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鳥かごの中の「狂気」ー報徳会宇都宮病院事件を振り返る

 ※おことわり 本記事中に掲載する関係者ですでに刑期を終えている人物や退院などに至った患者の氏名などについては全てアルファベット表記とします。

 栃木県宇都宮市にある報徳会宇都宮病院(鈴木三夫院長、病床数五○○)は宇都宮市近郊の精神科医療の中核で、病院のほか精神障害者関連施設や老人介護施設などの運営も行っている。また看護学校を設立し、医療従事者の育成にも力を注いでおり、同地域への貢献度には高いものがある。
 しかし昨年連載された東洋経済新報の特集「精神科医療を問う」にて驚きの実態が明るみに出た。二○二一年七月六日付オンライン記事では、でたらめなカルテの作成記録や山のように寄せられたクレームの記録が報じられ、また同院を運営する報徳会の石川文之進オーナーの発言などが取り上げられた。また同記事では、同院で発覚した患者のリンチ殺人などに触れられていた。今一度当時の報道などから振り返る。

入院患者の死ーAさんの場合

 昭和五八(一九八三)年四月二四日、精神分裂病(当時の呼び方・現在は統合失調症)で同院に入院する三二歳のAさん(男性)がいた。彼は昭和四五(一九七○)年に措置入院となり、それから十年以上入院する長期患者だった。病態は一進一退といったところだったが、特にトラブルを起こすこともなくなっていた。午後四時に提供された夕食の時間、少し手をつけたがあまり箸が進まなかった。
 夕食に立ち会っていた同院の看護職員の男S(三二)はAさんのそんな姿をみかけ「食べなきゃダメじゃないか」と食事を促したが「食いたかねえんだ」と答え、食事を残飯入れに捨てた。
 その日の夜八時、Aさんは容態が急変し死んだ。死因は「てんかんによる心不全」。
 カルテによれば、Aさんは午後七時に吐き気を訴えて容態が急変、八時には院長が駆けつける中で嘔吐を繰り返し顔面は蒼白となり唇は紫に変色、やがてチアノーゼを起こして心臓が止まった。医師らが懸命に心臓マッサージをしたが、同三○分に息を引き取った。
 駆けつけた家族には「てんかん」と説明された。

入院患者の死ーBさんの場合

 昭和五八年一二月三○日、四ヶ月前から入院していた三五歳のBさん(男性)は見舞いに来た知人に「こんなひどい病院はないよ。退院させてほしいね」と愚痴っていた。彼は慢性アルコール中毒(当時・現在はアルコール依存症)で入院し治療を受けていたが、退院にはまだ程遠い様子だった。
 腹部は膨らみ、手足の毛細血管がクモのように広がったクモ状血管がみられ、顔はすこし黒ずんでいた。
 翌三一日の大晦日、彼は突然病室で噴水のように血を吐いた。すぐに医師らが駆けつけて点滴を打ち、心臓マッサージを施されたがとうとう意識は戻らなかった。てんかんの発作と吐血が直接の死因とされた。入院した時点で彼は肝硬変を患っていて、酒をやめたにしろ先が見えた命だった。
 遺体は遺族に引き渡されたあと市内の墓に土葬された。

