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「それでも日本語が読みたい!~怖い漫画しかないよ編~」(ベルギー物語1986年)
私は小学1年生から数年間、ベルギーの首都ブリュッセルに住んでいた。父の仕事の都合で一家四人で赴任していたのだが、海外生活の中で子どもながらに最も不自由を感じていたのは、「当たり前のように日本語を読めない・聞けない」環境だった。
赴任したのは今から36年前の1986年。当然インターネットなどない。今なら海外に住んでいてもネットで日本語のニュースを見たり、電子書籍を読んだりできる。しかし当時はそんな
人生、すべては繋がっていると感じた愛猫との思い出
この春に長年連れ添った愛猫が旅立った。生後4カ月でわが家にやってきた。あと少しで11歳になれそうだった。彼女は6歳で片方の腎臓の萎縮が見つかり、それから何年も慢性腎不全で闘病していた。ステージ初期のときには療法食と投薬だけで安定していたが、3年前に血液検査の結果が急激に悪化。そこからは自宅での点滴治療が始まっていた。
仕事を諦めて打ち込んだ不妊治療私は30代前半、何年も不妊治療をしていた。なかな
私に、「産まないのか、産めないのか」と言ったタクシー運転手への対処法
こんにちは。草花です。
これは、noteで必ず書こうと思っていた実話です。不妊治療をされていた方やストレスマネジメントに興味がある方は、よかったらご一読ください。
私は現在夫婦と猫の生活ですが、もう10年近く前、30代前半~は何年も不妊治療をしていました。私は20代で結婚しました。会社の同期の中では結構早いほうだったと思います。しかし、どうしても子どもができず、幾度もの春が手のひらからこぼれ落ち
マイノリティーである
最初の記事は自分のアイデンティティーに通じる内容にしたいと考えたところ、頭に浮かんだキーワードは「マイノリティー」でした。
なぜかというと、物心ついてからずっと、自分はメジャーロードを走ってるなあと思ったことがありません。
初めにそう思ったきっかけは6歳のとき。
親の仕事の都合でベルギーというヨーロッパの小国に転勤になり、
広島で何の疑問も持たずにのほほんと暮らしていた女の子から急に、「アジア