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推しクラブが負けた時のメンタルコントロール~ストレス対処~

 ■要約すると

・サッカーとは人生と同じで理不尽でもあり、ストレスを感じるスポーツだ。
・サポーターにはストレス対処法が必要である。
・文句や批判は楽しいが「プロレス」程度に抑えるべきだ。

<筆者>

トカシ @saiomji

大阪出身。親父の影響で生まれてからサッカー&ガンバ大阪のファンに。2003年から2004年、初めてみた海外サッカーでアーセナルが無敗優勝を成し遂げてから、アーセナルが推しクラブとして加わる。サッカー歴は18年。元サッカーメディア勤務。2018年のW杯を機に戦術クラスタにどっぷりはまる。ガンバやアーセナルを中心に戦術的な視点や動画などを作成してTwitterでつぶやいているので良かったら見てください。


【サッカーとは人生だ】

「人々がサッカーを愛するのは、それがまるで人生のようであるからだ。美しくてインテンシブであると同時に、計り知れなく計算不可能、不公平で、時にかなり退屈でもある。だからこそ誰もが繋がりを見つけられるのだ。」

ドイツサッカーの知られざる危機。過剰な商業化がもたらすファン離れ  

ドイツのサッカージャーナリストであるダニエル・テーベライト氏の言葉だ。僕はこの言葉が大好きである。サッカーとは人生だ。歓喜も興奮もあれば、怒りも理不尽もある。それがすべてサッカーの醍醐味になりえるのだが、サッカーでは今でもサポーターによる、人種差別的な発言、暴力行為、他クラブサポーターとのいざこざ、選手、監督、審判への誹謗中傷などがみられる。これらは、ストレスに対して感情的に反応している状態だ。

また、こうでなくもサポーターである以上、少なからずストレスを受けた経験があるだろう。サッカーにはストレスがつきものである。よりよいサッカーライフを送るためサポーター自身の「メンタルコントロール」が必要でないか?と思ったのがこの記事を書こうと思ったきっかけだ。

【ストレスとの向き合い方】
そもそもストレスとは「ストレッサー」、「認知」、「ストレス反応」という3つの要素で成り立っている。「ストレッサー」がストレスの引き金となり、私たちは受けた刺激を「認知」で受け止める。そして「ストレス反応」として私たちの心理面、身体面、行動面に影響を及ぼす。これがストレスの一連の流れだ。ストレスによっては、体を壊してしまったり、犯罪行為に走ってしまうこともある。ストレスは現代病の代表であると言えよう。

そういった、ストレス社会に対し立ち向かうために考えられたのが「ストレスコーピング」である。いわば、あらゆるストレスへの対処法だ。「ストレスコーピング」は大きく「問題焦点型」「情動焦点型」「ストレス解消型」の3つに分けることができる。

「問題焦点型」は文字通り、問題そのものを解決する方法だ。寒いならストーブのある部屋に入る、いじめではいじめっ子に立ち向かうなどなど。ただ、これはサッカー面では少し厳しい。クラブや監督、選手に直接働きかけ、チーム状態や戦術に変化を与えることは一介のサポーターでは現実問題として難しいからだ。団体としてできることはあるが、それはまた別の問題だろう。ここでは省略させていただく。

「ストレス解消型」も同様だ。「ストレス解消型」はストレスから離れ、体を動かしたり、美味しいものを食べたりすることでリフレッシュを図ることだが、サッカー以外に関連することなので、これも省略させていただく。(そもそもサッカーから離れた生活ができたら、こんなに苦労していない笑)

ここでは「情動焦点型」を主に取り扱っていきたいと思う。「情動焦点型」はストレスにおける「認知」に焦点をあてたコーピングだ。ストレスを受けたときの感情や解釈を見つめなおし、うまくコントロールをする対処法である。サッカーにおいて不可解な判定など「ストレッサー」になり得るものは多くあるが、認知や解釈を変えることで過剰なストレス反応を抑えることができる。以下5つの面から「情動焦点型」コーピングについて述べていきたい。

