朝のラジオ番組

実家暮らしをしていたころ、私は毎朝のラジオをきくことが日課だった。

 その話をするために、少し私の家庭の話をしようと思う。
私の実家は個人経営のパン屋をやっている。あばら家みたいな母屋から通路を挟んでアンバランスに増築されたパン工場(こうば)。そこで両親は毎朝4時には起きて夜は8時頃まで、今にも壊れそうなオーブンを唸らせる。

 朝早くから働く両親は私にかまっている余裕がない。そんなわけで私は毎朝、両親の職場であるパン工場に赴いて仕事のおこぼれ——前の日の売れ残りのパンや、焼き時間を間違えて黒くなってしまったパンなど——をもらって、それを朝ごはんにしていた。まるでカラスのパンやさんだ。母屋にはテレビのおいてある居間もあったが、朝はもっぱら両親の働いている工場の机を借りて菓子パンやトーストを、カフェオレと一緒に頂いた。

 そこにはパンこね機やオーブンの音、そしてラジオの音が響いていた。

 仕事場の騒がしさが目覚ましにはぴったりだったし、両親がいるその空間がどこよりも落ち着ける場所であった。平日も休みの日も、朝になると私は変わらずそこで流れるラジオを聴くでもなく耳を傾けていた。私が俳優やテレビ番組やニチアサのアニメなんかに疎いのはそういうところにあると思う。私にとっての”ニチアサ”はNHKのクラシック音楽番組だったのだから。

 私は朝の放送でも特にその音楽番組が好きだった。ほとんどクラシックに造形のなかった幼い私はやはり「聴いている」というより「聞き流している」に近かったが、進行役のおじいちゃんの丁寧で物腰柔らかな物言いや、どことなく嬉しそうな語りを聴いていると、何とも言えない穏やかな気持ちになれたのだ。

 ここまでいろいろ考えて書きましたが、私が書きたいことはこんな事じゃありませんでした。頭のなかをごちゃごちゃと動かしながら書いてしまったため、とんだ散文になってしまい本当に申し訳ございません。

 こうやって文字に起こしてしまうと薄っぺらく感じてしまいますが、私は本当に彼の語りが好きでした。音楽への愛があふれていて、ときにはそれが暴走してしまうこともありましたが、アンチからの投稿には震える声で誠実に応えた彼の言葉が好きでした。あの番組が、あの穏やかで情熱のこもった語りがもう聞けないと思うと本当に残念ですが、どうか、せめて、ご冥福をお祈り申し上げます。

ごきげんよう、さようなら。

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