僕はもう走れない

マラソンを経験したことのない人はいないだろう。
僕もその1人だ。

運動音痴だった僕は、ずっと下位集団で固まって走っていた。
当たり前のことだが、マラソンにおける下位集団は、みな長時間走ることに適性がなく、マラソンが嫌いな連中のことをいう。僕もそうだ。
マラソン終盤にもなると、そんな下位集団の中の一部の者でこのような考えを持つ者がいる

「一度走るのを止めて、また走り直そう」

これを本当に実行した奴は、大体二度と走り出すことはない。
僕の友人も一度足を止めて以降、二度とその姿を見ることはなかった。


時を戻そう。

自分がボカロにはまり始めたのは、高校時代(2011年)のことである。
当時の僕はとにかく片っ端からボカロを聴き漁り、CDも借りたり買ったりでとにかく音源という音源を集めていた。

気に入ったPや人気のPは過去の投稿曲を確認し、毎週欠かさずぼからんを見る。
僕の高校生活において、家ですることの大半はボカロに関することだと言っても過言ではなかった。

その後、僕は大学に進学して独り暮らしを始めた。2013年のことだ。
独り暮らしを始めた後も、もちろんボカロは聴き続けた。
同人・メジャー問わずCDは買ったし、初めて同人イベントに行ったのもこの頃だ。

しかしながら、僕の生活も変わってしまった。
サークルが忙しくなったり、私生活でトラブルがあったり等、時間的にも精神的にも余裕がなくなりつつあった。
この頃には、週刊ぼからんを毎週見なくなってしまった。
さらに、僕はもっぱらCDで曲を漁っていたのだが、メジャーCDが出なくなっていったのもこの時代であったように思う。
こうやって大学を卒業するころには、ボカロの最近の流行に少し疎くなってしまった。

そして大学院に進学した2017年、僕はnoteを始めた。

この記事の頭に”僕自身は最近の曲も追えていない”と書いたことから、3年前から最先端を知らない状態になっていたと思う。

noteにはしばらく、CDにしか収録されていない曲の解説をしていたと思う。
単純に誰もやっていないので、差別化を図るにはこれが一番手っ取り早かったと考えていたのだろう。

CD限定曲以外にも、曲紹介をしていたが、新しい曲はほとんどなかったように感じる。
noteは鬱屈した大学院生活の気晴らし程度に書いていたから、そこまで行進頻度も多くなかった。

2018年、noteを通じてリスナー界隈を知った。
高校・大学とボカロを追い続けていたのは自分だけだったので、ちょっと心強かった。
オフ会にも度々出たり、初めてクラブというものにも参加した。

2020年、リスナー界隈の人を通じてみんはや界隈に入った。
リスナー界隈の人より平均年齢が低く、みんな活動的である。


どの人たちももっぱら最新の曲について語っている。僕の知らない曲だ。
せっかくなので、色々聴いてみようとしたら…


知らない曲が数えきれないほどあった。

カラオケ上位にはいつの間にかカンザキイオリという人がいる。
おどりゃんせで中くらいのヒットを出したユリイ・カノンは更にヒット曲を増やしてた。
ヘンリーキャットのYASUHIROやアネモネにさよならをのねじ式はいつの間にかミリオン複数持ちになっていた。

原因はわかっている。みんなが走っている中、僕は立ち止まって休憩してしまったからだ。
ボカロの急な商業化・メジャー化や、カゲプロのヒットでボカロから離れてしまった人のように特定のきっかけがあるわけでもなく、単に最新を追うことに疲れて足を止めてしまったのだ。


そして、今ならマラソンで足を止めた友人が戻って来なかったかわかる。
また走り出すのはとても困難なんだ。
僕が最新でなくなったのは、熱意を失ったのはいつからか、具体的な年代はもうわからない。
自分が知らない曲がどれほどあって、どんな曲が流れを作ってきたか、それを辿るには高校時代と同じくらいのエネルギーが必要になってくる。
ボカロ曲は無数にあること、1年いや1か月もあればどんどん増えていくこと。
こんなことくらい、高校時代から追ってきたからわかるじゃないか。


僕はもう走れないんだ。

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