①自分と他人の問題を分ける
いきなりで申し訳ないが、こんなことできたら苦労しない!(笑)。推しクラブの負けは、そのまま自分に跳ね返ってくる。1週間の気分が土日で決ってしまうといっても過言ではない。何度となく悔しい思いをしながらも、土日にはスタジアムに、テレビの前に向かってしまう。これはどうしようもない。ただ、サポーター同士の関係では有効だ。例えば、スタジアムで隣の人が不機嫌に声を荒げていて、楽しめなかったという人もいるだろう。ただ、サッカーの楽しみ方は人それぞれである。どれが正しいなんてルールはない。人生と一緒だ。自分と他人は切り離して考えるべきである。自分の楽しみ方に集中すればよいのだ。

②コントロールできる/できないに分ける
審判、天候、怪我、予想できないことはサッカーでは良く起こるものだ。僕らは別にクラブや選手をコントロールしているわけではないのだが、それでも運や不運で結果が左右されることは少なからずある。そういったものは切り離して考えるべきだ。起こってしまった結果(PK失敗など)、不可解な判定、「たられば」は変えようと思っても変えられない。もちろん、起こった結果に対し、分析は必要だ。ただある程度したら”しょうがない”と割り切ることも必要だろう。そこで立ち止まり不平不満を言い続けたところで、負の感情からは解放されない。過去は変えられないものである。

③事実と意見を分ける(正しい解釈をする)
これはサッカーファンにとって、特に重要となるものだと感じる。例えば「ある選手が下手でつまらない選手だ」と自分が思ったとしよう。でも、他の人はそんなこと全然思っていないかもしれない。他の人はその選手を素晴らしく、創造性のある選手だと感じているかもしれない。これが事実と意見の違いだ。サッカーにおいて批判は必要だ、全然あっていい。ただそれは果たして客観的な事実なのだろうか。主観的な意見なのだろうか。意見であっても正しい意見なのであろうか。常に正しい解釈がサポーターとして求められる。これは解説者にも言えることだ。

様々な見方が存在するサッカーで「正解」がないのがサッカーともいえよう。色々な意見があるのは当然だ。ただ、そんな中で自分の言葉でしっかりと解釈し、「何故悪かったか」を述べる姿勢は必要である。「ちゃんと走れ」「気持ちを見せろ」では不十分だ。その程度ではただの悪口になる。批判する側にも解説する側にも責任はあるのだ。批判をする際はストレスをうまく消化し、事実と意見を混同しないよう心がけたい。

④問題と感情を分ける
サッカーファンは特に機能的な解釈と感情的な解釈を分けるのが苦手だ。どうしても感情が先に出てきてしまう。それはやはり、感情的になる場面が多いということもあるだろう。それは良い面でもあるが、理性的な判断は必要だ。例えば試合観戦に行って、ある相手サポーターに中傷されたとしよう。実際にみればその個人が悪いだけなのに、「○○サポはやっぱり嫌いだ」となってしまう光景をよく見る。ここでも理性的な判断をする前に感情で判断してしまっている。③で述べたように、混同しないよう正しい解釈が必要だ。

⑤解釈、認知を変える
以上4つの項目をすべて抑えても、やりきれない怒りやもどかしさは残るものである。そういった時はできるだけポジティブに解釈してみよう。「この敗戦が上昇へのきっかけになる」など、無理矢理にでもポジティブに解釈してみる。やはり、好きなサッカーに触れているのだ。ネガティブよりはポジティブであったほうが絶対に良い。ポジティブに解釈しないとやってけないシーズンもある(笑)。

以上5点からストレスコーピングについて述べてきた。歓喜だけではなく、不満や理不尽、退屈があるのもサッカーだ。時にはストレスがあって、感情的にもなる。そしてそれがまた楽しい。文句すらもいまや娯楽の一部だ。ダービーは否応がなく熱くなるし、勝ったら相手を煽りたくなる。スタジアムで審判に「ファウルだろ!」と文句を言ったりするのも楽しい。ただ、そういったものは「プロレス」「馴れ合い」程度に収めるべきだ。行き過ぎた場合はきちんと謝罪するべきだし、熱くなれば原則に立ち返って、自分を冷静に見つめる必要がある。最悪の場合、事件や喧嘩になることもあるのだ。行き過ぎた感情は誰にも支持されない。ストレスと上手く付き合い、クラブ、選手、他のサポーターと良好な関係でいてほしい。人生の中で数少ない、サッカーファミリーなのだから。

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