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2019.05.27 スーパーカップはラクトアイス界の王様

キツネカオリです。

アイスは年中美味しいけど、やっぱ夏の暑い日にたべるアイスは、うまうまのうまなんですね。

いま住んでるシェアハウスには冷房がなく、まだ5月なのに日中は体ごと溶けてしまいそうなほどに暑い。

今日のお供はこやつです。

ブルーベリーヨーグルトがもともと好きなのでコンビニでもよく買います。冷凍ミックスベリーとプレーンのヨーグルトを買って混ぜて食べるのもすきです。おいしいから。


そして、スーパーカップのことをラクトアイス界の王のだと思っているので、新しい味を見かけたらとりあえず買ってしまう。


アイスって冷凍食品だから、味の再現が難しいと思うわけです。口に入れて溶けていく過程でまったりとしたヨーグルトのまろやかさとブルーベリーの風味が再現されていることを感じたときは「あゝmeiji…」という気持ちでしたね。

meijiさん、いつもおいしいアイスをありがとうございます。

これからもお世話になります。

もちろんハーゲンダッツをいただきたい日もあるし、雪見だいふくがおいしい日もある。アイスの実もすきだし、ピノの気分の日もある。


きょうはスーパーカップのブルーベリーヨーグルトが間違いなくわたしを呼んでいたと思ったから、「キミに決めた!」というかんじ。



この記事で伝えたかったのは、こういう何気ない幸せのひとつひとつに対して素通りしないようにしていくと、なんでもない日にも満足感の花が咲くんだなあと感じたこと。


うれしいことメモをしている人はけっこういると思うんだけど、「アイス美味しかった」までで終わっている人が大多数なのではないかと思ったのだ。


「どうして今日はそのアイスを選んだのか」「自分はどんな状態で食べるのが好きなのか」「どの部分に惹かれたのか」など、要素を細分化していくとより自分の思考がわかってきたりする。


その「要素の細分化」を日常的にしている人としていない人のちがいは、会ってコミュニケーションを取ったときにけっこう出てくる。どんな質問をするか、どんな解答をするか、その日までに自問自答してきたことが対人になったときに現れやすい。


なんだか楽器のセッションにも似ている。持ってる手数や濃度の違いがプレイに現れる。会話でも、日頃から思考錯誤しているひとほど鋭い質問や印象的な解答を手数として「用意してたのかなあ」と感じる場面に遭遇する。


嬉しいことだけではなく、悲しいことや不安な気持ちも細分化していくことで見えてくるものがある。


経験上、むやみやたらに病んでいる人ほど細分化が苦手な傾向がある。彼らは考えることを放棄して「病む」という選択をしてしまっているとも言える。


自分自身むやみやたらに病んでいた時期があったから思い出すのだけど、当時はなにをしても0か100か、白か黒かでしか判別できず、自分にダメの烙印を押しまくっていた。


小さくは前に進んでいたはずなのに、ものごとに対する解像度の低いあまり、小さな前進を見逃して「こんなんじゃダメ」と不要な自責で自分をダメにしていた。


「細分化」は、問題解決の役に立つ。

「大きな問題」は「小さな問題の集合体」だから。



分解して、ひとつひとつを自分の手に負えるサイズまで小さくして、ひとつずつ取り組めば、終わりが見えてくる。


繰り返すと、自分の好きなものや苦手なものに対するアンテナが敏感になっていく。満足感にありつきやすくなったり、嫌いなものとの遭遇を回避することに役立つ。


自分の好きなものごとを詳細に認識していれば、他人にも詳細に語ることができる。それぞれのフェチが語らずして伝わるなんてきわめて稀なこと。


そうして、好きなもの、やりたいことが多くの人に認知されていると、「そういえばあいつ、これが好きだったっけ」とふと思い出す人が増えていく。


この繰り返しが、好きなものごとが自分のもとに集まってきて、好きに囲まれて生きられる自分に向かうサイクルの源。


「引き寄せの法則」などの言葉を使うとちょっと胡散臭いイメージを持ってしまう人もいるけど、欲しいものを理解して正直になってやっと何をすべきかが見えてくる。


しかし、それを正直にやった人間は、周りから嫌われてしまうことが多い。それは、さまざまな理由でそれだけ正直になることができない人、もしくは自分がほんとうに欲しいものがわからないでいる人がたくさんいることを意味するのではなかろうか。


みんなが自分の欲求に正直になって、敏感になって、欲しいものを伝えられる未来が来たら、もっといろんなことを認め合える世界になるのかな。

ということで、ほしい物リストをつくってみるなどしてみた。

こういうものがあれば生きていけるんだなあ、という確認にもなった。
(食料と掃除用品ばかりで主婦のようである)



わたしはモノに縛られて身動きが取れなくなることに苦手意識があるので、なにかをもらう場合は、消耗品や日用品をもらうのが好きだ。使う頻度も多いし、使うたびにくれた人のことを考えることができる。あと、なくなってしまうものは時の流れや侘び寂びみたいなものも感じられて、エモい。


令和は、欲しいものリストをみんなが当たり前に公開するようになったらいいな。あげる方はなにか贈りたい気持ちを無駄にしないで済むし、貰う方もほんとうに必要だと思っているものが貰える。


なにかをあげたり貰ったりするときに「気づかい」の部分で消費しないで済む、とても合理的なシステム。



ただ、同情を買うような方法で物乞い的に誘導するとかは軽犯罪法にひっかかる場合もあるみたいなので、使う人はそのあたり確認しておいた方がよさそうです。


アイスについて書いてたのに謎の展開をしてしまった、こんな日もある。


おしまーい

2019.05.27 キツネカオリ


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