本当のホロコースト ドレスデンの爆撃:ジェノサイドの行為


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「ケルンからの避難者で、別の地下室に閉じ込められていた女性は、「しばらくして、ガスマスクとゴーグルを着けなければならなくなりました。地下室の壁の裂け目から煙やガスが両側の地下室から流れてきたのです。しかし、乳幼児用のガスマスクはなかった。一番被害を受けたのは、お年寄りと子供たちでした。生後3週間の赤ん坊が母親の腕の中で窒息するのを、私はこの目で見なければならなかった。」

「広場には、何千人もの人々が、パニックに陥ることなく、非常に静かに、肩を並べて立っていました。彼らの上では火が燃えていた。駅の入り口には、子供達の死体が山のように積まれていたが、それは駅から運ばれてきたものだった。」「駅には子供列車があったに違いない。どんどん死体が積み上げられていった。私は赤ん坊のために彼らの毛布の一枚を取り上げたが、彼らは死んでいるのではなく生きていて、ひどく寒がっていた。」「朝になると、年配のS.A.(ナチス突撃隊)の男性が何人か来て、そのうちの一人が私と私の家族が町を抜けて安全な場所に行くのを助けてくれました。」1

ドレスデンへの爆撃は、広島と長崎の爆撃と同じくらい恐ろしいものだった。ドレスデンは非武装の都市であり、ドイツの主要な文化の中心地の一つであった。ドレスデンへの爆撃は、ドイツの人々に対する大量虐殺の行為であり、戦争末期の1945年3月に起こったことを考えると、ドイツの士気をさらに低下させるために行われた。ドレスデン爆撃は焼夷弾[火炎爆弾]を用いて行われ、街からほとんどすべての酸素が吸い出され、ドレスデンは灰になってしまった。罪のない人々の苦しみは、想像を超えるものであった。この爆撃は、広島や長崎への原爆投下と同様に、非武装の民間人に対する直接攻撃であった。このドイツ国民への特別な攻撃の日は、キリスト教の聖なる日である「灰の水曜日」と重なっていた。「聖書」がユダヤ人の魔術書に過ぎないという事実を知っている人はほとんどいません。これについては、www.exposingchristianity.com (翻訳済みの記事はこちら。BLACK 666Blog) 参照してください。ユダヤ人は、この特定の日を利用して[キリスト教徒の精神的エネルギーを誘導して]ドレスデンをにしたのです。

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「ドレスデンの大火災は、西側連合国はドイツ国民の抹殺にしか関心がないのではないかという疑念を深めた」と、ドイツ消防庁長官は戦後に書かれた回顧録で示唆している。最初の攻撃を生き延びたドレスデンの人々にとっては、連合国のモーゲンソウ計画について聞かされていたことが、あまりにも早く現実のものとなってしまったように思えた。」2
歴史的なユダヤ人の軍事行動の多くと同様に、第二次世界大戦の大虐殺は、戦場ではなく、平和な地域社会で起こった。これは、ユダヤ人が女性や子供を虐殺し、あえて逆らう者の家族を絶滅させることを指示したエステル記の指示に従ったものである。

このようにして、ドイツの歴史的な文化の中心地であるドレスデンには、共産主義から逃れてきた何千人ものドイツ人女性と子供たちが集まっていたのである。彼らは、ユダヤ人将軍たちが男性を殺害する準備をしている間も、赤十字によって安全であることを保証されていた。血に飢えたユダヤ人は、一人でも多くのドイツの民間人を殺害することだけでなく、西洋文明のあらゆる証拠、ドレスデンで収集された白人文化の最高の例、かけがえのない磁器、貴重な絵画、バロック調の家具、石に刻まれた詩を持つバロック様式の家具やロココ様式の邸宅を歴史から消し去りたいと願っていた。軍事目標でさえない都市で、30万人のものドイツの民間人が死んだ大規模な爆撃によって、すべてが蹂躙されたのである!

ドレスデンのように、広島も古くからの文化の中心地であり、目に見える軍事目的はなかった。非戦闘員家族もまた何十万人もの悲惨な死を遂げた。軍事作戦に使用された最初の原子爆弾によって、多くの人が一瞬にして粉々にされたが、他の何千人もの犠牲者は何年間も生き続け、手足や臓器は放射線の影響で徐々に腐っていった。日本の当局者が必死に平和を求めていたにも関わらず、ユダヤ人たちはエステル記に定められているように、なすすべもない非戦闘員に対して、地獄の爆弾の第二の「テスト」を長崎に投下することを命じたのである。またしても、数十万人の民間人が悲惨な死を遂げた。

