エスティマの思い出

ニュースで、トヨタのエスティマが生産中止になる事が伝えられました。

私は、エスティマ・エミーナという車種がマイカーでした。エスティマと比べると、ボディサイズが少し小ぶりで、ディープレッドマイカという鹿島アントラーズのクラブカラーに近い色の車に乗っていました。

当時、子供達の学校の都合で、ジーコは東京に住んでいて、時折イベントなどの都合で、車に迎えに行きました。普通の乗用車と比べると、車内が広いので、鈴木通訳もジーコに気遣うことなく座れるので、鹿嶋までの2時間近くの移動でも、快適に移動する事ができました。

ある時、鈴木通訳から「ジーコが車を貸してもらえないか?と言っているけど」と伝えられました。

奥さんと3人の子供達と、チームがオフの日にドライブへ行きたいとの事でした。クラブからは、乗用車を支給されていましたが、3人の子供達は大きかったから、乗用車の後ろ座席に座る事は難しいのは、私もわかっていました。

ジーコの運転ぶりは、それまでも彼が運転した車に乗っていたから、全く問題ないとわかっていたので、「いいですよ!どうぞ」と言って、鈴木通訳に鍵を渡して、代わりにジーコの乗用車に乗りました。

チームのオフの最終日に、鈴木通訳から連絡があり「申し訳ないけど、ジーコの自宅まで、車の交換に来てもらえますか?」という事で、東京へ向かいました。

ジーコの自宅には、一足先に鈴木通訳が到着していました。車を交換する際に、ジーコが何かを話して、それを鈴木通訳が伝えました。

「謝らないといけない事がある...」

「ん...??」さて、何があったのかと思ったら、「本当に申し訳ない話なんだが、子供達が飲み物をフロアーカバーの上にこぼしてしまった。洗ったけど、もし不具合があって、買い替えたりしたら、代金は払うから遠慮なしに言ってくれ。」

実際に、車を見るとフロアーカバーだけでなく、車内もきれいに掃除されていました。ジーコが、自ら掃除をしてくれたようです。ガソリンも、ちゃんと入れてくれていたし、この辺りはやはりジーコらしいと思いました。

「ジーコに、車の掃除をさせてしまった...」って、冷や汗が出ましたけど。(笑)

フロアーカバーは、交換することなく、そのまま使いました。肝心のドライブは、とても楽しかったようで、奥さんや子供達からもニコニコしていました。

しばらくしたら、ジーコがエスティマに車を変えたんですよ。車を貸した事がきっかけになったかな?ボディ色は、同じディープレッドマイカでした。

ジーコは、物を大切にする人で、ご存じの方も多いと思いますが、1981年のトヨタカップのMVPで贈られたセリカを、今でもリオ・デ・ジャネイロの自宅に大切に所有しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?