InTheStudioWithMJ:2日目メモ

 講習が始まる前にブラッドさんが席を回って参加者1人ひとりと握手してくれた。会場が明る過ぎたので少し暗くするようブラッドさんが指示。こんなに明るいとブルースがコンビニみたいに明るくしないでって言うらしい。マイケルのプロデューサーだったブルース・スウェディンは部屋を暗めにして収録する事を好んだ。

Dangerousアルバムについて

 マイケルのアルバムの中でブラッドさんはdangerousが好きらしい。マイケルと一緒にクラブとか行くような仲では無かったけど信頼関係を持って20年くらい仕事をしていた。スタジオではテクニカルディレクターとして働いてた。全てが上手くいってるか見たり、マイケルのお世話(👶?)とかしてたらしい。
 当時dangerousとは言わず、ディケイド(10年間て意味かな)と言うアルバム名で呼んでた。ベストアルバム作るつもりで、当初は新曲を3〜4曲くらい入れる予定だった。
 でも素晴らしい曲が多くてもうアルバムにしよう!ってなったタイミングでアルバム名のdangerousになった。
 20ヶ月くらいプロジェクト期間が続いたが、最初の4ヶ月くらいでdangerousになったと思う。
 (伝説の)ウエストレイクスタジオからレコード1スタジオに移って収録していた。
 クインシーのBACK ON THE BLOCK作る為にレコード1スタジオは作られたらしい。
 ブラッドさんもそれを手伝ってた。
 音楽業界では古き良きものが愛されていた。
 コンソールニーブ888(?)を使っていた。温かく大きい音が出る。クインシーはアナログの音が好きだったのでアナログで収録し、デジタルで保存していた時代。
 マイケルはクインシー無しで収録するタイミングだった。元々契約はアルバム3枚までだったので契約が終わる時期だったから。仲違いとかではない。
 ブラッドさんにとってはマイケルと一緒にクインシーがいないのは不思議な感覚だったらしい。
 当時スマホとか無いし、スタジオも皆マナーを守って過ごしてたので気軽に写真とか撮る感じではなかった。なのでマイケルとブラッドさんの写真は全部で8枚くらい。

3人のプロデューサー

▫️1人目:ブルース・スウェディン
オーケストラのような美しいバラードが得意。
細部を大事にする人。クィンシー曰く、ブルースの仕事ぶりは綿棒でジェット機に色塗ってるみたいらしい。音楽のミキシングに関して飛び抜けた存在。テクノロジーが好きでチューブトラップとか常に新しい技術を取り入れながら制作していた。マイケルはブルースが大好き。マイケルにとって父のような人だった。
▫️2人目:ビル・ビットウェル
キャプテンEOの後に来た人。マイケルの5歳年上の人。ブルースさんとは違いロックンロールが得意。
▫️3人目:テディ・ライリー
インザクローゼットのスペシャルMIXを会場でブラッドさんに流して頂けた。音響いいとこで爆音で聴くと色々やばい。お風呂の中で歌ってるみたいに声が響いてた。
 ブライアンロレインて人も居たけどちょっと色々あって別の人に変わった。でもブラッドさんとSNSで今でも繋がってるしブライアンはナイガイらしい。でも当時はお仕事で色々あったらしい。守秘義務面とか。
プロデューサーによって曲調が違うのがdangerousの面白いところ。※アーティストのアルバムに複数のプロデューサーが付くことは良くある。でも人による。
 3人のプロデューサーで5〜7スタジオ使ってた。
BADの時は皆で集まってやってたからファミリー感があったけど、DANGEROUSはちょっと違ってた。
 マイケルは互いに競い合わせ切磋琢磨させるのが好きだった。ブルースとビルはより良いものを作る為に二人きりのときとかは言い合いもあったみたいだけど、マイケルは何が起こっているかは把握し制作中の劇的な状況を好んでいた。

Gone Too Soon

 ブルースは音を一つにまとめるボーカルレコーディングがこの世界で1番上手い。(何度か歌を録音してそれぞれの収録音の良い部分をパズルのピースのように抜き出し繋ぎ合わせより美しい音に組み上げることを言ってるみたいだった)他のアーティストでもいくらかのレベルでやっているがブルースには及ばない。
 Gone Too Soonではマイケルは10回程歌ってる。細かく良いテイクを組み合わせて良い歌声を作っていく。

