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【企画参加】願いと自戒の宣誓を

「男でも女でもないとか、だけど体の手術はするとか、そんな人本当にいるの? 研究する意味ある?」

 俺がその「そんな人」だが??????

 40人超えの聴衆の前に立つ僕へ、隣のゼミの先生がきょとんとした顔で問うた。卒論の中間発表会でのこの問いが、これまでで唯一明確に研究と僕を否定した一言だった。

 冷静に冷静に冷静に。建設的であれよ、こんな場所で反抗するな、世間なんてこんなもんだ。

 ものすごい勢いで自分に言い聞かせる。返答のためにマイクに手を伸ばしたら、それより先にスピーカーが唸った。手を引っ込める。

「指導教員が出しゃばってしまって恐縮ですが……私からひとつよろしいですか」

 おっと~~~、これはうちの先生も相当おキレでいらっしゃる模様~~~!

 指導教員はいつもの柔らかい声色と態度を一切崩さないまま、全く納得いかなげな火元にバシャバシャと水をかけ、僕が応じる前に消火してくれた。オフィシャルな場の質疑応答に、それも僕より早く出てきてくれるなんて想定外だった。「冷静に、建設的であれ、反抗するな」の全てをぶち破った助け舟。おそらくは「ここで学生が怒り狂うより、自分がしゃしゃった方がマシ」だけじゃなくて、先生個人の「うるせぇ黙れ、いるっつってんだろ」を山盛りに乗せた舟だったと思うけれど。

 あの日から1年ちょっと。二重に否定する炎からしっかり守ってもらった僕は、当時の研究テーマを変えることなく大学院生になった。



 僕の願い事は「真摯に研究を続けられますように」だ。別に願うことじゃないよな。そうすればいいだけだ。それは分かっているのだけれど。

 卒論を書いている間、懸念事項はとにかく「自分が病んでしまわないか」に尽きた(なお結局しっかりめに病んだ)。トランスジェンダーである僕がトランスジェンダーを対象に研究するのは、それもインタビューで語りを捉えるのは、指導教員いわく「とてもリスキーで、やめておくべきこと」だった。相手に肩入れしすぎれば研究の質が下がる、しかも君は共感性が高すぎるから心配だ、と。

 大学院からは大学も変え専攻も変え、ゴリゴリの研究者輩出系の研究室に移った今、あの卒論を世に出す作業の傍らには「このペースでちゃんと学振に間に合うのかな」という懸念がべったり張りついている。早く業績が欲しい、業績がないと国からお金がもらえない、でも執筆のペースが上がらない、同期はもうあんなところにいるのに……。もう悠長に「引きずられて病んだらどうしよう」なんて心配している暇はないし、精神がえぐられる痛みも感じていない。いつの間にやらこれは研究だと割り切ってしまえていて、これを遂行できなかった場合に生じる劣等感や経済的困窮への不安の方が、今は何百倍も何千倍も大きい。

 こんな自分をとても嫌な人間だと思うし、こうなった自分にがっかりする。僕が研究したかったのは、輝かしい業績のためでも、好きなことで食べていくためでもないのに。

 どうしてもやりたくて、先生の反対を押し切って、そんな中で守ってもらいまでした研究テーマだ。いつまでもあの1年と同じ真摯さで向き合っていたい。真正面から対峙して病んでいた頃の自分の方が、ひとりの人間としてはよっぽど健やかだった、たぶん。

 願いの形で戒めを記して、宣誓のつもりでここに短冊を結ぶ。


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wisteriaさんの企画に参加させていただきました。

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