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【思考-Pt.16】自己哲学という視点

自己哲学という視点、最近色々な人の話を聞いて考えたこと。この視点を持ってるといろんなことに役に立つのではないかと思う。

自己哲学ってなんなんってとこで、まず自己哲学の前に「哲学」というものがある。ここでは「この世界の不変の真理」という感じ。自分は「客観」とも呼んでいます。実際これを解明しようとしているのが一般的な哲学ってやつ。
でもこれってわからない。何が真理なのかって誰もわからない。おそらくこうなんだろうってのはあるけどおそらくこう思うってだけ。

自己哲学とはまさにこの、この世界こうだろうっていう考え!僕は「主観で客観を見る」というキーワードを好んで使っている。「客観」というこの世界をこうだろうという「主観」で考えること。

人間の思想にはいくつか段階があると思っている。

自己哲学→自己願望→方法論→仕組み&知識

自分は自己哲学が明確に無く、自己願望から始まっている人は多いと思っている。

自己哲学があると何がいいの?答えは視点が変わることだと思う。

自己願望はやりたいことである。例えば勝ちたいとか。

ここから始まるとどうなるか。基本的に勝ちたいが願望だとすると、すべての物事を深層心理では勝ちたいで判断する。つまり正誤で判断される。その結果否定を倒すようなイメージである。

自己哲学があるとみている物が全体の世界であり、その中で自己の願望がある。哲学(この世界の捉え方)に正解はないため、勝ち負け、正誤の概念が存在しない。

これは対話の時がわかりやすい。基本初対面の人との対話では、その人の根本から理解しようというのが基本であると思う。願望から始まっている人は願望の理解から話す(何がしたいか)。

自己哲学のある人はお互いの哲学の理解のやり取りから始まる。そこから始まった会話は相手がその哲学の元何をしているかなので、そもそも正解が無く、自分の自己哲学と似ているか異なっているかの軸で判断するため、争いは起きない。

自己願望同士の会話だと、願望は一瞬で理解できる、そして願望が根本だと話を聞いたときの判断軸が正しいか、勝てるかで判断する。つまりマウントの取り合いが始まる傾向が強く感じる。根本が勝ちたいであるがために、そこで全てを判断する。

つまり勝ちに囚われる。

ここで「囚われる」と「拘る」が一番この視点の違いが分かりやすいと思っている。

願望が根本だと囚われると思っている。願望の視点だと自分の世界しか見えていない。この世界には当然自分以外の世界が存在する。この宇宙に地球と火星があるように。

自分の世界をより良くするためにありとあらゆることをする。ただしそれは自分の世界で考えられることのみである。その世界の中でどうやら火星という世界があるらしいという情報は聞くことができる、ただ詳しい実態がわからない。

自己哲学は拘るだと思っている。いわば宇宙視点。宇宙という視点に居れば火星も地球も見ることができる。

その中で自分は地球をより良くしたいというこだわりを持つ。そして地球を良くしていく中で、そもそも地球は宇宙から生まれたものであるため宇宙の本質は地球に適応可能という見方もできる。

そしてそれは火星にも言えることである。また火星の実態も把握できているので、火星においての特性も地球に応用できるのではないかという考えもできる。

地球視点でも火星の情報は入ってくるので同じやんという意見もあると思うが、やはりこの地球、火星がそもそも属している宇宙の本質を理解することはできないと思う。火星からの情報を集め火星との共通点を見つけてもそれはたまたま本質に近い情報を得たという偶然であると思う。

また実際には水星、金星等の他の惑星もある。宇宙の本質を知っていればすべての惑星における原理や本質はより簡単に理解できる。ただ地球視点で見るとすべての惑星に置いての本質を探るには膨大な時間を要し、大変なものになる

つまり地球視点から宇宙視点になると

見えるものが増え、特に深く見えるようになる。

それはこの視点の変化は地球から火星のような横の視点の変化ではなく、地球から宇宙への縦の視点の変化であるから。

またこれと似たようなことで、100%でやるよりも80%でやる方が効率的という考え方。

これは100%というのは、すべてそこにつぎ込んでいる、すなわち囚われている。80%はそこにかなりの力を注ぎながらも全体は見えている(20%は余っている)これがこだわりに近いと思っている。余力が残っていいれば緊急時においても柔軟に立ち回れるし、燃費も良い(蒸かすことが無い)。

いわゆるこれが囚われない。自己哲学があることで生じる柔軟性に繋がると思う。いわゆる固いと呼ばれる人はおそらく100%から80%にするブレーキが効きにくい人なのだと思う。100%の人でも簡単に80%に抑えられる人もいる

そしてこれはどうやってじゃあ自己哲学作るの?って話と繋がる。

人間は生まれた時全員願望を持っている。つまり全員願望から始まると思う。そして成長していく中で様々な外的要因(経験)を受ける。この外的要因がとても大事である。これにより、勝手に自己哲学が作られていくタイプの人もいる(個人的にいわゆる海外の人はこれが多い気がする)。

そしてこの外的要因により、自分の願望がより明確になったり変化したりして、自分の願望の基礎が形作られる。そしてそこから世界を見ることになる。つまり外的要因によって作られる。

無いものを自覚するのはとても難しい。無いものを無いと自覚するには、その物が何かを知っている必要がある。ただそれを知るにはそれが存在する世界でしか知りえない。つまり自分の中に自己哲学というものが無い人はそれを無いことを自覚することは難しいと思う。

なのでこのnoteがそれを自覚する、再考するキッカケ(外的要因)になればいいなと思っています。



これに正解はありません。皆さんの考え方、哲学は全てある意味正解だと思います。だからこそ皆さんのお話を聞いてみたいですし、ここ最近色々な人と話していました。


逆に自分の中で考え等が明確ではないけど、明確にしたいと思っている方とももちろん話してみたいです。自分の考えを聞いてもらってなにかキッカケになれば最高ですし、絶対に根本には自分の知らない何かがあると思います。それに触れて自分の考えもアップデートされていくので、ほんとに自分がどうとか関係なく色々な人と会話し、色々な景色を見たいです。


読んでよくわからん!とかもっと詳しく聞きたいという方も是非話しましょう!


そして、一度この期間に話した人もまた話を聞きたいです!


何度も言いますが、どんな人との対話もすべて等しく同じ価値があります。


これを読んだ方で話そう!って方がもしいればDMください!待ってます!


最後にこれを読んだ方へ!もしよろしければどんな些細な事でも構いません。率直な感想をツイート、DM等何でもいいので教えていただきたいです。

どんな人がどんな風に感じ取ったかもとても貴重です。

ぜひよろしくお願いします!


ここまで読んでくださった方本当にありがとうございました!!


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