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人生のおせんたく

小さいころから絵を描くのが好きで、イラストに携わる仕事がしたいと思った。真剣に将来の進路を考えだした高校生のころ、
「イラストレーターという職を目指して勉強したとして、本当にイラストレーターになれて尚且つ経済的に自立した大人になれるのだろうか?」

十代半ばとしてはなかなか現実が見えているではないか。学校で技術は学べるとして、お金を生み出せるほどのセンスが私にあるのだろうか?と考えた時、イマジナリー自己否定が「イラストだけで食ってくのは難しいと思う。絵を褒めてもらえることは確かに多いけど、所詮は井の中の蛙だと思う。お前なんて。」うるさいな。「お前なんて。」わかったって。

でも、正直ほかにやりたいことなんてない。そこで視野を広げて近しい職業を探して、見つけたのが「グラフィックデザイナー」。仕事内容は広告やチラシ、パンフレット等を制作すること。なるほど、こういう仕事があるんだ。グラフィックデザインを勉強すればイラストの近くで仕事ができて、きっと役に立つ。

お選択その1:好きなことで働きたい
デザインの専門学校に入って、グラフィックデザイン専攻でイラレやフォトショの使い方を学んだ。在学中にデザイン事務所でバイトをし始めて、卒業後はそのままヌルっとバイト先に就職した。デザイン事務所で働けたことは良い経験となったが、今まで手のひらにあったのにスッと消えたものがあった。「自由時間」である。デザイン業界あるあるだが、労働基準法は都市伝説という感覚で、残業と休日出勤で自由時間のほとんどが勤務時間にすり替わった。展示会の誘いや友人からの遊びの誘いを断り続けた。
そんなときに祖母が亡くなった。小さいころに祖母の似顔絵を描いたら何かで賞をもらって、それを大変喜んだ祖母は居間のよく見える場所に私の書いた似顔絵を飾っておいてくれた。自分の絵を飾られているのが誇らしかったし、そうしてくれた祖母が大好きだった。通夜葬式は出席したが祖母の死後一年が経ち、今度は祖母の一周忌に出席するため休暇をもらうべく会社の上司にお願いをしたが「忙しいから無理」の一言で受け付けてもらえなかった。好きなことに近い仕事を選んだはずなのに、好きなことから引き離されて行っている気がして、この職場で働き続けることの嫌悪感が浮き彫りになった。

お選択その2:とりあえず食べれりゃいい
小さい職場だったので、新卒とはいえ自分が退職をすれば業務が回らなくなるのでは、と勝手に責任を自分に押し付けた。そうして会社を抜け出せず残業は増えていくばかりでいろんなことに対して興味もやる気もなくなった。
ある晩、唐突に姉から電話がかかってきて、姉行きつけの飲食店に呼び出された。そこには姉のお友達がいて、私に何度も念押しで語った。
「会社や仕事をどうやって回して運営していくかは社長が考えることなの。あなたが考えることじゃないの。」
確かにそれはそうだ。むしろ、私を苦しめる会社ならいっそ潰れてしまえ。隕石とか落ちろ。ゴジラに踏まれろ。予期せぬ理由でイラレ終了しろ。
私の中のアグレッシブメンタルが爆誕した。

求人サイトは毎日更新だ。デザイン以外の仕事なんていくらでもある。吐きそうになりながら会社を退職し、派遣スタッフ登録をし、食品製造業の会社で働き始めた。そこは常に定時で仕事が終わる職場だった。残業と休日出勤が無くなったことで自由時間を取り戻した。展示会に出展したり、雑貨を作ったりして好きなことも充実してきた。そうして働き始めて1年が過ぎると「あぁ、前にやったコレね」と前年乗り越えた業務に再会し始めた。会社の仕事というのは月毎・季節毎のイベントのくり返しである。そのときふと、「これを何度もずっと繰り返して、そして死んでしまうのか」とも思った。ふと思いついてからお迎えまでがマッハ過ぎ。どこでもドアで墓場まで行ったんか。
でも目上の方たちはみんな口をそろえて言う。「30過ぎたら早いし、40なんてあっという間よ。」いや、このまま年老いていくなんて、なんだかつまらないじゃないか。生きとし生けるもの皆いつか終わる、終わったら終わり。なんか、新しいことやろう。

お選択その3:死ぬ前にやっとこう
食品製造業の契約期間が終わったタイミングで自宅を整理して家具家電を処分し、段ボール箱二つとキャリーバック1個で放浪のジョブホッパーとなった。農作業のヘルパーとしてスイカやトマトの世話をした。スキー場のリフトスタッフとして飛行機のパイロットからバッチをもらった(過去記事を参照)。温泉旅館で布団を敷き、大浴場の清掃をした。お高いホテルの厨房でコース料理の盛り付けをやった。スキー場のリフトスタッフ(1年ぶり2度目、別山)として除雪に勤しんだ。ホテルの厨房で軽調理をした。
20代半ばでいろんな場所でいろんな人に会って、いろんな話が聞けたし貴重な体験ができて、人生楽しんでいた。

