あれから

ばあちゃんが逝ってから、二週間が経った。

私が受け止めるのに、かかった時間だ。

傷ついた心は、些細なことすら塩を塗り込まれたように痛む。
ばあちゃんが安心するために、笑顔で見送ったのに、私の心は荒れまくった。

なんの為に、笑顔でいたのか。
今思えば、ちゃんと感情を出すことをしたほうが良かったのかもしれない。
けれど、できなかった。
その傷が癒えることなく、次々にいろんな言葉に反応して、私は荒れた。
Twitterにいろいろ書いたのを、そっとしておいてくれた人たちには、心から感謝を伝えたい。


27日に、湯川寺さんという、浄土宗のお寺さんのイベントがあった。
『いのちの積み木ワークショップ』というもの。
直前まで行くかどうか迷った。
だが、前日までにキャンセルできなかったので、「行こうか」と行ってきた。

『いのちの積み木』は、ご先祖様を『見える化』したもので、どのご先祖さまが欠けても、自分が存在しなくなるというのを、実体験できるもの。
名前も知らないご先祖様に見立てた積み木を、ひとつ引いただけで、もろくも崩れ去った。
それがショックで泣きそうになるほど、私の心は弱っていた。

ご先祖様をどこまで遡れるかも、シートを使ってやってみたが、父方の曾祖母までしか、名前がわからなかった。
そして、最後にご先祖様にお手紙を書くことに。
相手は誰でもいい、とのことで、旦那は見も知らぬ数代前のご先祖様に。
私はばあちゃんに書いた。

終了後、ご挨拶に行ったら、Twitterを見ていてくださっていて、

「だいじょうぶですか?」

とお声をかけていただいた。
祖母に手紙書いた、と話すと、それがいいと思っていた、と。
来るかどうか迷ったけれど、供養になるかと思って、と話したところで、涙で言葉が詰まった。


その後から、徐々に落ち着いてきた。
ふと、思い出すたびに、いないことを突きつけられるけれど。
今日、不思議な夢を見た。
誰かに、3つのモノをもらった。
そのうち、真ん中にあるものが「『力』だよ」と言われた。
嫌な感じは全く無く、けれど、なんの『力』かわからない。
それを受け取ったところで、目が覚めた。

まだ、すっかり落ち着いたわけじゃないのかもしれない。
ちょっとしたことで、揺れるかもしれない。
けれど、これはたぶん、正常な反応だから、無理せずにいようと思う。
我慢してきた自分を労る。
それも大事だと思うから。

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