「第二次世界大戦前、ドレスデンは「エルベのフィレンツェ」と呼ばれ、その建築や博物館があるで書いで最も美しい都市の一つと考えられていました。1945年2月には、ロシアの東部前進から逃れた難民が、避難してきた。」「2月13日の夜、数百機のRAF爆撃機が二回に分けてドレスデンに降り立ち、致命的な荷物を無差別に投下した。ドレスデンの防空力は弱く、撃墜されたのはランカスター爆撃機6機のみであった。朝までに約800機の英軍爆撃機が1478トンの高爆発性爆弾と1182トンの焼夷弾をドレスデンに投下し、大火災を起こして街の大半を破壊し、多くの民間人が犠牲になった。その日のうちに、生存者が燻った街から脱出すると、300機以上の英軍爆撃機がドレスデンの鉄道、橋、交通機関を爆撃し始め、数千人の死者が出た。2月15日には、さらに200機の米軍爆撃機がドレスデンのインフラへの攻撃を続けた。米第8空軍の爆撃機は、954トンの高性能爆弾と294トンの焼夷弾をドレスデンに投下したのである。そのあと第8空軍は終戦までに3回の攻撃でさらに2800トンの爆弾をドレスデンに投下した。」「終戦時、ドレスデンの被害は甚大で、街は基本的に平地になりました。ツヴィンガー宮殿、オペラハウス、いくつかの教会など、ごく一部の歴史的建造物は瓦礫の中から慎重に再建されたが、それ以外の部分は平凡な近代建築で再建された。連合軍の攻撃時にドレスデンで捕虜となり、「スローターハウスファイブ(Slaughterhouse-Five)」でこの問題を取り上げたアメリカの作家カート・ヴォネガット(Kurt Vonnegut)は、戦後のドレスデンについて次のように述べている。「オハイオ州のデイトンによく似ていて、デイトンよりも空き地が多い。地面には何トンもの人骨粉が埋まっているに違いない。」3

「『通りには何百もの死体が散乱していた』とS.S.親衛隊上級大将のケールは記述している。「母と子、若者と老人、体は丸焦げだったり、そのままだったり、服を着ていたり、裸だったりして、仕立て屋のダミーのように蝋のような色をしていた。彼らはあらゆる姿勢で横たわっており、静かに落ち着いていたり、ひどく歪んでいたりして、死の最後の闘争が顔のあらゆる線で叫ばれていた。」「公共の空襲シェルターにたどり着いた人々も逃れることはできなかった。そこでの光景はほとんど運命の本質を理解して、パニックに陥ったところだけが変わっていた。あちこちに置かれた骨や頭蓋骨の残骸は、埋もれた牢獄から脱出するために住人たちがお互いに戦ったことを物語っている。」救助隊が数週間後にようやく密閉された壕やシェルターに入ったときには、壕の中で発生した熱があまりにも高かったため、そこにいた人たちの体には何も残っていなかった。ドイツ帝国統計局は1945年1月31日まで、統計表やデータの作成に細心の注意を払っていたため、医師はこうした陰惨な集計作業に従事していました。溶けた金属が溜まっていたが、これは鍋や調理器具を入れていたもので、地下壕の温度が尋常ではなかったことを物語っている。遺体の回収は、救助修理局(Sicherheitsund Hilfsdienst)[S.H.D]が担当した。S.H.Dは五つの部門で構成されており、消防局[超軍事的な国家サービスとは異なる地方の消防団で構成]、メンテナンスサービス[破壊されたガス管の修理、電気と水道の復旧、危険な建築物の取り壊しを行うサービス]、ドイツ赤十字社が組織する医療サービス、味方のガス攻撃に対抗するための除染サービス、そして最後に、負傷した家畜やペットの世話をする獣医サービスであった。」4

「セントラルヒーティングシステムがやられて、地下室に熱湯が溢れ、非常に不愉快な思いをした人もいました。静止した水槽に避難していた人も、一部は火傷して死んでしまった。たとえば、ムスキン・シュトラーセの角にある貯水槽は、夜の火災の激しい熱で沸騰してしまったようだ。熱で皮膚がロブスターのように赤くなった何人もの死体が水の中に浮かんでいた。」5

「気象学では、温度差は摂氏20度から30度であるが、この火災では600度、800度、或いは1000度のオーダーだった。このことは、火災嵐の風が非常に凄まじかったことを説明している。衣服はすべて引きちぎられ、人々は道端の藻屑のように投げ出された。逃げ惑う人々は竜巻に捕まえられ、炎の中に投げ込まれ、生きたまま焼かれたのである。6
映画「ドレスデン」[2006年]は、この恐ろしい悲劇を非常にリアルに描いています。この映画は、非常に生々しく、非常に悲しいものです。

カート・ヴォネガット・ジュニアの「スローターハウスファイブ」[1972年]にもドレスデンの爆撃が登場する。


参考文献:

1 アポカリプス1945:ドレスデンの破壊 デイヴィッド・アーヴィング著 (Apocalypse 1945: The Destruction of Dresden by David)著作権 © パーフォース 英国 Ltd, ロンドン、1995年および2005年

2 同上。

3 歴史上のこの日:1945年2月13日。ドレスデン壊滅 (This Day in History: Feb 13, 1945: Dresden devastated )

4 アポカリプス1945:ドレスデンの破壊 デイヴィッド・アーヴィング著 (Apocalypse 1945: The Destruction of Dresden by David)著作権 © パーフォース 英国 Ltd, ロンドン、1995年および2005年

5 同上。

6 同上。


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*「」、[ ]は原文。( )は翻訳者。