したこともあり、このライブをしたことを思い出す頻度も落ちたし、お祭りみたいな当日はほんとうに一瞬で、また何事もなかったかのような顔をしてみんな日常に戻っていったので、冒頭のほうでも書いたけど、まさに夢みたいな嘘みたいな時間。たしかに映像や記憶は断片的に残っているのだけど。
***
東京では100人集めたことがない
上京してからもワンマンライブは半年ごとに開催していて、たしかそれぞれ30~40人ほど集客していたとおもう。人口は大阪より多いのに、ちょっと気合いが足りてなかったのでは?とおもってしまう。
思い返してみると、その年は年間100本ライブをしていた。ワンマンの集客について同時進行で考える余裕がなかったということと、大阪には4年住んでいたぶん知り合いの数が蓄積されていて、その関係性の力でギリギリなんとか達成させてもらえたのだろうなとおもう。
***
もっかい夢が見たくなってしまった
ことし2019年、
10/20(日)にワンマンをやります。
吉音佳織あらためキツネカオリとして
初のワンマンになります。
これも普通にただやるんじゃつまらない。
やっぱ告知の段階からライブは始まっている
わたしはそんなふうに考えます。
今回は集客目標は定めず「短期間で集められるだけ人を集めるためにできること思いつくことやってったら何人集まるのか?」という実験的思考で取り組んでみたい。そして、わたしが考えた今回のバカな作戦を聞いて欲しい。
チケット代を0円にする
正確には後払いシステム。
でも0円でもかまわないとおもっている。
「すべては自己責任」そして「全てが終わるまで安心などできない制約」それが人間の底力を引き出すことをわたしは知っている。
自分自身もミュージシャンのライブにお金を払って行く機会があるのだけど、「正直、チケ代高いなあ」「これでこの金額は安いな」みたいなリアルな感想を抱きながらお金を払っているし、この感覚ってみんな持ってるはず。
そして、
「いきたいけど今月厳しい、チケ代キツい...」みたいな理由で見送ってしまったライブもあるし、ちょっと無理して出費して参戦したライブの満足度がチケット代に見合わなかったときになんともいえぬ気持ちになった人もいるはず。
こういう気持ちを味わってほしくないというのと、自分のライブの正規の値段って実際どのくらいに感じてもらえるのかちゃんと受け止めて次の成長に繋げていきたいという意図もある。
あと、台湾でバスに乗った時の出来事にも影響されている。
「乗りたいけどお金が...」といっている乗客に運転手が「いいから乗れ乗れ!」と言っていて乗せちゃってたんよね。でも正規の料金で乗っている乗客がタダ乗りした乗客に不平不満を言うということもなかった。
「あ、おもしろい」
「これで社会回せるのか」
というふうにおもってしまった。
つまり「払いたい人や、払える人が払う」という仕組み。「払えない人に価値がない」というふうには思わないし、タダでも要らないものは要らないだろうから0円にしようが興味ないひとからしたら選択肢にすら入らないだろうし、「チケ代キツイけどライブには興味ある!」という芽があるかもしれないのに体験してもらうことなくこちらから金銭的に参加ハードル上げるのって、なんだかもったいないと感じた。
それとライブハウスって自分が演者じゃなかったら行くのに勇気のいる場所だと思っていて。
場所にもよるけど、スタッフは無愛想な人が多いし(基本ただコミュ障で不器用なだけだったりするんだけど見た目が怖いひと多いし見慣れてないとMPが削られる)場所に慣れてない人を仲間外れにして話のわかる人間だけでつるむような空気感もわたしは得意じゃない。
自分がもともと人見知りしやすいほうだから余計に考えてしまうのかもしれないけど、ああいう細かい1つ1つの対応がけっこうメンタルに来るような気がしている。勇気を出してお金払って、しんどい気持ちになったら、そりゃもう二度といきたくなくなる。
そしてわたしは完全に無名だし野生だし、消費者サイドからみればどうみてもよくわからない存在だし、「ライブミュージシャンのワンマンライブの相場が2500円~3000円だ」とか言われても、それは界隈の事情とか知らない消費者に押し付けることではないのではともおもうし、行ったことない人からしたらチケ代見た時点で「高い」と思うのが正常な感覚だとおもうし、そもそもわたしだってよくわからん人間に対して1円だって投げたくない。
そんなことを考えたので、今回のワンマンは、
スリリングな実験として、そして遊びとして実施しようとおもった
この0円企画、ドリンク代は一杯分かかるけど
「時間の無駄だった!」と感じた方にはドリンク代も返金する。つまり
ガチの0円で体験可能システム
赤字になったときのことは
赤字になったとき考えよう
何が起きるか見てみたいな
長くなったので詳細は後日
ここまでで興味湧いた人は
10/20日のお昼、なんとなく空けといて
おまけ
今作ってるフライヤー案はこんな感じ
2019.07.12 キツネカオリ
サポートするとキツネカオリを育成することができます。 「たまごっち!」みたいなもんです。