嘘だった「てんかん」ーAさん

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 昭和五九年三月一四日、朝日新聞東京本社版二三面に精神病院で起きたリンチ殺人の告発が掲載された。二人の男性の死はてんかんや心不全なんかではなく、その前に受けた看護職員によるリンチが原因ではないかー。
 同院を退職した元関係者や入院患者らが告発した証言により彼の死は覆されたが、その凄惨なリンチの内容は想像もできないものだった。
 四月二四日に死んだAさんは夕食にほとんど手をつけずに残飯入れに捨てた。Sは「捨てるんじゃない!」と激怒しAさんの左頬を二回殴り付けた。Aさんは驚きと恐怖の中、Sの暴力をとめようと包帯をしていた腕を掴んだ。
 包帯を捕まれたSは痛みに耐えかねて声をあげた。食堂にいた患者の視線が一気に向けられ、顔を潰されたかたちのSの頭に一気に血が昇った。
 Aさんの腰に思いっきりの回し蹴りを二回喰らわせて隣の小ホールへとAさんを連れていき「なんで掴んだ!」と怒鳴り付けたが、Aさんは「食べたかないんだ」と見当違いの答え。「バカにしやがってー」さらに二回回し蹴りを喰らわせてやった。
 このころ、騒ぎを聞き付けた看護助手のT、U、Vがホールに駆けつけた。AさんがSの言うことを聞かないので「制裁」されているのは明らかだった。三人は看護人の立場からAさんを懲らしめてやろうと思った。Vが「何をしたんだ?」とAさんに問いただしたが、ちらっとこっちを見てそっぽを向いた。反抗的な態度だと頭にきたので殴り付けた。
 その頃SはAさんへの制裁を彼らに任せ、リネン室に行き金属パイプを手に取った。「徹底的に懲らしめなければー」と思いながら。
 AさんはSが手に持っていた鉄製のそれをみて殺されると思い「助けてくれ!」と命乞いをしたが、Sは総勢四人で代わる代わる金属バットをAさんに振りかざした。
 頭から足まで全身を鉄パイプで殴り付けられ次々に身体のあちこちが痛め付けられるAさんは食堂に逃げようとしたがすぐに四人がかりで連れ戻された。その時Sがパイプ椅子で躓いて転んだが、Sは「Aのせいで恥をかかされた」と思い徹底的にやってやろうと思った。
 全身を殴り付けられたAさんにSは「俺を肩車してみろ」と命じたがすでに動ける状態ではなかった。これを「命令を無視した」とみなしたSはAさんをかわりに四つん這いにさせ、その背中の上にサンダルのまま飛び乗って三、四回踏みつけてやった。さらにTら三人も加勢し、Aさんの全身を踏みつけてやった。
 Aさんはもううめき声さえ上げず、しばらくしてから小ホールのベッドに自力で腰をおろしたがそれを見たUがAさんを後ろから蹴り落とし、さらにAさんに飛び乗り殴る蹴るの暴行を加えてやった。夕食時のリンチはようやく終わったが、もうこの時点でAさんは、誰がみても重篤な状態だった。
 Aさんは最後の力を振り絞って自室に戻り、うつ伏せでベッドに横たわった。何があったか一部始終をみていた患者がAさんに水を持ってきて飲ませたが、それすらもう飲めなかった。そのうち口から血の泡を噴き出し、鮮血の混ざった大便を漏らし、その日の夜八時には脈も止まったので、患者が看護師に知らせた。
 そこでようやく石川院長も処置に立ち会い吐瀉物を取り除いたり心臓マッサージをしたりしたが、すでに手遅れだった。死因はてんかんなんかではなく、リンチを受けたことによる外傷性ショックで内蔵が破れたことが原因だった。
 ところでこの日の当直医は石川院長だったが急変時には外出しており、戻ったときにはリンチが終わっていてもう手遅れだったと言う。死亡を確認した院長は「疲れた」と早々に引き揚げ休み、午後一○時半に遺体を引き取りに来た遺族には医師ではない同院のG院長補佐に「てんかん発作の心衰弱」と説明させた。遺体のあちこちに傷があったが「トイレのドアで切った」としらをきった。

嘘だった「てんかん」ーBさん

 五八年の大晦日に死んだBさんは夕食後、古株の入院患者と口論になった。その姿をみていた件の看護師は「こいつは不平不満を訴える反抗分子だ」と思い、制裁を加えようと思ったー。
 金属パイプでBさんを何度も何度も、腹の辺りから腰を殴り付けて「不満を漏らすな」と叱りつけてすぐに終わったが、消灯時間にも念のため当直がBさんを「懲らしめた」。
 翌日の午後二時、Bさんはかねてから患っていた肝硬変で併発していた食道静脈瘤が破裂し容態が急変。破裂で吐いた血の量は二リットルにも及び、本館四階の内科病棟に移され手当てを受けたが血圧は低下。死戦期呼吸をするようになり、もはや回復の兆しはなかった。同六時三十五分に死亡確認された。
 駆けつけた遺族には「肝硬変による吐血」と説明し、遺体は「院内で清めました」と言い聞かせて確認させなかった。もちろん身体には暴行のあとが残っていた上、カルテには案の定「てんかん」と適当な記録が残っていた。

病院側の弁明

 朝日新聞の報道に対し石川院長は「看護者には患者に暴力をふるわないよう指導しているし厳しく禁じている。そんな看護者には退職してもらっている。以前はいたが今はいない。そういう話があるならいちおう調べてみたい」と話した。

