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<書評>真実ーー新聞が警察に跪いた日

 二〇一二年、角川文庫より発刊されたこの本は、それほど世間の注目を集めなかったと記憶している。著者は元北海道新聞報道本部次長の高田昌幸氏。二〇〇三年。北海道警旭川中央署で発覚した捜査報償費を悪用した組織的な裏金作りを暴き、権力の監視という報道機関に求められる役割を果たした北海道新聞社が、道警の猛烈な巻き返しを受ける姿を書いている。外部のルポライターなどが取材したものではなく、当時その渦中にいた道新の記者が書いているから、多少のズレはあろうが内容に大きな誤りはない。
 道警本部長を謝罪に追いこんだ道新が受けた仕打ちは、およそ民主主義をうたう我が国で許されるものかと目を疑う。道新の記者がいるという理由で取材を拒否する警察署。露骨に取材を妨害する関係者の姿。それを遠巻きに見守るばかりか、道新が干上がる姿を目にしながらスクープ欲しさに警察側にすり寄っていく同業他社の大手紙の姿。権力の監視という当然の役割を果たしただけの高田氏らは、次第に社内でも追いつめられていく。その過程は見るにたえない。繰り返しになるが、当然のことをした記者を守ろうとしないどころか、道警との手打ちを狙う姿は、およそ権力の監視という使命を放棄しているようにしか見えない。
 作中では、道警の泳がせ捜査の失敗で大量の覚せい剤が道内に流れこんだ、いわゆる「稲葉事件」を巡る記述が出てくる。道警はそれにつけこみ、事実の誤認があると道新を揺さぶる。さらに追い打ちをかけるがごとく発覚した道新東京支局での使いこみ問題が道警の知るところになり、ついに道新は読者である「北海道民」ではなく、「警察」に対する謝罪記事を出すに至った(『泳がせ捜査』記事の社内調査報告=二〇〇六年一月十四日付道新朝刊)。
 組織が、その組織を守るために翻弄され、その流れに抗うものを組織の悪として追い出そうとする姿はなまなましい。高田氏は最後に「悪人はどこにもいない。どこにもいない」と結んだ。まさにその通りなのだろう。皆、組織のためと思い、悪と思わず不正に手を染めただけなのだから。
 北海道内で起きたメディアを巡る事件はこの道新の一連の事件以後、NHK札幌支局の出入り禁止問題、道新記者の大学取材における不当逮捕と続くが、少なからずこの「成功体験」が、道警の増長を招いたのではないか。
 報道の自由が年々低下していると指摘される我が国の、地方の報道機関の中で起こった一つの異変は、今の時代に少なからず影響を与えているのではないか、そう思わざるを得ない。

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