個人による放置ゲームの開発:コンセプト


要点:

・日本語圏で商用展開されている放置要素はリテンションとして機能する補完的なものであり、それ自体に魅力があるものではなく、その放置要素は主軸になり得ない。
・ガチャ要素を引いたソーシャルゲームは、グラフィックやゲーム要素がたとえ貧相であってもとても面白い。放置要素由来の面白さではない。
・商用ソシャゲの土俵に上がらないポジショニングが大切。
・ソースコード1000行未満で面白いゲームプロトを作ろう。物量に頼る事なかれ。


これは、特に冒険者ギルド物語2のクローンゲームを作ろうと考えている人達に捧げる言葉である。
釈迦に説法とはなるが、限られたリソースを少しでも効率よく開発に貢献する役に立てばと考えている。

ゲームを作る、となる時に、どんなゲームにするのか?はとても大切である。見切り発車でも良いかもしれない。しかし、面白さのツボを履き違えた状態では、ある程度作り込んでテストプレイの時にギャップに絶望する事になりかねない。
 
これらはすべて筆者の主観であり、個人の見解を述べているに過ぎない。

放置ゲームという言葉の曖昧さ

広義の意味での放置ゲームとして捉えると、遠征要素のある原神も放置ゲームにカテゴリする事も可能なほど広げる事も出来る。
既存のソーシャルゲームのデイリーボーナスやログインボーナスを、放置自動周回したボーナスであると言葉を定義し直すだけでほとんど全てのソーシャルゲームが放置ゲームであるとも呼ぶことができてしまう。
いや、広義の定義となると、デイリーボーナスやログインボーナスそのものも放置することで得られるリソースである為、放置ゲームに堂々と分類してしまえるだろう。
配布された大量な魔法石を使ってガチャを回して超レア装備を手に入れるのと、放置周回して超レア装備を手に入れるのとでなにが違う?突き詰めていくと、その境界はフレーバーのような位置付けで、曖昧なものでしか無くなってくる。

厄介な事に、商用普及していて放置ゲームと称されるゲームは時間拘束が強く、非放置ゲームよりも心理的余裕の無いものがある。ゲームのメイン進行が完全自動となると、リテンションを維持するためにはこまめなゲームの起動をさせるという流れになるようだ。ただ、非放置ゲームであっても戦闘をオートバトルにして淡々とこなす機能が含まれているものも少なく無い。その境界はあるのだろうか? 彼らが言う放置要素は、ただの補助機能の呼称なのではないか?

この土俵に足を踏み入れてしまうと、莫大な人的資源と予算、潤沢な開発環境を整備し、原神を超える規模の部隊を編成して最新技術を惜しみもなく注ぎ込み開発する人たちとぶつかる事になる。消費者は個人開発かどうかなんて関心はないし、それを言い訳にされるぐらいなら個人開発ゲームを避ける。

放置かどうかが曖昧な線引きの世界、大手弩級のゲームが補助的に放置要素を追加しただけで差別化要因がなくなるような位置付けのゲームを開発するのはお勧めできないと考える。

一般的なソーシャルゲームからガチャ要素が引かれたゲームはとても面白い

この点がはとても大切である。ガチャでした手に入れることが出来ない希少なリソースが、通常のプレイでも稀に手に入る仕様となり、課金圧が無くなると神ゲーのようにやり込める、これは殆どのガチャゲームがにも言えるのでは無いかと考えている。商業的に成り立たせるためにゲーム体験がマイナスになるのを覚悟の上で、ガチャ要素を加えている。

具体例として、冒険者ギルド物語2がある。あのゲームが楽しい、素晴らしいのは放置ゲームだから?本当にそうだろうか?

他にも個人開発で優良なインディー系放置ゲームがいくつもある(ゆけ勇者、僕の魔界を救って、宇宙戦艦大作戦、アルテスノート等)。それらはガチャ要素がない特徴がある。だから放置ゲームは楽しいと思いだろうが?