捜査のはじまり

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 昭和五九年三月一四日、朝日新聞の報道を受け栃木県警捜査一課と宇都宮南署は傷害致死容疑で捜査を始めた。
 五八年四月のAさんリンチ事件などに関わった疑いで看護職員のS、T、U、Vの四人を出頭させて問いただすと、あっさりリンチに関わったことは認めた。
 その日の夜九時には傷害致死容疑事件として宇都宮病院に強制捜査のメスを入れた。そこではAさんを殺したリンチに使われた金属パイプ(長さ一メートル)を押収したほか、診療記録や看護日誌などを調べ、それに関連してほかの看護職員らから事情聴取を行った。
 Sは強制捜査の前「確かに日頃患者に暴力をふるっていたが、Aさんを死なせたわけではない」と容疑を否認していた。しかしその日の聴取でリンチの現場に居合わせた別の看護職員が「Aさんが死んだのはリンチのためだと思った」と話した。
 一七日、Sはそれまでの「手で殴っただけ」という供述をひるがえし「金属パイプで背中などを殴った。事件のあと自分以外の職員も使うようになり曲がったので捨てた」と認めた。

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 二七日にはBさんの遺体が下都賀郡内で発掘された。

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 二八日には捜査員百九十四人で同病院に再び強制捜査のメスを入れた。このころには傷害致死容疑のほかに保健婦助産婦看護婦法違反、診療放射線技師及び診療エックス線技師法違反などの容疑にも問われていた。当然同日には、石川院長の自宅にも捜査員が訪れていた。
 捜査に着手していくなかで、宇都宮病院の呆れた経営実態が明らかになっていく。

呆れた経営実態

 事件に関連し宇都宮病院の経営実態は次々と明るみに出ていった。当時の入院患者は九百人だったが、同病院が五八年に栃木県に提出した看護職員リストはまったくでたらめ極まりないものだった。中身にはそもそも退職している職員で水増しされ、それをあわせても本来必要とされる看護職員数の半数にも満たないありさまだった。
 また同院は五三年から五七年分の法人税約二億三千万円をごまかし、関東信越国税局から重加算税含めて約二億円を追徴課税されていたことも判明した。
 さらには患者の預り金の名簿をどんぶり勘定で一括して預金したうえ、その預金通帳の残高が帳簿上の預り金より三千三百万円も少なかった。この預り金は患者が入院するときに持ち込んだ金や家族から送られた金のほか、生活保護患者の金も含まれる。病院側は「患者の持ち金がなくなった場合は本来当座の分を病院で立て替えるが、それをせずプールした預り金から約千九百十五万円を回していた」と説明したが、それでも不明金の額は千九百三十万円に及んだ上、生活保護を受けている患者の生活費をピンはねしていたことも発覚する。
 同院の「経営努力」はこれだけではなく、人件費を徹底的に抑える"工夫"も怠らなかった。入院患者を職員に登用するなどそのでたらめっぷりは常軌を逸していた。

常態化した無資格診療

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 人件費を徹底的に抑えるために登用した「患者職員」には様々な仕事が与えられた。
 ある患者の例では、アル中を直すために入院したのに患者職員を命じられて報徳会系列の看護学校に通わされ、入院患者への点滴注射や静脈注射などをさせられたり、投薬やカルテの病状記入をさせられた。
 証言ではこのほかにも「自分で自分の看護記録を書いていた」というものもある。
 ある元公務員の話では、一回五、六人の患者を受け持ち、点滴液を混合して患者に注射針を刺したという。しかし当然慣れていないため血管を突き破ってしまいテープを貼ったこともあるという。
 後に複数人の元患者が捕まることになるが、彼らの中には病院に命じられて無資格なのにレントゲン機器を扱わされたり心電図を扱わされる者、脳波検査を雑役としてやらされていた者もいた。
 これらの患者には報酬としてわずかなお小遣いやタバコを渡すだけだった。
 患者を職員登用して給与も払わず、本来必要な職員を削って徹底的に人件費を抑えた結果、病院の人件費負担はたったの二○%台しかなかった。なお日本精神病院協会(斎藤茂太会長)事務局によれば、ほかの病院は五○ー七○%台になるのが普通だというから、同院がいかに「経営努力」をしていたかは瞭然だ。

