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受刑者から一般人へ

刑務所からの仮釈放

いざ夢を抱いて社会復帰へ

20××年刑務所で刑務作業をしていた僕のもとについに仮釈放の可否と判断する面接のお呼びがかかった。
「331番 〇〇 作業を止めて〇〇先生の後についていけ。」
来たっ!残り刑期や呼ばれた時刻、僕を連行しに来た刑務官を見てこれは仮釈放の面接だ!とすぐにピンときた。

刑務所へ移送されて約3年僕は懲罰も受けたことのないいわゆる模範囚(実際にはそんな名称はないのだが)世間ではいわれる受刑者だった。
もちろん些細な違反はたくさんある。とにかく刑務所というところは
これの一体何がダメなんだ??
と納得の全くでいない事柄でも違反になることが多い。例えば
・居室内で歌を口ずさむ
・運動時間以外でストレッチをする(ちなみに僕は首が凝ったので首を回していたら注意された)
・本に線を引く
・ほかの人と目を合わす などなど
数えだしたらきりがない。ただこのような軽微な違反は懲罰とかにはならず指導票という意味のないものを切られて終わることが多い。ただし、日ごろからオヤジに嫌われている受刑者はこんな軽微な違反でも問答無用で懲罰に連れていかれる (笑)

話は戻るが、刑務官に連行されてついていった先にはやはり仮釈放の面接で、そこには保護観察所の職員がいていろいろ質問を投げかけてきた。
・自分の起こした罪についてどう思っているのか
・これから社会復帰したらどのように生活していくつもりか
・ここでの生活の間に何を考えて生活していたか
などなど。ただ僕の罪は脱税と金融商品取引法違反で、しかも僕はその罪状に裁判の時から全く納得しておらずひたすら無罪を主張していたので、反省といわれても心の中では
「こんな罪見せしめでむちゃくちゃだろ」
という気持ちが大きかったので答えに気持ちはこもっていなかった。と思う。
それでも1日でも早く仮釈放をもらってシャバに出たかったので必死に演技をして反省している姿を見せた。つもりだった。

面接が終わって早く仮釈放決定の通知が来ないかなーと心待ちにして毎日毎日過ごしていたのだが通常4週間~8週間ほどで来る仮釈放へ向けての手続きが一向に始まらない。僕の後に面接を受けた他の受刑者は仮釈放されて行った者も現れてきたのに。

・・・。そうその通りです。
僕は仮釈放の面接の見事落ちていたのです!!!
懲罰も一度もなくまじめに勤めていた僕が・・・。
やはり面接した保護観察所の職員はいままで何百人と受刑者の面接をしてきただけあって僕の大根役者並みの反省している演技などはお見通しだったのです。。こいつは全く反省していないな。と思ったかどうかはわかりませんが、こいつにはまだお灸をすえておかなければという判断をされて仮釈放の許可は下りなかったのです。

絶望です 泣
そして怒りがわいてきました!
が、そこは刑務所の中どうすることもできません。怒りを面に表そうものなら即懲罰です。せいぜい工場担当のオヤジになんでなんですか?と愚痴をこぼすくらいしかできません。まぁオヤジも長い付き合いでしたし、人間味がある人でしたから笑いながら慰めてくれたりはしましたが・・・。

というわけでそこからまた数か月僕の受刑者生活は続きました。

そこから約半年。またまた仮釈放面接のお声がかかりました。
待ちに待った面接!今度は絶対しくじれない。
僕は自分は西田敏行だ!(なぜ西田さんなのかは謎のまま)最高の役者なんだ!と刑務官に連行されて刑務所独特の手大きく振って更新している途中心の中で暗示をかけていました。

その甲斐あって今度は何とか面接を無事通過して秋も深まる月の第二木曜日(仮釈放に向けての準備のための引き込みは木曜日と決まっていた)僕は朝、起床して朝食を食べた後、通常なら工場へ出勤する前に居室のドアがガチャと音を立てて開けられ、担当のオヤジが
「○○。工場出勤はしなくていいから後ろ向いて安座で座って待ってろ。」
とニコニコ笑顔で伝えてきました。
そこから約2週間。シャバに出た後の健康保険の手続きや、保護観察所への手続き、仮釈放中の遵守事項、生活ができなかった時のための生活保護の手続きなどの説明を受け念願の塀の外へ出ることができたのです。

これは仮釈放式の時に皆で読み上げます
これが保護観察所への呼び出し状
これを無視すると仮釈放が取り消しになる

ちなみに塀の中では僕たち受刑者に対して横柄な態度だった刑務官も名前を呼ぶときは呼び捨てから○○さんとちゃんと敬称をつけて呼ぶようになります。仮釈放式を終えて迎えがある人は一緒にその人と塀の外へ。(ちなみに仮釈放式は引受人も一緒に出席します)
僕は自宅から遠方の刑務所だったため身元引受人は来ることができず一人で出所し、電車に乗って自宅の最寄りも保護観察所へと一直線に向かいました。
その途中で食べたサンドウィッチと缶コーヒーの美味しさったらとても言葉では言い表せないものでした。

これは帰りの電車賃と一緒に渡される帰り道のルート

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