ガチャ要素なく課金圧もほぼ無い環境下で遊べる事による楽しさ。という要素を忘れてはならない。
公平を期すために、他のガチャゲームからガチャ要素を取り除いてゲームバランスを変えたものを考えて欲しい。過去、リリースからガチャで追加されていったリソースが少しづつ、ステージクリアにより揃っていくと言うバランスを考えて欲しい。
パズドラであれば、ガチャ無しでダンジョンクリアによりガチャ産キャラを手に入れられる、そんな事を12年前のバランスから今に至るまでを追体験をできる感じだ。
そのパズドラのビルドパズルから、ゲーム進行時のパズル要素を排除し、ゲーム進行が完全に自動化したものが、冒険者ギルド物語2の世界と近しい位置付けのものとなる。

本当に”その”放置ゲームが楽しいと言えるのだろうか? “その”放置要素を加えない(アクティブなプレイ要素を排除しない)方が楽しいのでは無いか?

もう一つ。商用普及している放置ゲームと呼ばれているゲームの中に放置少女というものがある。ガチャ要素が含まれた放置ゲームだ。
あのゲームは放置という名はあるが、時間拘束が厳しく、毎日決まった時間にアクセスして仕事をこなさいと、ゲームをしている他の仲間に迷惑が掛かる。

そしてゲームバランスは大味だ。金をかければ強くなる。金をかけなくてもきちんと時間を掛ければ強くできる要因はあるが。

この路線を目指しているなら、中華系のストアに行き放置系で検索するといい。数十ほどの、放置系クローンゲームが乱立している。日本語や英語に訳されていない、ローカル向けのコアな放置ゲームもたくさんある。
この放置少女系統のゲームは中華系ルーツと考えており、また中国国内で多様なバリアントがある。

特にローカル系クローンでは、ガチャの要素のない個人開発の良質な放置ゲームもいくつか存在する。ガチャの無い放置少女を実際に体験する事が出来る。クリッカー系要素が強いが、わりかし面白い。難点はコミュニティが見つからず、攻略情報が全然見つからない点だ。

ガチャ要素がない、採算度外視の個人開発ゲームは見た目が貧相で荒削りの部分も多く、言語の厚いにも関わらず、ものすごく面白いと感じる。
 ガチャの有無で楽しさが変わる体験を実際にすると、この節の意図がより鮮明に感じられるだろう。

ビルドゲームとしての放置ゲーム

冒険者ギルド物語2の魅力はやはりそのビルドの奥深さであろう。20を超える装備枠を持ち、たとえば鎧を10個着込むビルドもできてしまう自由度でありながらゲームとして成り立つそのバランスは大変素晴らしい。
この要素は、戦闘が自動進行されるゲームよりも、インタラクティブにゲームをプレイできるゲームの方が相性がいいと考えている。放置ゲームとしての要素は、突き詰めて考えていくとマイナスの自由度となり、またゲーム展開のフィードバックの欠如により、そのビルドがどんな展開となり、なにが原因で負けたのか/勝ったのかの分析が怠ってしまいがちで、それがゲーム体験の欠如に繋がり、「なにが面白いかわからない」という反応に繋がってしまう。

ゲーム展開がログを追いかける事による限界

膨大なログのうち、キーとなる場面は限られている。ダイジェスト機能のように、決定的なシーンを切り抜きして、なにが原因でやられたのか、と言ったことがわかるような細かい作り込みが必要だろう。統計的なデータ提供も、分析のとっかかりとして必要になってくるだろう。

しかし、コアなゲーマーにとっては必要だが、誰もがはじめは初心者のエンジョイ勢である。ゲーム展開がグラフィカルに展開されない・ログを能動的に追いかける必要があるのはマイナスに働いてしまう。
1度クリアしたら戦闘のスキップ機能が出てくる、周回を沢山した体で報酬がもらえる(メギド72など)というような機能のように、一度プレイ体験を経る動線が無くてはならない。

放置ゲームとして引き算で削った戦闘シーンが負債になる

そして戦闘内容の視聴、グラフィカルな再生機能を含めるとなると、それはもはや量産型の一般ソシャゲと同じ土俵に立つ事を意味し、演出の弱さがそのまま作品のクオリティの低さに直結してしまう事態に至る。