院長回診

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 九百人が入院していた宇都宮病院の主治医は事実上石川院長一人だったが、週一回の回診風景はこのようなもの。
 夕食後の午後四時半過ぎ、大柄な看護職員が「回診準備」と号令すると一斉に患者が立ち上がり、机や椅子を隅に片付ける。一組だけ残された机の上にカルテが置かれ、患者は二列に並ぶ。
 午後五時になって石川院長が現れる。最初に声をかけられたのは五十歳前後くらいの女性。
 「○○ちゃん、どうだ。よく眠れるか」「はい、眠れます。先生」
 「そうか、はい。お次は△△ちゃん。尿は出てるか?」「前より出ています。先生、退院させてくれませんか」
 すがるように頼む患者を黙殺し、院長はなれた手さばきでカルテを「処理」し、会話は院長の前のテープレコーダーに録音される。患者はあとでこれをノートに起こして記録。精神療法として国に請求される六百円(当時)の根拠になる。
 ところで院長は回診に必ずといって良いほどゴルフのアイアンクラブを構える。そのヘッドで患者の体に触れて「おい、どうだ」と問う風景は「院長の十手」と呼ばれていた。偶然この日は新聞やテレビの記者がいたのでそれはなかったらしいが、十年になる患者によれば保護室に放り込まれたとき回診に来た院長に「生意気だ」と頭を殴られたという。
 院長は取材で「ゴルフクラブは休み時間の素振りの練習のあとついつい持ち歩いてしまうことが多かった」というが、院内では患者に襲われたときの護身用とおもわれていたらしい。
 この精神療法だが、当時でも他の精神病院では普通個別に面談し、長ければ一人一時間もかかるのが当然だったというが、院長がかける時間は一人数秒程度だった。

でたらめな「作業療法」

 宇都宮病院には当時作業療法士がいなかったが、療法自体は行っていた。
 入院している患者に作業療法をさせるが、そのメニューは石川院長が考える。日当はハイライト一箱か二百円。
 石川院長の実の弟で、自民党栃木県連の石川裕朗議員が実質的な経営権を有している市内の冷凍冷蔵会社には毎朝、病院からやってきたマイクロバスがやってくる。作業は冷凍庫内の荷物の上げ下ろしで、零下数十度の庫内で六時間以上行う。彼らは作業隊と呼ばれ、五九年当時は二、三人だったが多いときは二十人以上がいた。
 また院長は石川議員が経営権を握る他の施設にも患者をつかわせ、自動車学校に行った者やスイミングスクールの用務員をさせられた者、ボイラーマンをやらされた者もいて、いずれも日当は二百円だがこれすら患者に渡さず帳簿だけに記載した。
 また病院本館は五一年ごろに新設された新しい建物だったが、基礎工事やアスファルト舗装、テニスコート建設や噴水工事などに患者を駆り出したという。
 さらには院長の自宅の芝生の張り替えや塀の石積にも駆り出したり、事件当時も私邸の隣に「宇都宮病院砥上木工場」というプレハブ小屋があって、そこに大工経験のあるアル中患者四人が病院用の椅子、机、棚などを作っていた。
 その他の病院関連では、厨房の調理補助員や事務員、売店手伝いや心電図の計測から脳波測定技師などにまで駆り出されていて、これを「作業療法」としていた。
 同院の職員は朝日新聞の取材に「正直なところ患者がいなくては病院が回らない」と明かした。

