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待ち受けていた現実④

次の日から僕は仕事探しに着手した。資金調達がダメとなった今、明日からの生活費を稼ぐためにも何か仕事をする必要があった。
まずはネットでindeedにアクセスして求人情報を検索してみた。結構いろいろある。年齢も対象内のものもある。給料はあまり安すぎても養育費を払って生活する事はできないので最低でも手取りで25万以上のものに絞って検索した。
それでも結構あった。
僕は逮捕される前から営業が得意だったので主に営業関係の求人に応募していった。僕の中では営業は結構採用されやすくすぐに決まる自信もあった。
その中の何社かから面接の日時設定の連絡が来た。
オンラインでやるところもあれば事務所に行って面接するところもあった。
1週間で確か3社面接したと思う。その次の週で2社。合計5社面接した。僕の中では面接の手応えは悪くなかったが一つだけ気掛かりな事があった。
それは履歴書の中の数年間の空白期間の説明だ。
刑務所に入っていた期間は空白にしてあった。面接官は全員その期間のことを尋ねた。僕は正直に刑務所に入っていたとはもちろん言わなかった。言ったら確実に落ちると思ったからだ。

結局5社受けて全て落ちた。不採用の理由はもちろん知らせてはくれないけど、冷静に考えればサラリーマン経験もほとんどなく、直近の数年間が空白のアラフォー男を採用する企業なんてあるわけなかった。
僕は営業職を諦め、求人情報が多かったトラックのドライバー求人に申し込んだ。免許は普通免許しかなかったけど大丈夫だろうと思って申し込んだ。
相手企業はすぐ面接したいからいつが良い?というよくな感じで乗り気だったので何社か面接をすぐにいれた。

落ちた。理由はわからない。トラック業界はよくわからないけど僕の中では結構ヤンチャして多人も多い業界で履歴書の空白期間などもあまり気にされないと思っていたので予想外だった。

僕は途方に暮れた。採用してくれる会社がない!自分でビジネスを始めて稼ぐこともできない。これからどうする?
でも、お金は日に日に減っていくし焦りばかりがつのっていく。
とりあえず少しでも収入を得なければならない僕は派遣に登録することにした。派遣はほとんど履歴書なしですぐに仕事を紹介してもらえる。僕の実家の東海地方はトヨタの勢力内でもあり、ホンダの勢力内でもあるので工場などの派遣の仕事は腐るほど転がっていた。

僕は早速翌週から働き始めた。といっても上に書いたような車関係ではなくロッテの下請けのガム製造工場で。それは何故かというと、当時僕は車を所有していなかった。車は母親のを共同使用していたたため、昼の時間に働きに出ると母が使う時に車がないのである。なので夜勤だけで働ける所を探していたのだが、ほとんどの工場は交代制で夜勤だけというのは認めてもらえなかった。たぶん夜勤は時給も高くなるからそれを良しとするとその希望ばかりになると困るからだと思う。
その中で唯一見つかったのがそのロッテのガム工場だったのである。

そこはほとんどの現場の従業員がベトナム人の実習生が働く職場だった。時給1500円プラス夜勤手当。プラス残業手当。というような待遇。
そこの工場ではキシリトールなどのガムの糖衣コーティングを行う部署に配属された。仕事は大きなドラム型洗濯機のようなもの中にキシリトールを大量に入れグレープやミントやストロベリーなどの味付きの糖衣を行った後その大きな洗濯機の中からバケツを使ってガムをかごの中に取り出していく作業だ。
これが滅茶苦茶きつかった。ベトナム人の女性実習生はそのような力仕事は出来ないから洗濯機の中で回っているガムに糖衣の成分をかけていく作業で取り出しが男性のベトナム人とブラジル人とそして僕だ。
日本人の従業員は正社員でそのような作業ではなく僕たちを管理する仕事の人たちしかいなかった。
僕はそりゃこんな仕事は日本人はやらないよなーとベトナム人やブラジル人ばかりの環境に納得した。
当然休憩時間や作業の間の隙間時間などにも話す相手もいない。ベトナム人もブラジル人もみなすごくいい人ばかりで親切で優しいのだが日本語が下手すぎて会話にならないのである。彼らは当たり前のように同じ国の同じ年代の仲間で集まって楽しく話している。仕事のかなりつらかったがその環境もつらかった。
何度も言うけどブラジル人もベトナム人もすごくいい人たちだった。彼らは僕をホームパーティーに招いてくれてもてなしてくれたり、仕事も片言の日本語で親切に教えてくれた。フェイスブックのメッセンジャーと翻訳ソフトを使ってメッセージなどのやり取りもしていた。
友達も何もかも失くしてしまった僕にはそれがとてもうれしかった。そんな彼らが最低賃金で(僕の時給の2/3以下)で母国にも送金して日本でも節約して生活して楽しみながら生活しているのを見て勇気づけられもした。

その中で一人やけに人懐っこくてかわいいベトナム人女性と仲良くするようになった。
その子の名はロアン。25歳の女性だった。


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