論理を纏う
熱を出した。
ここ1ヶ月体調を崩しっぱなしだけど仕事は忙しくて、ようやく山を越えてひたすら寝ようと決めた土曜日、熱を測ると38.6℃だった。
熱を出してる割に意識は明朗だけど、いつもよりは気が緩んでるから感情の乗った文章が書けるんじゃないかと思ってnoteを開いた。今のところ、そうはならなそう。
20代前半に広義に死にかけて「論理的にならないと本当に死ぬ」と思って考えることにした。それまでの感情に振り回される自分をなかったことにして、客観的・論理的に考えるよう努めたら、すんなりと社会復帰できた。
最初は反動でストレスも感じたけれど、それで涙が出ることも「これは慣れないことに体がびっくりしているだけだから仕方がない。そのうち慣れれば起きなくなる」と頭が唱えていたら、ほんとうに大丈夫になった。
周りから見た私は「考えることが好き」らしい。確かに好きだ。論理を纏う前から、問題を解くことや頭を働かせることは嫌いじゃない。
感情に振り回されることはよくない。周りに迷惑をかけるのはもちろんだけど、何よりも自分にとっていいことが一つもない。うしなうばかりだ。
だけど、感情が動こうとするとすぐに論理が顔を出してくる自分の頭は、なんともつまらないなとも思う。なんにも分析せずに感動できたらいいのに。
まあ死ぬよりはいいんだろうし、他人の頭は覗けないから知らないだけで、みんなそんな風だったりするんだろうか。
なんの不自由はない。生きて、命の使い道があるだけで充分だ。そう考えると、これは未来がある前提の生存戦略で、いざ死ぬときになったら論理を全部手放して心を感じられたりするんだろうか。
こういうことをずっと考えると落ち込むこともよく分かっているので、少し思考が走り出すと「ま、そんな考えてもね」と自動で頭がストップをかける。それすら論理的な対応なので、手に負えないなあ。
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