東京大学医学部の関与と患者の解剖

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 警察の捜査が進んでいく過程で、東京大学の医師が名を連ねていることが判明する。
 この中には現職の助教授らのほか、元医学部長の名もあったが、診療は全くしていなかった。
 医師たちは毎週、同院に入院する患者を対象とした研究会を開くなど舞台として利用していた。症例自体は非常に多く、医学論文は二百件を超えていた。
 院長の話では研究会が開かれるのは毎週土曜日で、新規患者の中で長期入院となりそうな患者を選んで一ヶ月間、脳波や脳の断層写真を撮るなどして身体を調べ尽くす。それを元にスライドなどをみながら患者に直接質問したりして討論し、後に論文にまとめるなどしていた。研究会には院長のほかにも現職の東大助教授や病院の助手、患者職員なども出席していた。出席した助教授らには一回五万円の謝礼のほか、研究費として年数十万円が支払われた。
 ある元教授は一ヶ月か二ヶ月に一回、週末に病院に来て解剖された脳の標本作りを指導していた。彼らはこれが明るみに出ると同院を辞職した。
 この解剖に関しては染色体異常などの珍しい症状のある患者を「予約」し、死亡したら脳を解剖することになっていた。ある職員は「東京大学からこの人の脳がほしい」と注文が来たと証言している。
 遺族からの承諾を得るのはケースワーカー室主任だが、「三万円で解剖させてくれ」と頼むこともあった。
 解剖をとりつけると、看護士と看護婦が執刀し脳を取り出す。そしてホルマリン浸けにされる。そして数ヶ月後のホルマリンの浸け直しにも患者職員が使われた。
 これらの脳を入手したある東大元教授は「アル中の脳ミソにはこのような病変がある」と講演した。
 事件発覚後、関係者らは東京大学の教官でありながら宇都宮病院に利用し利用されたなどとして厳重注意の処分を受け、また論文に名を連ねた者は精神神経学会でその責任を追及された。
 東大関係者は、事件前から宇都宮病院の異常性を知っていながら、論文のために黙殺したとして世間から「モルモットだと思っているのか」と大きな批判を受けた。また東大との繋がりを裏付けるように、報徳会は東京都文京区本郷の東京大学正門近くに報徳会本郷神経クリニックを開設しており、そこには東京大学の研究費で購入したコンピュータを同クリニックに設置し、患者の検査結果をデータベース化していた。このクリニックは事件発覚後に閉鎖した。

ある患者のメモ

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 ここで、ある入院患者が記録したメモから、当時の病院の実態をみてみる。
 この患者はアルコール中毒と交通事故の後遺症で五八年一○月から翌年二月まで入院していた。患者は入院すると保護室に入れられた。
 一○月二六日 体重五三キロ、入院時より七キロ減。保護室は一人の人間を一匹の畜生以下にしてしまう。コンクリートの床に切り込んで作られているトイレからは常に異臭が漂う。汗とゲロの染み込んだ寝具は半分腐りかけている。耐えられないのは、それらで汚れた手で食事を手掴みで口へ運ばなければならないこと。それと寒さ。保護室三日目の明け方、私は硬直を起こした。天井のテレビカメラに向かってその旨を話したが無視された。一時間から三○分経ってから看護人が三人、棒を持ってやってきて「何やってんだ、このバッキャロウが」とこづいた。とにかく一日でも良いですから、なんとか理由をつけて外出させてください。面会の時は注射または薬で酔った状態にさせられ、ちゃんと話せないからです。
 一○月二九日 今日は院長回診があったが、実にそっけなく一人約一○ー二○秒と言うものだった。そしてこの回診料は二千円と院長自ら告げられた。
 一○月三○日 風呂は六畳くらいの浴槽に一度に病棟の六八人が入るので、押しくらまんじゅうです。私たちは三分間だが、部屋の親分(古株の患者のこと)は八ー一○分、そして二、三人の子分たちが身体を流し、部屋に戻ればあんまをするー。
 こうしたメモは新聞やテレビの記者の間で「ハト」と呼ばれ、病院内部の実態解明に役立てられた。

行政の対応

 栃木県は三月一四日に精神衛生法に基づく指定病院の認定取り消しも辞さない意向を報道関係者に話す。二七日の病院立入検査では生活保護患者の日用品費用が不正流用されている疑いを発見。二八日には船田譲県知事が院長の退陣を指導し、また県が直接責任をもって適切な運営管理ができる形にしていきたいと踏み込んだ発言をする。
 一方国会でも、三月一五日の参議院予算委員会で、日本社会党の高杉廸忠議員が宇都宮病院に関連する質問を行い、田川国家公安委員長が「犯罪の事実が認められれば厳正に対処する」と答弁している。四月七日の厚生省公衆衛生局長の大池は、三年間で二百二十二人の患者が死んでいることを明らかにした。
 これらとは別に第二東京弁護士会も宇都宮病院の調査に乗り出そうと三月二三日に同院を訪問しているが断られている。