テキストゲームとしてのプロトを作る

コンセプトを思いついたら、まずテキストベースでコア部分を作り上げてみると良いだろう。
1000行に満たないコードで面白いこれやりたい!と感じる要素があるのが望ましい。複雑化していくと、手戻りに時間がかかり厳しいものになっていく。早い段階でアセスメントを実施し、廃止か継続かを決めて見切っていったほうがいい。
土台がひどくても、物量で押し切る事で楽しさに無理やり持っていく事もできるが、モチベ的な意味でもおすすめができない。心の底から楽しいと思える根幹を持つゲームを作り込んでいくべきだ。
 

コマンドプロンプトベースで小さく開発。テキスト入力でコマンド指示し、結果をテキストベースで返してくる、そんな仕組みだ。放置ゲームだから時間経過が…と思われるかもしれないが、それはただのリソースの1つとして存在するにすぎず、時間の概念は後から如何様にもなるので気にしなくても問題ない。気にするのであれば、5分後のログ、30分後のログというようにタイムスタンプを含めたログを返すようにし、実装レベルではそのタイムスタンプに従いログを表示していくというのもあるだろう。

将来的にグラフィカルなUIを実装するにしても、根幹のデータ交換はこの仕様であればそのまま仕組みを維持することができる。端末駆動であれ、サーバ駆動であれ、どちらにも転用が効く。
特に、思いついた面白いゲームシステムが、本当に面白いのかを評価することがとても大切である。
コマンドプロンプトベースであれば、たとえば1週間前後でプロトタイプの冒ギルライクの戦闘エンジンが開発できる。

そのコンセプトを試してみて、膨大なマスタデータがないと面白みがないと感じたら黄色信号。物量によらないと楽しく無い仕様となると、差別化要因がリソースの大量投入となり、個人開発と相性が悪い。物量による楽しさは補完的な位置付けであるべきだ。

繰り返し書いてあるが、物量による楽しさを排除した状態で楽しさを評価する必要がある。「それを毎日、何年も繰り返して楽しいですか?飽きませんか」にYesでないとならない。
Noだと、飽きさせないために物量(コンテンツ追加、イベント開催等)を絶えず供給し続けないといけないということを意味するからだ。

ハックアンドスラッシュによらないゲーム性

ずっと戦いづけてるの変じゃ無いか?
戦うという行為が盛り上がる要素であり、目玉になるとしてもだ。戦いに至るまでのプロセスや必要性の説明がきちんと付いていればいい。ただ延々と機械的に戦い続けるものになんの意義がある?

これは、Godvilleをプレイし出して感じ始めた感想である。Godvilleも道中敵やボスとの戦いがあるが、大半は道を歩いてランダムイベントが起きたり、街で休憩したり散財したり、アイテムを売却したり寝てたり、、という事をする。
未プレイ者にしてみると、殆ど無駄な行動に思えるかもしれないが、このサイクルが、キャラクターの人間性を強く感じ、そしてこのサイクルを鑑賞することでゲーム進捗の効率を変えていくというパズル要素がとても奥深いものになっているのだ。

寝起きでGodvilleを起動してみると、寝ている間の展開を追いかけて、思いもよらない事態になっていたりする、不確定さが面白い。
AIによる動的テキスト生成では無いが、キャラクターと対話は可能なのは特筆すべき点であろう。

これらの体験をすると、他のゲームが感情のない機械でしか無いように思えて感情移入出来なくなっていく。


不確実性の哲学

ダンジョンから財宝を獲得して帰還させて利益を確保させる必要があるが、プレイヤーの意図通りにはキャラクターは動いてくれない。道中の瑣末なイベントにより財宝の一部を浪費したり、道中敵にやられて持ち物全ロストという事もあり得る。
安全に帰還させるように働きかけさせる事も大切だ。そのためにキャラクターに働きかけて消失リスクを可能な限り減らす。これは脳死でただ出撃連打しているだけのゲームとはゲーム体験が大きく異なる。ゲーム内のキャラクターが今どんな状態なのか、そして干渉するためのリソース(God power)が十分にあるのかといったことを鑑みて鑑賞するか静観するかを決めていく必要があるためだ。
キャラクターの育成状態や進行によって、メリットとなるイベントがデメリットになったり、この状況下だと大変ありがたいイベントが起きたり、逆に今は起きてほしくないイベントが起きてしばらく待ちぼうけを食らったり、、、
そんな不確実性を孕んだGodvilleは一つの解である。

