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禁じられた食事の末路=2019年

 二〇一一年四月、富山、石川、福井、神奈川の四県六店舗で起きた集団食中毒事件で百八十一人が中毒を起こし、五人が死亡した事件から十三年になる。翌年には食品衛生基準の規格が改正され、生肉の類いは一部を除いて酒場から消えた。

 ダメなものほどやってみたくなる。これをカリギュラ効果と呼ぶ。法律で規制され、一部の店でしか食べることができないあの食感と舌触りを思い出した。ぷるんとした舌触り。独特の歯ごたえ。そしてなんとも言い表すことができないレバ刺しの味を。あれを味わったのは二〇〇四年ごろのことだった。もう一度あの味を求めてインターネットを探した。
 出てきたのは「新鮮生レバー!元生食用!」というそれだった。楽天通販で見つけたそれの口コミには「あの方法で食べてみました」「あの方法は、にんにくすりおろしと薬味で食べるのがコツです」と親切な書き込み。早速注文した―。

 横浜市に住んでいた私のもとに届いたのは、注文から約一週間後のことだった。早速二俣川のドン・キホーテで酒を買いこんでから、調理に取りかかった。意外と筋が入っていて、切るのに難儀したのは覚えている。食卓に並べてみて、すこしチューハイを飲んでから手をつけた。にんにくと薬味と醤油の味につつまれた牛の生レバーはとても美味だった。子供のころ、母親の働く焼肉屋で、こっそり主人に食わせてもらったそれを思い出した。とても、美味しかった。

 「何かがおかしい」。そう感じたのは約三日ほどあとだった。下痢が止まらないのだ。どこぞの銃で撃たれた人のように、水下痢が止まらなくなった。仕事中に悪寒が全身を襲い、はらわたをえぐるような痛みが襲いかかった。カンピロバクター食中毒のそれであった。発熱が収まらず、ついには四〇度を超えてしまう始末であった。部屋とトイレを往復したことは今でも覚えている。仕事は仕方なく休んだが、三日三晩ほど、トイレと部屋を這っては寝込むという始末だった。

 ようやく寛解したのは発症四日後あたりだった。水下痢こそとまらぬものの、熱は収まり動けるようになった。頬がそげ、体重は数キロやせた。身体がふらつく感覚を覚えている。
 ふらつきながらも仕事に出てはいたが、頭も回らなかった。やはり生はダメだった。生はいけない。四年後にまた生の鳥肉を食べて同じような目にあった。

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