ほどけたら、また結べばいいんだよ。

一鬼のこさん(現在はアルファベット表記)がかけてくださった言葉で印象に残っているものの一つです。

先日、久しぶりにリュックについた縄を指摘されました。

展示を拝見しにお邪魔して、その時の写真集の購入特典としてKinokoさんが結んでくださった赤い色の縄を、ずっとリュックにつけています。

なにかしらの展示に足を運ぶ時って、もちろん作品や作家さんへの興味もあるんですけど

極端な感情に支配されそうになっていたり、なんとか今の状態を打開したいという心境で、きっかけや救いを求めて縋るようにうかがうこともあって

Kinokoさんの展示にうかがった時もそうでした。

作品から与えて貰った気持ちの変化や落ち着きももちろんあって

かつ、特典を作ってくださる際の、(私がその時の苦しさをこぼしてしまった際の)

言葉に励まされて。

神社にある縄の締め方と同じやつで、片方からみると人、片方から見ると入るに見えるその結び

「運があるほうだからわけてあげる」と手渡してくださったこと

そして「せっかくやってもらったのにほどけちゃったらどうしよう」と言った私に

「ほどけたら、また結べばいいよ」と笑ってくださって

本当に視界が開けたんですよね。

縄のことを指摘されて改めて思い出して、またその思い出すタイミングもなんというか。

今思い出す必要があったというか。

ご縁だったり関わりに関連して傷心していたので、きっと思い出さずにいたらへんに腐っていたかも知れないから。


私の価値ってなんだろう、と考え直してみています。

こう、思春期のそれとか、自分探しのそれとかとは違う、もうちょっと現実味ある感じ。

そもそも価値があると思って生きているわけではないのですが

生きる糧を得られているかどうかも一つの判断基準だとして

(単刀直入に食べられるだけ稼いでいるかというやつです)

だとしたら、私そのものにはそんなにないという評価になるので

ここをちゃんとしていけたらもう少し自信が生まれるのかなって。


私の性質はたぶんあくまでも相手が主体という感じなので

これは施術治療の中ではいい方向に作用していると思うのですが

自分のところに人を集めるとか、自分を中心としたなにかが不得意なのかもなという自覚をしました。

人が集まれる場をできたらいいなと思ってはいるし、そこはできるだけ排除のないところでありたいけれど

私がいるから人がくるんじゃなくて、そういう場があるから人がくる、みたいな。

(そしてたまたま手段の一つとして、私や鍼灸に触れてくれたり。)

君と、そして僕を中心としての空間なら、一対一であるほうが向いている。

でも、私はさびしんぼうなので(?)、おいでおいでってして寄ってもらえるほうがもちろん嬉しいんです。

これは…力ですね。力が足りないんですね。

圧倒的な力不足なので、「私に向くわけじゃないからいいじゃない。人には不向きもあるの」なんて言い訳してないで向き合うべきですね。

そもそも多数の人間がいる空間ですべてを把握し気をめぐらすこともうまくできないので(集団生活を放棄してきたツケ

あらゆるものへの精進が必要です。


ところでいつもnote書いてるときは猛烈に眠い。

でも思ったこと忘れたくなくて振り絞って書いてみてる。

「こんなの書いた覚えない!」って君はまた言うんだろうなあ。

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てだの ふあ×みつの はち
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