JAM

 Gone Too Soonより難しいボーカルレコーディングの曲が…JAM!!!
 ここで収録風景の映像が会場に流れる。リラックスした様子で黒いマグカップで何かを飲んでるマイケル(かわいい)
 46テイク同じフレーズを撮っていた。それをさらに細かく組み合わせていた。(芸術は細部に宿る)
 当時はピッチコレクションとか無かったから単純にマイケルの声を細切れにして繋げていた。dangerousアルバム前もやってたけどJAMほどやった曲は無い。作詞作曲にもブルースが加わっていたので曲を完璧なものにしたかったらしい。
 アーティストに対し通常エンジニアは歌いだけ歌わせろと言って録音するけど、マイケルに関してはエンジニア側が止めないといけなかった。マイケルに「今日は何回ボーカル収録するの?」って聞かれたら46回でも20回だよと言ってた。そうじゃないと止まらない(マイケルの音楽へのストイックさ…)

これぞマイケル・ジャクソン

 この後これぞマイケル・ジャクソンの仕事。シンプルだけどゴージャスとブラッドさんが表した曲が会場に流れた…けどなんて曲だったかメモ出来てなかったので覚えてる方教えて頂けるとありがたいです。自分のメモによると会場流れたのはリリース前のバージョンで「パッパッパーン」てマイケルが歌ってるやつみたいです。ちょっとメモが解読不能でここらへんの情報怪しいです。
 ブラッドさんは普段マイケルの曲を聞かない。いい音響で大きな音で聞きたいから。でもこの曲を自宅の二階の音楽専用の部屋で部屋を閉じて浸りながら聴く。
 制作中、パーカッショニストが小さい金属音を収録してる映像が流れる。ブルースが曲中の小さな金属音にも拘って収録しているのが伝わる。

Black Or White

 ブルースに対し、もうひとりのプロデューサーであるビルはもっとシンプルでロックンロール。ビルはマイケルの5歳年上で、ブラッドさんはマイケルの5歳年下。年齢も近めだったので3人仲良しだったそう。
 マイケルはビルと2人でネバーランドで遊んだり映画見たりしてた。ある日マイケルはビルに人種差別がテーマの映画を見せた。人種差別がテーマの曲を書かせようと促したわけでもなく、ただ見せただけだがそれから出来たのがBlack or White.
重い題材で怒りを内包してるけどパワフルで楽しい曲。ラップはビルがやったもの。マイケルが気に入ったのでそのまま使われる事に。
 マイケルは頭のいいスマートな人。強烈なメッセージも皮肉を込めて楽しい曲に変えていた。
ビル、ブラッドさん、マイケルの仲良し3人で作った。一緒にいるとマイケルが天賦の才を持つスーパースターだって忘れるくらい仲良しだった。
 でも1991/11/14にBlack or WhiteのSFが公開れた時に改めてスーパースターなんだと気付かされた。70億人がそのSFをテレビの前で見たのだから。
 曲作りが終わってももっと一緒にいたかったけど、マイケルは公の場に行かなければならなかった。マイケルが活躍する所を見るのもブラッドさん達は幸せだった。

Give in to Me

 ビル、ブルース、テディ。マイケルはどのプロデューサーのいる部屋に行っても良かった。競争心を煽る為に1番良い音が鳴ってる所に行き、曲作りを手助けしてた。特定の部屋に3日行かない事なんかもあった。そんな中、多くの時間をブラッドさんはビルと過ごしてた。ある日マイケルがビルとブラッドさんたちのいる部屋に入ってきた。
 ビルがどの曲に取り組みたいのかマイケルに聞くと
マイケル「わかんない。ねぇ何やってたの?」
ビル「働いてんだよw」
と雑談だけの事もあった。
 マイケルは特にクリスマスの事を聞いてきた。幼い頃から宗教上一般的なクリスマスを経験した事が無かったから。
 それとマイケルは音楽の質問が好きだった。何聞いてるの?って。ブラッドさんが聞いてる好きな曲を答えるとタワレコに買ってきてと人に言って買って来て貰い聞いてた。ACDCとか。
 ACDCの曲を聞いて2時間でアイディアが出来たのがGive in to Me.
 その後歌詞書いたりもあったけど、ドラムの感じは最終Verでも変わらなかった。