ここあたりはGodvilleの哲学を覗いてみると良い。

https://www.reddit.com/r/Games/comments/gh1chq/we_are_a_twoman_team_behind_godville_a_zeroplayer/?utm_source=share&utm_medium=ios_app&utm_name=ioscss&utm_content=2&utm_term=


プレイヤーの指示(God power のコストがかかる)が一定確率で失敗、裏目に出る(backfire)という仕組みはプレイヤーを苛立たせるが、その概念がゲームの根幹として、至る所に見られる。展開の不確実性である。


1/6の確率失敗するが、ギリギリまで引きつけてうまくいけばGPないしチャージ(魔法石のようなもの)を消費しないでクリアできる!という時に、何もしないで運に任せるか、コストを払う事でリスクを回避するのか、という判断をしていくゲームである。
この仕組みにより、なるほど確かに5年以上続けるプレイヤーが沢山いて定着率が凄い良いというのが頷ける。
 日本や中華系のソシャゲと違い、殆どイベントや期間限定クエというものが存在しないし、デイリーや配布なんてのも殆どない(クリスマスとアニバーサリー程度か)。
 Godville は2名体制での開発であるが、この割り切りにより安定して彼らが専業で食べていける収益を上げ続けている。
 
 個人開発で狙うべき姿として見据えても良いかもしれない。

人間を模したゲームは複雑になる

パズルゲームのような抽象的なものと異なり、人間のキャラクターが活動するを前提としてゲームを作り上げるとなると、とても複雑な要素を組み入れていく羽目になっていく。複雑性はそのまま物量に繋がっていく。
 ヒールという回復魔法を実装しよう。どんな時に、誰に対して発動するといい?
 人間がヒールをかけるのであれば、ここぞという時に大切な味方にかけるだろう。これがもし、瀕死の盗賊を無視して体力に余裕のあるタンクにかけてるのをみたらプレイヤーはふざけるなと感じるだろう。
 もし、これがポンコツAIが味方のオンボロ達と一緒に戦うという文脈であればどうなるか?
 「一番体力が減っている相手にヒールをかけます。」の文言通りの行動をとり、体力比率でなく体力の減少値が一番大きいタンクにヒールを掛けても、しゃーないとすこしは諦めが効くだろう。

 人間をモチーフにすると、プレイヤーは人間ならするべき当たり前の結果を期待する。それは普段は意識すらしないレベルのものである。自律行動プログラムを実装しだすと、ここの部分の作り込みが甘くできないという事態に直面する。

 ここがしっかりしていないと、クオリティが低いという印象を与えてしまうので重要である。

 もしキャラクターが蟻だったら、少し考えれば回避できるような事態においても、原始的で明解な行動原理に基づき特攻自殺する事になってもしゃーないで済ませられるかもしれない。

タップして超レアを出すだけのゲーム

侮る事なかれ。冒ギルの掘り出しを毎日15回出来るだけのゲームでも延々とやり込める楽しさがある。
本質的には、出撃して敵を倒し、資源を回収して帰ってくるものと変わらない。
掘り出しの一覧が開くたびにランダムに現れ、たまに希少な掘り出し物(低級宝石)がでて、それを買う。稀な確率で良い称号のものがつく。実装レベルだとなんと同じ仕組みで実現できてしまう。
ビルド要素は、そのタップした時に掘り出しものが何もビルドがない状態では手に入る確率が10%であるのが、ビルドを適切に組む事で50%や90%といった具合に可能性が高まるイメージだ。そして挑戦権(掘り出しではお金。出撃では時間)を消費するトレードオフ。

 時間をスタミナと読み換えると、ただのソシャゲになる。時間を10分後に結果が得られるとすると冒ギルライクになる。

 獲得した装備をビルドに組み入れると、より珍しい、獲得難易度の高いアイテムが掘り出せる権利が手に入ったり、より確度が高く掘り出せたりすればもうゲームの完成だ。

 簡単だろう?しかしこの路線は商用ソシャゲと同じ土俵だ。商用ソシャゲと、掘り出しの代償が時間かスタミナかの僅かな違いしかない。この路線で差別化して優位性を確保する為には莫大な物量と世界観の演出という正面戦争を挑む事になるぞ!心してかかれ!


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