関係者の逮捕と判決

 一連の捜査を進めていった栃木県警捜査一課と宇都宮南署は五九年三月二九日、傷害致死と傷害容疑でSらのほか一名、計五名を逮捕し翌日には送検。この中の一名は躁病(現在は双極性障害)で入院していた元患者だった(一人はその後保釈)。
 またこのほかにも無資格診療に関わったとして准看護士や元患者ら数人が逮捕されている。
 四月二五日には石川院長を保健婦助産婦看護婦法違反、死体解剖保存法違反、看護料請求明細書偽造による不正受給事犯などの疑いで逮捕した。またこれに先立つ形で院長は一一日に院長を辞任しているが、県の調査などに対してリンチはやっていないと明確に否定していた。
 院長は逮捕前の朝日新聞のインタビューに答えている。
 ーこの病院に重大な疑惑を持っている。確かめたい。
 「私が病院経営でやっていることが全てダメとなれば、精神医学の崩壊ですよ。学内暴力、シンナー問題など、責任者が命をかけて対決する姿勢がないので、全部ここに集まってくるんです。私一人が命を張って精神障害者と対決しているのに」
 ーどうして、措置患者やアルコール中毒など、扱いにくい患者を集めるのか。
 「関東一円から一番困難な患者さんが来てます。殺人、強姦、放火という凶悪犯だけでも十人か二十人いる。暴力犯の中に精神医学の本質がある。何もしないおとなしいノイローゼばかり治療する。そが精神医学の本質を外れるって訳ではないが」
 ー患者の在院日数が長いようだが
 「桃栗三年、柿八年、ばかの...十七年といいますからね。精神病は三年をメドに治す。それを過ぎちゃえば、七、八年になっちゃう。七、八年がダメなら十何年も二十年も...ダルマ大師なんかは、九年修行したんだから、一生懸命修行しなさいって、(患者に)話をするわけです」。
 看護職員らはAさんへの集団リンチに関わったとして、傷害致死と暴行の罪で宇都宮地裁に起訴され、院長は放射線・エックス線技師法違反、保健婦助産婦看護婦法違反、死体解剖保存法違反、食糧管理法違反などの罪で起訴された。
 看護職員らについては六一年三月二○日、最高で懲役4年の実刑を言い渡した。しかし院長はリンチに手を下したとされないとして、同二六日に放射線・エックス線技師法違反、保健婦助産婦看護婦法違反、死体解剖保存法違反、食糧管理法違反で懲役8カ月の判決を言い渡されたまでにとどまった。

行政処分

 この間栃木県は宇都宮病院の解体的出直しや県立病院化などを検討したが、結局いずれも見送られた。
 厚生省医道審議会は石川院長に対し医業停止2年の処分を決定。
 栃木県は計千五百十一件の無資格診療が確認できたとし、これに伴う診療報酬約六百三十万円を返還するよう請求、一方で保険医療機関の指定は取り消さず、もっとも軽い戒告処分を出して幕引きした。
 宇都宮病院のリンチ死は明らかにされた二件とされるが、ほかにもリンチが起きていたとする証言もある。

放たれた患者たち

 栃木県の実地調査で、宇都宮病院に入院していた一七○人の患者が退院となった。栃木県が委託した精神科医によって措置入院患者(自傷、他傷の恐れのある者)とされていた六割が措置を解除されて退院した。しかし、退院後三日で宇都宮駅職員をナタで切りつけ捕まった者や無免許で自動車の当て逃げをした者、自宅で母親を殺害した者、行き倒れになった者などが続出した。また中には家族が引き取らず、結局また別の精神病院で入院することになった者もおり、精神医療の場に家族がいないことが浮き彫りになった。

