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ヨガと私 Ⅱ~お金のブロックを外す

ヨガを始めてから、わりと早い段階でヨガ講師養成講座である全米ヨガアライアンスに興味を持った。
上海住んでいた当時、仲良かったギリシャ人の友人がその講座を受講しており、世界中で通用する資格だと教えてくれたから。

その後日本に帰国してからも、それは頭の片隅にずっとあった。
でもすぐには足を踏み出せなかった。

なぜなら、それはなかなか高価な講座だったから。

「専業主婦である私が自分のために使っていい金額だろうか?」
「私はヨガ講師になる覚悟はあるのだろうか?」
「もとがとれる支出だろうか?」
「これから子供にもっともっとお金がかかるのに、自分にこんなにお金を費やしてよいのだろうか?」
「夫は無駄だと反対するのではないだろうか?」

出産と同時に専業主婦になった私は、10年以上仕事をしていなかった。
そしてお金を稼げていない自分は社会的価値が低いのだと思いこんでいたと思う。

「育児は何物にも代えがたい価値がある」
「お母さんってすごい」

その通りだとは思う。
でも社会的には「お金をどれくらい稼いでいるか」でその人の価値をはかる風潮が強いのではないだろうか。

私は「三人の子供を育てている」ことを誇りに思う一方で、「お金も稼いでないし、育児も完璧ではない」と、自分を否定し続けていた。

ある時「おかあさんのがっこう」を主宰する道見里美さんが言った言葉に私は頭に一撃をくらったような衝撃を受けた。

「もらう、ねだる、たかる、せがむ、これができたら最強じゃない?自分にはそれだけの価値があると思っているということだから」

この言葉自体にも驚いたのだが、それを自分に落とし込んだときに、

「私は、自分にはヨガ講座のお金を使う価値がないと思っているんだ!」
「ヨガ講座代よりも自分の価値は低いと思っているんだ!」

ということに気付いた。

「いやいや、私はこれくらいのお金、稼いでるよね?」(数年前から仕事をしている)
「私ってもっとずっと価値ある人間だよね?」

そんな気持ちがむくむく湧いてきた。

そして、ついに6年越しの迷いと決別し、ヨガアライアンスを受講することを決めた。
私にはそれだけの価値があるはずだ、そう思った。

さて、お金の次にハードルだと思っていたのは、夫。

「ヨガ講師みたいな不安定で稼げない仕事はやめておけ」
「高い講座代だなあ。もと、とれるの?」

そんなネガティブな反応をされるんじゃないか?
と頭の中は妄想でいっぱいだった。
それでも、私は「相談」ではなく、私が「決めた」ことを伝える、というスタンスで夫に話そうと決めていた。
だって、私にはそれだけの、いやそれ以上の価値があるのだから!

そして・・・
夫はあっさりと「そうなんだ。」と一言。
とりたてて大げさな賛同と励ましの言葉があったわけではないけれど、ごくごく普通に受け入れてくれた。

夫の名誉のために書いておくと、彼はけっして意地悪でケチなわけではない。夫婦仲もすこぶる良い。
ただ他の多くの男性と同じように彼も理論派であり、私は過去、何度も論破されたことがあった。
それも今振り返れば「反対されるにちがいない」と勝手に結果を妄想して臨んだため、私自身がその結果を引き寄せたのかもしれない。

私の中のお金のブロックはまだまだ健在だ。
それでも「ブロックをかけてるな」と気付けるようになった。そしてそのブロックと向き合い、対話することができている。
これは私にとって大きな進歩だ。

でも、最近欲しいものがあると「私にはそれを手に入れる価値、あるよね」と、いそいそ購入している自分はどうなんだろう?と思わなくもないけれど。(笑)

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