しかしまたしても休日不足・残業過多という諸悪の根源にぶち当たった。ホテルの洗い場でひたすら皿を洗っていたが圧倒的な人手不足な上にポンコツ上司までコンボしてしまったためここで自律神経が行方不明に。傾いて回る床、止まらない涙、狭まる気管、壊れ続ける胃腸、どんどん落ちる体重。
心療内科でカルテに「鬱」と書かれ、お薬が処方された。派遣元に鬱になってしまったので退職させて欲しいと泣きながら電話でお願いしたら「は?やる気あんの?契約したからには最後まで働いて?」とオーバーキル食らった。

仕事の一つもまともにできないとは、生き恥だと思った。死にたいとかじゃなく、最初からいなかったことにして欲しかった。荷物を全部おいて、スマホも財布も置いて、すっといなくなってやろう。当時住んでいた社員寮から出て行こうと思い立ち上がったとき、イマジナリー心配性がささやいた。
「荷物置いて行ったら、後で両親がここまで取りに来るんじゃない?」
冷静に考えればそんなもん社員寮の管理者が着払いで送りつけて終わりだろ、ってなるけど運良く冷静にならなかった。「それは両親に対して迷惑すぎるな。実家からここまで結構遠いし。なんとかして持って帰って自分で処理しなくては。」って迷惑の方向性をかなり間違えた結論が出た。結果オーライ。薬飲みながらなんとか契約期間を全うし、荷物をかき集めて実家に帰った。

お選択その4:再起動
姉が里帰り出産するため子供と二人で実家に戻ってきていた。社会のお荷物と私のお荷物が実家に到着した時、姉は無事にお元気赤さんをリリースして退院しており、両親に助けてもらいながら実家で生まれたての赤さんとハッスル2歳児と過ごしていた。鬱休養のつもりで実家に帰ってきた私だが、ハッスル2歳児はそんなこと気にしない。毎朝起こしにきたし、私が自分の部屋で過ごそうもんならおままごとの道具を持ってやってきた。お風呂の時間になると脱衣所まで運んでもらおうと脱衣所の横を駆け抜けて私の部屋まで来た。さすがに生まれたて赤さんが私の部屋まで走ってくることはなかったが、泣いてる赤さんを姉や母から急に渡されることが多々あった。生後間もない赤さんとしても築26年のお荷物に全身を預けるとは不安の極みだろう。しかし私の胡坐にスポッと納まると赤さんはピタッと泣き止んでドヤ顔でくつろぎ始めるのだった。そうして社会のお荷物は家庭内託児所に昇格した。自分は何もできないという考えに囚われていたが、できることはある。メイッコ達が役割を(半強制的に)与えてくれたことで立ち止まってションボリしていたアグレッシブメンタルが顔を上げた。やっと出番きた?
産後の体調が落ち着いた姉が迎えに来た旦那さんと自宅に帰って行った後、私は家庭内託児所の仕事がなくなったので、家庭外で仕事を探すことにした。

お選択その5:使える経験値
鬱とは付き合っていかなきゃいけない。ということは、やはり残業なしでしっかり休みが取れる健康的な時間に働けることが重要である。かつ、アラサーの称号を持っている私には、そろそろ広く使える経験と知識が必要だと考えた。エクセルみたいなオフィスソフトを使えるようになろう。そうして転職した先では人事・総務事務をやることになった。業務効率化のためにエクセルの関数の使い方をネットで調べまくり、マクロも少し覚えた。人事で使う用の資料の作成なんかお手のもの。資料で使うイラスト?アイコン?ロゴ?無いなら描けばいいじゃない。そして職場の主任とベテランパートさんから惜しみなく仕事を教えてもらったおかげで電話も来客対応も、社会保険も年末調整もできるようになった。だが問題は何度でも発生する。仕事は鬼のように増えて行って残業が増えた。お給料は残業代が増えただけで基本給はたいして変わらない。加えて同じ会社で仕事を続けると、嫌な部分がよく見える。それを解決しようとあれこれやったけど、結局は会社のトップ層が動かなければ平社員の努力なんてどうにもならない。まぁ、この場所で吸える知識は吸い切った。ここで平社員がもっている最強ジョーカー、退職願いを使ってやろうじゃないか。労働基準法を知り、就業規則を読んでいる私はしっかり規則に合うよう退職願を出した。色々学んだ恩もあるので、業務マニュアルもがっちりつくったよ、お得意の資料作成で。ただ、マクロは部署内で他にできる人いないからそのうち使えなくなるだろう。でもいいの。そのあとどうするかは、社長が考えることだからね。

自分の過去を洗い出してみると選択の機会が多いこと。でも機会が多いことと何を選んだかは正直どうだっていい。何を選ぼうがそれの対してどう向き合って何を得るかが大事なのだから。茨の道も自分で整地して芝生引いてハンモックでも吊るしとけば大正解ロードになる。
今は5年目の正社員という肩書きをぶん投げて派遣になり、派遣先で社内ニートという新しい荒野に住んでいるところですけど、この荒野が栄えるように、新しく始めた試みの一つがnoteってわけ。

絵を描いて、文章書いて、モノ作りして。二足でも三足でも草鞋をこさえて行こうと思ってますわ。
お選択その6:草鞋職人 でいきましょ。

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