Keep the Faith

 Keep the Faithはプロジェクトのとても早い段階で取り組んでた曲。でもちょっと置いてからまた取り組んでた。インスト&コーラスはサイーダ・ギャレット。
 主要となるマイケルのボーカル部分は、曲の他の部分が出来上がってから最後に収録されていた。
ドラムとシンセの音はデータに残るよう記録していた。
 マイケルのボーカル録音の時に、熱いエヴィアンやマイクの下にステージを模した台を敷いたり、寒がりのマイケルの為にヒーター置いといたり、準備ばっちり!コントロールルームはブルースとブラッドさんのみ。
 暗くして、コントロールルームからはマイケルがいつも被ってる帽子の影だけが見えていた。
 ある部分でマイケルの声が枯れちゃったような音が入った。もう1度やっても同じところで枯れる。いつもはそんなことないのに。
 マイケルはフットステップ(地団駄?)して部屋を離れ、ラウンジに行ってしまった。コントロールルームでブルースとブラッドさんはどうしたんだろ?って顔を見合わせてたらマイケルから電話が来た。
困惑してる様子だった。暫く収録してなかった3ヶ月程の間に少しだけ声が深くなっていたから。
 考えられる理由①:年齢を重ねたから。マイケルは歳を取る事が嫌だったし困惑したのかも。
 考えられる理由②:ブラッドさんの想像だが、Keep the Faithはみんなが完成させてくれた上でマイケルはボーカル収録に挑んでいた。なのに自分が歌えなくて落ち込んだ。
 ブルースとブラッドさんは2〜3時間ですべてマイケルの声に合わせて収録し直した。
 マイケルは疲れてたみたいだから必要なものを準備して、再びマイケルをコントロールルームに呼んで、プレッシャーを感じて落ち込んでるマイケルを大丈夫だよ!って元気付けて、新しいキーで収録に挑んだ。
 話はちょっと変わるけど、アメリカ人にとって、ロシアに行くことは結構大変だったりする。政治的な問題とかあるし。
 ブラッドさんがロシアでセミナーする為に行ったとき通訳の方がKeep the Faithの話を聞いたら泣き出してしまったそう。通訳のジュリアさんは11歳のときウクライナに住んでおり、家も仕事も無く家族でトレーラーに乗り、ギリシャに移ろうとしていた。しかし辿り着いたギリシャでも仕事も食べる事も出来なかった。
 ご両親達は頻繁に喧嘩をしており、当時11歳だったジュリアさんはリストカットをしてしまったそう。ブラッドさんはその通訳さんと同じ年齢の娘さんがいるので、もし自分の娘が自らの手首を切るなんてと考えたら辛くて涙が出た。
 幼いジュリアさんがリストカットしてた時、ラジオから流れたのがKeep the Faithだった。当時の通訳さんは英語が分からなかったけど、マイケルがカッターを置いて、自分を傷つける事はやめなさいと言ってるように聞こえた。当時のジュリアさんはマイケルの事も知らず、Keep the Faithはシングルとしても世に出ていなかった曲だったが、正しい時に聞くべき人に届くようラジオから流れたのだと思う。
 話はKeep the Faithの収録に戻る。
Keep the Faithに1度負けたマイケルだが、今度はマイケルが勝利する番だ!
マイケルは力強く歌い、マイクの音が割れるほどだった。でもブルースはこれで良いんだと言っていた。
 ロシアの通訳としてブラッドさんと出会ったジュリアさんは、マイケルの曲に救われたと言っていた。

