GK✖︎身長②
今回は歴史から身長に関する事を述べていきたいと思います
もし面白いと思っていただけたら投げ銭の方もよろしくお願いします!
突然ですが昔の選手はどうやって進歩してきたと思いますか?
当然ながら現在のようねSNSどころか映像すらままならない時代です。
ではどのようにして進歩を遂げてきたのかというと
それぞれが試行錯誤と実践を繰り返し、異国の地に遠征をした時に相手のGKを観察し自分の中に取り入れて進歩してきた
このようにして各地で有名なGKは遠征してきた相手に参考にされそれを国に持ち帰り成長してきたのです。
GKの理想の身長は175cm〜180cm
当時独自の理論で進歩を遂げていたGKでロビンソンというGKがいます。
彼は1905年に『アソシエーション・フットボールとそれを作った男たち』というギブソンとピックフォードがまとめた四巻に渡る著書に長文の記事を寄せ自分の考えを明らかにしています。
ロビンソンは体格が大きい方が良いとする意見が多い中で、大きくても小さくても一長一短があると言っています。ロビンソンは「言うまでもなく、小柄な人はハイボールの処理では不利だ。一方、大柄で背が高い人は地を這うようなシュートを止めるのに苦労する。私が知っているあるGKは、膝から上の高さなら目覚ましいセービングを見せたが、相手チームのFWが『低く打て』を合言葉に試合に臨んだところ5ゴールを許してしまった。私の意見だが、GKの理想の身長は175cmから180cmだ」と述べています。
すでにこの年代から身長が低くてもトップで戦えると言う考えは存在していたのです。
この時代でも身長が高い方が良いとされていたが、現代とは良いとされている理由が少し違います。
当時はGKに対するファウルが緩く、酷い殴打を多々受けるため体が大きく頑丈の方が良い、そうでなければ務まらないと言う理由もありました。
またそれが頻発する場面がゴール付近でのハイボールであったので尚更です。
当時の過酷さを象徴していた話を1つ紹介したいと思います。
スコットランド史上最高のGKの中の一人として認められているジョン・トムソン
彼はセルティックのCFだったジミー・マッグローリーは「トムソンは単に1人のGKというだけでなく、天才的なアスリートだった。体は大きくなかったが、素晴らしく発達した身体能力を有し、オリンピックの体操選手のようにしなやかに優雅にプレイした。手は大きくなかったが、手の使い方が巧みで、あれほど確実にボールをキャッチする手を私は見たことがない」と言うほどの優れたGKでした。しかし彼は試合中相手の足元めがけて突っ込んでいき、頭がFWの膝と激しく衝突し頭蓋骨骨折で亡くなりました。
現代であればFWは飛んで避けてくれるでしょうが当時はそのようなことはありませんでした。
そして少し時間が経つとそれまで試合のほとんどに関与せず除け者扱いされ目立つ事のなかったGKが目立つためにショー的なセーブを見せるようになった(現代のセーブの原型だと考えています)サッカー草創期に入ります。
この時代では身長の低いGKが活躍する選手の多い時代でした。
その中で特に際立った3選手を紹介したいと思います。
イタリアGKの元祖 デ・プラ
デ・プラは背が低く、174cm弱しかなかったが、筋肉質で手が大きかった。ポジション取りのセンスがいいと言われていたが、クロスの軌道を見誤ったり、接近してくるFWに向かって飛び出すタイミングが悪かったりすることがあった。
デ・プラはオリンピックなどの大会でイタリア代表として活躍し、所属していたジェノアではシーズンに全試合負け無しで優勝や、チャンピオンシップ連覇などの偉業に大きく貢献しました。また、親善試合の時に当時リバプールのGKだったエリシャ・スコットに自己紹介して、一緒に練習し、テクニック面で遥かに優れている事を印象づけた。と言うエピソードもあります。
そして有名な元イタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォンがデ・プラの電気に寄せた序文で「少年の頃、スタディオ・マラッシに入るといつの日かデ・プラのように、GKの魅力を伝えるプレイをし、みんなのお手本になってデ・プラの再来と言われたい目を輝かせた」と書いています。
デ・プラの後継者 コンビ