出展一覧

※朝日新聞については特筆がない限り全て東京本社版となります。
朝日新聞一九八四年三月一四日朝刊二三項 患者2人に「死のリンチ」 宇都宮市の精神病院で看護職員 金属パイプなどで殴打
朝日新聞同三月一四日夕刊一五項 看護職員ら四人聴取 精神病院事件 「殴ったことある」 宇都宮南署
朝日新聞同三月一五日朝刊二三項 宇都宮の精神病院 傷害致死容疑で捜索 金属パイプを押収/"幽霊職員"で水増し 看護基準の半数割る 日常化する密室の暴力
朝日新聞同三月一五日夕刊一五項 患者900人 秒刻み回診 宇都宮の精神病院 院長、アイアンを手に 「ハイ、次」と流れ作業
朝日新聞同三月一六日朝刊一項 早急に真相究明 政府、人権保護で答弁 精神病院「リンチ」
朝日新聞同上二三項 鉄格子から告発の紙片 宇都宮病院リンチ事件 患者ら「暴行受けた」/院長自身は暴力を否定/追徴、二億近く 給与を水増し
朝日新聞同三月一六日夕刊一九項 でたらめ"作業療法"も 療法士置かず 院長宅の庭作りまで 宇都宮病院/患者の遺体を近く発掘調査
朝日新聞同三月一七日夕刊一五項 「パイプで殴った」 宇都宮病院リンチ事件 看護職員が認める
朝日新聞同三月一八日朝刊二三項 患者が注射や点滴 宇都宮病院 白衣を着て「勤務」 元患者証言 投薬や当直留守番も/前例のないひどさ 横尾和子・元厚生省医事課長の話/処分を検討へ 精神病院協会
朝日新聞同三月二○日朝刊二三項 違法病棟隠し そら急げ 宇都宮病院 調査直前、患者を移す 危険施設などの120人/名のみ常勤・非常勤医 治療せずに謝礼・研究費 東大医師らズラリ
朝日新聞同三月二二日夕刊一四項 栃木県が再び立入調査 宇都宮病院
朝日新聞同三月二三日朝刊二二項 リンチ事件 院長が否定 県の宇都宮病院調査
朝日新聞同三月二三日夕刊一八項 宇都宮病院 「リンチ死もう二人」 元患者が証言
朝日新聞同三月二四日朝刊二二項 弁護士の調査拒否 宇都宮病院 院長、応対にも出ず
朝日新聞同三月二五日朝刊二三項 院長、病院資金加え豪邸 宇都宮病院 庭造りには患者動員
朝日新聞同三月二六日朝刊二三項 リンチ死患者死亡診断書 「てんかん」で処理 宇都宮病院 カルテもズサン
朝日新聞同三月二七日夕刊一三項 土葬の遺体を発掘 火葬患者の骨も鑑定へ 宇都宮病院事件
朝日新聞同三月二八日朝刊二三項 暴行裏付けるアザ 宇都宮病院の発掘遺体 死因は肝硬変か/揺らぐ信ぴょう性 院長発言 リンチ隠し明らかに/院長退陣を指導へ 栃木県知事/患者の日用品費不正流用の疑い 同調査
朝日新聞同三月二八日夕刊一五項 宇都宮病院事件 院長宅を初捜索 病院には194人の捜査員/患者全員を実地審査へ
朝日新聞同三月三○日朝刊二三項 逮捕の職員ら5人暴行をほぼ認める 宇都宮病院事件
朝日新聞同三月三一日朝刊二二項 看護助手ら5人を送検 宇都宮病院リンチ事件
朝日新聞同四月六日朝刊二二項 ニュース三面鏡 宇都宮出されたが・・・ 引き取り拒む家族ら 警察保護、結局は再入院
朝日新聞同四月七日朝刊二三項 異常に多い患者の死 宇都宮病院 3年余で222人
朝日新聞同四月九日朝刊二三項 無資格で脳波検査 宇都宮病院 雑役の元患者を逮捕
朝日新聞同四月九日夕刊一五項 リンチ・制裁は日常茶飯事 宇都宮病院 虐待の実態明るみ 特性の木刀で殴るける 不衛生、皮膚病まんえん/元患者また逮捕 無資格で心電図/点滴で腕はれ上がる 汚れた手のまま食事 元患者がメモ
朝日新聞同四月一○日朝刊二三項 宇都宮病院退院から3日 ナタで駅職員を切る
朝日新聞同四月一○日夕刊一○項 宇都宮病院 実地審査始まる 全入院患者720人を対象
朝日新聞同四月一二日朝刊二二項 准看護士も逮捕 宇都宮病院無資格診療
朝日新聞同四月一二日夕刊一二項 石川院長が辞任 宇都宮病院
朝日新聞同四月一四日朝刊二三項 宇都宮病院 患者の預かり金"蒸発" ずさん会計で2千万円
朝日新聞同四月一五日朝刊二三項 60人の6割「不要」 宇都宮病院 措置入院の実地審査/医療陣総交代か廃院に 精神神経学会見解
朝日新聞同四月一九日朝刊二三項 死亡患者を違法解剖 宇都宮病院 無資格で脳を標本に 年に十数体 看護婦らも執刀
朝日新聞同四月二○日朝刊二三項 リンチ死 4人起訴 宇都宮病院事件 暴行が原因と断定
朝日新聞同四月二六日朝刊 宇都宮病院前院長逮捕 荒廃医療に法のメス 求めたカネ・名誉 ひたすら患者増はかる
宇都宮地方裁判所 昭和六一年三月二○日判決
コアエシックス11号_05【論文】宇都宮病院事件から精神衛生法改正までの歴史の再検討

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