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コーチングの「切り替え」を考える : 定義と範囲を伝える重要性

要約すると
・「切り替え」の定義とは
・「感情の切り替え」と「認知の切り替え」
・「切り替え」のコーチングの範囲設定

**著者プロフィール**
もりくま(Twitterアカウント : @reeeeeds
埼玉生まれの22歳大学生。埼玉に生まれたことで、自然な流れで浦和レッズのサポーターになったことからサッカーを見ようように。今年のロシアW杯をきっかけに、サッカーを戦術的に見ることの面白さに気づく。

切り替えについて考える

サッカーという競技に、何かしらの形で少しでも関わっている人は「切り替え」という言葉を一度は聞いたことがあるかと思います。

突然ですが、「切り替え」とは何のことを指すのでしょうか。指導者あるいは選手として、「切り替え」をどう捉えるべきなのでしょうか。立場が異なれば、必要となる考え方や振る舞いも変わると思います。そこで、今回はその「切り替え」、特にコーチングの「切り替え」について、少し掘り下げて考えていきたいと思います。

「切り替え」と「トランジション」の違い

サッカーを深く見ている人は「トランジション」という言葉を聞いたことがあると思います。トランジションとは、「移行や変わり目といった意味を持ち、ボール奪取やボール喪失の前後の事」を一般的に指します。

この概念が生まれた根底には、サッカーという競技が<攻撃→守備>の二局面ではなく、<攻撃→ネガティブトランジション(攻撃から守備への移行期)→守備→ポジティブトランジション(守備から攻撃への移行期)>という四局面がループするようなサイクルとして成り立っているのではないか、という考え方があります。

この「トランジション」という考えと、今回僕が書く「切り替え」というのは、言葉の意味は似ていますが全く違うものとして今回書かせていただきます。僕が今回書く「切り替え」の話は、「トランジション」よりもっとシンプルなものです。

「切り替え」という言葉の定義

僕は「切り替え」という言葉を、「感情の切り替え」や「認知の切り替え」という意味で捉えています。ある特定の場面において、選手の「感情」や「認知」が切り替わる瞬間、また切り替わることを要求される瞬間のことを、「切り替え」という言葉の定義として、以降使っていきたいと思います。

ただ、ここで注意して頂きたいのは、僕の定義している「感情の切り替え」と「認知の切り替え」は同義ではないということです。僕の定義の中では、まず初めに「認知の切り替え」があり、その上に「感情の切り替え」がきます。ここまで具体例が一つもないので分かりづらいかもしれません。そのため、具体的な場面を想定して考えたいと思います。

例えば、「選手Aが決定的な場面でシュートした結果、惜しくも相手GKに止められる」という場面を想定したとします。

「選手Aがシュートを打ったこと」「相手GKがシュートを止めたこと」「それらの事象により自チームのボールであったものが相手側へと移行したこと」

このように、刻々と状況が変化する中で、変化したことを正しく認識するプロセスのことを「認知の切り替え」と定義します。

一方、「感情の切り替え」というのは、例えば上記と同じ設定で選手Aの視点から見た場合、「シュートを止められて悔しい」といった感情が生まれると思います。このような、ある事象が起きてそれを認知した際に生まれる感情(ゴールが決まって嬉しい、シュートが入らなくて悔しいなど)といった感情を切り替えることを「感情の切り替え」と定義します。凄く当たり前で、文字通りの意味ですね。

コーチングの「切り替え」を考える

ここまで言葉の定義の話でしたが、ここからが僕の書きたいことです。

サッカーに選手や指導者として関わっている人は「切り替え」や「切り替え早く」といったコーチングを受けたことが、一度はあると思います。もしくは、コーチングをしたことがあるかもしれません。かく言う僕も、受けたことがありますし、したこともあります。

では、コーチングをしたことがある人に聞きたいと思います。設定は「前線でFWが相手DFにボールを奪われた」という場面です。「切り替え」や「切り替え早く」というコーチングは誰に向けて行いますか?

ボールを奪われた選手ですか?それとも奪われた位置を基準にしたある一定範囲にいる選手たちですか?もしくは、FP(フィールドプレイヤー)全員でしょうか?そんなの考えたことがないという人もいるかと思いますし、定義付けはできていても、受け手に伝えたことはないと言う人もいるかと思います。

では逆に、コーチングを受けたことのある人に聞きたいと思います。「切り替え」や「切り替え早く」のコーチングを受けた際に、自分とボールがどのような関係性の時に、コーチングを受けた当事者だと認識していましたか?

コーチングをする側と受ける側の認識のズレがあればあるほど、コーチングがコーチングとしての意味を失っていくのは言うまでもありません。

選手としての「切り替え」

ここまで「切り替え」の定義とコーチングの際の範囲の定義について書いてきました。それは、ひとえに「切り替え」というコーチング一つを取っても、受け手と出し手の間に大きな認識のズレが存在する可能性があるということを示したいが為です。

僕の身に起きた事を話させて頂くと、僕が選手としてサッカーに関わっていた時に「切り替え」の定義は「認知・感情の切り替え」、コーチング範囲はFP全員だと思っていました。そう考えているとどうなるか。

「切り替え」や「切り替え早く」の中には「認知・感情の切り替え」以上の意味は、僕の中にはありません。しかし、失点をした際や即時奪回できなかった時に「切り替えが遅いからだ」と言われるわけです。しかし、どれだけ「認知・感情の切り替え」を早くしたところで、20m先のボールを奪われた地点まで、素早く移動することは出来ません。そうすると負のスパイラルに陥っていく訳です。まさに「切り替え」というコーチングの沼に足を踏み入れた気分です。

指導者としての切り替え

では、指導者に必要となってくるものは何でしょうか。僕はコーチングの意味と範囲の定義付けをして、それを選手に伝えることが必要であると思います。

「切り替え」を例にした場合、シュートを外した時やパスが繋がらなかった時など、ボールの喪失時は、選手の集中力が切れて「感情の切り替え」が遅くなります。その際には「切り替え」や「切り替え早く」といったコーチングが妥当になってくると思います。

しかし、そうでない場合、例えばボール喪失時に選手の集中力が切れてない場合、「切り替え早く」というコーチングは果たして妥当でしょうか?それよりも、奪われた際の振る舞い方をデザインし、そこから逸脱した振る舞いを見せた選手に適切なコーチングをしてあげることが必要であると思います。もちろん「切り替え」というコーチングの意図をしっかりと説明してあげた上で、そのコーチングをする事が適切だという場合は例外ですが。

最後に

この記事を読んでいる人は、指導についてしっかりと考えている人であり、僕が伝えたい人たちの層とは離れていると思っています。しかし、常々思っていたことなので、ここで筆を取らせて頂きました。

「切り替え」というコーチング一つを取っても、簡単なようでとても複雑です。人間と人間がやり取りを行なっている以上、完璧に自分の意図を伝え、相手の意図を汲み取ることはできません。そのため、結局のところ選手同士、そして選手と指導者の信頼関係が一番大切なんだなと、これを書きながら改めて思いました。

最後この記事の内容から脱線してしまいましたが、こんな所で終わらせていただきたいと思います。ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。

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