トラックリストMTG

 DANGEROUSはCDでリリースする事になっていたので収録時間は77分。入れる曲の順序が大事。速い曲やスローな曲ばかりでもいけない。
 会場に流れたトラックリストMTGの映像ではブルースとマイケルが一緒にいた。3人のプロデューサーのトップに立ったことの証。
 マイケルはめっちゃかわいい半立体のミッキーの腕時計してる。座ってるソファーの上のクッションもミッキー。壁のポスターもミッキー。ずっとガムをクチャクチャしてる(少年…🤦)
 みんな大好きBlood on the Dance FloorはdangerousのトラックリストMTGのリストに入ってたが早めの曲調だったので見送りに。曲のバランスや収録時間により入れられなかった曲は他にもある。CDに入れる為にめちゃめちゃ競争してた。
MTGは数時間かかった。

Historyアルバム制作へ

 dangerousのツアーが終わって新しいプロジェクトに入ろうとしてる時、1994年レコーディングスタジオの近くで地震が起こった。
 マイケルは地震が嫌いで怖がってしまって、別のところ、ニューヨークに行こう!ってなった。
 ブラッドさんは娘がいるし2〜3年も離れられないよって言った。2ヶ月くらいで終わるよって言われたけどブラッドさんは信じられなかった(そうだよな…w)
マイケルも当時色々あったし、場所を変えるのはいい変化だったと思う。
Historyアルバムではニューヨークやアトランタやミネアポリスにもスタジオブースがありファミリー感は無くなっていた。ブラッドさん曰くHistoryからはニューヨークの音がするらしい。マイケルは大変な状況を乗り越えてまたスタジオに戻って来られてよかったとブラッドさんは思ってた。

Stranger in Moscow

もうひとりのブラッド、ブラッド・バクサーからStranger in Moscowを聞かせて貰ったとき、良すぎてブルースに電話を通して聞かせたくらい良かった。バクサーはゲーム用の音楽として早めのテンポで弾きてた。それのゆっくりverがマイケルは好きだった。バクサーは当時若かったので一緒に曲を書いた筈なのにマイケルは名前を載せなかったw(おいマイケルw)ブラッドは手柄を独り占めされた気分もあるけどマイケルと友情を築いてたのでまぁいいかって思ってたらしいけど…w当時のブラッドさんの娘さんは「マイケル曲ぬすむのかっこよくないよね?」と言ってたらしい(幼女に言われてるぞマイケル)
バクサーはステージでマイケルがStranger in Moscowを歌うと「How does it feel?(どんな気持ち?)」と繰り返される部分で自分に言われてるみたいでぐぬぬだったそう(マイケル🤦🤦🤦😂)
バクサーはセミナーとかでStranger in Moscowの話したがらなかったけどセラピーみたいなもんで1度話し出したら話せるようになったよ!

2BAD

マイケルの大好きな曲だった。爆音で音楽聞くのが好きなマイケルさん、音量ちょっと上げたら1つのスピーカーが火を吹いた。マイケルはそれが面白くなっちゃって更に上げて4つのスピーカー全部壊した(マイケル…!!)マイケルはニコニコしてた。

Childhood

収録の際、ガラスを隔ててマイケルの前でオーケストラが演奏している映像を会場で流してもらえた。オーケストラの素晴らしさに感動しているマイケルの姿がひたすら尊い。
一節歌うとちょっと顔を背けて小さな咳をし声を整えてるマイケル。
 その後マイケルが収録した音をブルースさんたちと3人の並んで聞いてる様子が(Will You Be There?)時折笑い合って楽しそう。(一瞬だけどマイケルが帽子を取った時、頭頂部に白いボールみたいなのが見えた。あれが火傷の後遺症の治療で皮膚を伸ばす為に仕込んだボールだったのかな)

MIX体験

参加者一人ひとりがマイケルの曲をブラッドさんの機材を使ってMIX体験!力量に合わせてブラッドさんがフォローして下さいました。
ラストはブラッドさんがScreamのMIXして下さって会場は大盛りあがりで幕を閉じました。

感想

 音響の良い会場で、大きな音でマイケルの曲を聞いて、制作背景も聞けてよりマイケルの曲達が好きになれました。初めて聞く曲(CHICAGO1945かっこよかった…🤦)もあって会場で知らない曲が流れた時は固まってしまった。
 音楽制作がマイケルの本来のフィールドなんだなって伝わって改めてかっこいいなぁと思った2日間でした…。
 音響の良い会場でマイケルが好きな人達とブラッドさんとマイケルの思い出を直接聞くのは掛け替えない体験になりました。