コンビは183cmを下回る身長、筋肉質のガッチリとした体型で、ダイブする時の激しさと危険を察して体を投げ出す勇敢さが際立っていたため「爆竹」と言うあだ名がつけられていました。
所属していたユベントスは1920年代半ばから30年代半ばまで、圧倒的強さでイタリアサッカーを牽引しました。1926年から35年まで6回リーグ優勝を果たし、1930年からは5季連続スクデットを獲得した。
フルバックスのヴィルジニオ・ロゼッタ、ウンベルト・カリガリスとコンビはイタリアサッカー史上最高のディフェンスと称されました。
チェコスロバキアの歴史を気づいたプラーニチカ
2つの大戦間に、優れたゴールキーピングをある種芸術の域まで高めて伝統の基礎を築いたのはイタリアだけではありませんでした。
チェコスロバキアのプラーニチカはその1人です。
プラーニチカは身長174cm弱と高くなかったが、敏捷性に優れ、何よりも勇敢さが際立っていました。
1938年フランスW杯で大会最優秀GKに称えられるなど素晴らしい活躍をしました。
所属していたSKスラビア・プラハでは969試合に出場し、12回リーグタイトルを獲っています。
1994年、90歳の誕生日にスポーツに功労した業績を称えられて賞を贈られたが、その時点で1937年以来スラビア・プラハはどんなタイトルも獲得していなかった。授賞式のスピーチでプラーニチカは、死ぬまでにスラビア・プラハの優勝を見ることが最後の望みだ、と言いました。2年後クラブはその望みを叶えました。そしてプラーニチカは優勝から2ヶ月後に亡くなりました。
昔に身長が低くても活躍したGKは確かに存在していました。彼らが現代でも活躍できるかどうかは誰も分かりませんが、可能性としてはあるのでないかと思います。
そして最後に現代でも活躍する低身長GKを紹介して締めとしたいと思います。
ウイルケル・ファリニェス
ベネズエラ代表 20歳 181cm ミジョナリオスFC
このGKは僕のイチオシのGKです笑
彼の武器は正確なフィード能力です。U20W杯でベネズエラの準優勝にペニャランダやソテルドらの主力と共に目覚ましい活躍をし貢献しました。U20W杯でもえげつない弾道のパントキックからチャンスを作る場面が多かったです。
決勝のイングランド戦では終盤にパワープレイをする際にファリニェスからのフィードの場面が多かったのですがイングランドにとってはとても脅威に感じる場面が多かったです。
セービング能力も非常に高く今後の成長が楽しみなGKです。
ちなみに身長は181cmとなっていますが実際は177cmでそれでも盛っているのではないかと言われるほどの低身長です。
オスピナ
コロンビ代表 30歳 183cm ナポリ所属
彼はもうみなさん知っていると思います。
抜群のセービング能力と俊敏性で素晴らしい活躍をしてきました。
今シーズンからナポリに所属し、スタメンに選ばれることも多く未だ素晴らしい活躍をしています。
菅野 孝憲
34歳 179cm コンサドーレ札幌所属
彼は柏レイソルがクラブワールドカップに出場した時の主力でした、俊敏性が高く素晴らしいセーブでチームを救いました。
まとめ
身長はGKを見る上での1つの能力でしかなく身長が低いからといって活躍できないわけではない。そして今も昔も身長に関する議論はされており、未だに結論は出ていない(今後も恐らくこっちが正解というのはでないと思いますし、正解は無いと思います)そしてどの時代にも低身長ながら他の能力を最大限に生かし、活躍してきたGKは存在していました。
低身長のGKは周りの人やコーチからやめた方がいい、トップにはなれないと言われるかもしれません。しかしその時には本当にそうなのか、何か方法はあるのではないかと冷静に考え、自分の夢を諦めずに追いかけて欲しいと思います。そのポジションをやるのは自由ですしね。自分より低身長で活躍したGKがいなければ自分がプロになって第1号になればいいのです。今プロのGKで一番低い人はプロになる前自分より低い人はプロにいなかったのになったわけですからね。
引用 孤高の守護神 ゴールキーパー進化論 ジョナサン・ウイルソン著
また次回の投稿も読んで頂ければと思います。
ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?