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嘘つき

母は私を嘘つきだという。
(約束破るとかそういうことじゃなく)
人から見れば確実にそうだ。私も私みたいな人の話はホラ吹きだと思うだろう。

でも、私目線ではどれも本心なのだ。
人の何十倍も思考を回している自覚があって、コロコロ意見が変わる。それ故、人より価値観の変化も早いのだろう。
まぁそんな事言わないから分からないだろうし、実は相手も考えているかもしれないから言わないようにしている。母には言ったこともあるが理解はされなかったからもう嘘つきでもいいのだ。

多視覚的思考を駆使して様々なことを考える。
人の何気ない行動から私の意識が変わるような言動、あらゆることを考えている。私のように常に思考を回している人の中にもそう簡単に価値観は変わらないという人もいるだろう。しかし、多視覚的思考を意識していると常に違った1面が見える。よって私の価値観は毎日と言っても過言ではないほど変わっていく。

柔軟性と言ってもいいのだろうが、傍から見れば嘘つきでしかないことをわかっているからもう口を噤む方が楽である。

感情の話もそうだ。結局分からないから口を噤む方が楽なのだ。
楽しいねと言われるうちに楽しいと思い込むようになったし、実際それで楽しいと思えるようになることもある。しかし、ふと我に返ったときになんだか分からなくなる。辞めてしまいたいと思った時にはもう嘘になっている。傍から見れば楽しそうだったのに楽しそうか分からないなんて誰も信じちゃくれない。自分の感情が分からないから何も言わない。

全てが後出しで嫌になったからと嘘をついて辞める理由を並べているように見える。でも、私の視点ではずっとなんでそれをやっているのか分からない。
人がこれ好きでしょ、楽しいねと言うから分からないけどそういうことにする。人が楽しそうなのは嬉しいから空気を壊したくなくてそういうことにする。そうしてるうちにどれが自分の感情でどれが思い込みか分からなくなった。
私が自信を持って自分の感情だと言えるのはほんの一部で、明確なのは相手が楽しそうだったり喜んでくれたりするのは私にとって嬉しいことであるということだけ。遊びに行く時どこでもいいと言うのは本当にどこでもいいからだ。相手が楽しそうなら嬉しいし、相手の好きそうなもの調べて行こうと提案するのも相手が喜んでくれると嬉しいからだ。それが私の幸せだ。

私の好きな物はなんだろう
ぶいすぽっ!の白波らむねちゃんに憧れている。これが好きでいいのか分からない。グッズはらむちの応援のつもりでもあり、そばに置くことで私も頑張ろうと思えるから買っている。
絵を描くのがたぶん好きだ。たぶんと言うのは周りが絵が上手いねと言うから描いてみせると褒められるからみたいなことがきっかけでダラダラ続けている。完璧主義な面があるせいで期待はずれだったらと思ってしまい、色が上手に載せれないのを落書きだからと言い張っている…w
散歩が好きだ。ダラダラ思考を回しながら聞く環境音が気を楽にする。
空が好きだ。空はどこから見ても繋がっている。誰かと繋がっているような気になれる。青はあたたかいはここに起因する。日の暖かさでもあるが、人の温もりを感じる。誰かが見ているような感覚に安心感を覚える。

他には何が好きだろう。
まだまだ自分探しが足りていない。焦ってはいないが自分の感性を知りたい。

考えすぎだと言われたことも、相手のことをそこまで考えるのは私が優しいからだと言われたこともある。考えすぎではあると思うが優しいからだとは思わない。私が考えすぎるのは1人になりたくないからで、結局自分のためで誰かに同調するのも空気が壊れ不味くなると自分が苦しいからだ。自衛を乗せて運転していたらたまたまそこに他衛が乗ってきただけ。私が乗せているのではなく一緒に行きなと相手が乗せてくれるのだ。私は環境に恵まれすぎているのだろう。矛盾していると思っていても言わないでくれたり、あえて教えてくれたり、優しすぎる周囲にまだ甘えている

私はまだ嘘つきだが、嘘もつき続ければ本物になるのだろうか。出来れば嘘をやめて自分の中身を本物として引き出したいものではある。

若干沈んだ内容で終わりを迎えたが、私は決して過去も現状も悲観していないから安心して欲しい。みんないつもありがとう。

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