バディ論の感想の補足

テレビジョンで4号連続行われた『バディ論』。4人ともさまざまな切り口で語っていて興味深かったが、中でもケンティーは『バディ論』というよりはかなり『理想のグループ論』に近かったかなと。

ケンティーが「グループ」というものをどう考えているのかずっと掴めずにいるのだけど、思いもよらない形で「グループ」の話をしはじめたので驚いた。ここから先に述べることは正誤を主張したいわけではなく「恐らくこういう捉え方をしているのかな」という、あくまで私の主観の範囲内の話。

端的な感想はこれ。

これをさらに細かくしたものが下記。

ケンティーが「グループ」や「メンバー」に関する話をする際、以前はこういう視点で語っていたように思える。

(すぐ図にする課)

この矢印の部分。自分から見たメンバーひとりひとり。「自分から見た菊池」だったり、「自分から見た勝利」だったり、「自分から見た松島」だったり、「自分から見たマリウス」だったり。「相関図」を書くはずなのに「イメージ図」になってしまうのも、こう見ているのなら自然の流れかなと思う。

今回のジョンはこうかなと。

冒頭で「バディ」から「グループ」の話に転換したけど、「メンバーを見てる自分」は外に置いていて、輪の中に自分を含めていないのかなと。もちろん自分で自分自身のことも考えているから、「自分から見た自分」と「自分から見たメンバー」のことを考えているが、その二つは独立している。「グループの強化」で「今まで以上に個々の努力が必要」というワードが出てきたり、外で受けていた刺激を中で求めているのも、これなら分かる気がする。

これは「俯瞰」の図。「俯瞰」というのは高い所から見下ろすこと。「自分を含むメンバー」つまり「グループ」を「もう一人の自分」が外から見ている。分かりやすくいえば「客観的」。細かく言えば「客観的主観」かな。

冠番組で「グループでの歩み方が分からない」と吐露したことや今までのケンティーのことを鑑みると、恐らく、この視点で見るのが苦手なのだろうな。Sexy Zoneの活動を振り返ってみても個人の仕事で外で戦う機会が圧倒的に多いからというのもあるだろうけど、自分が中で過ごしている絵が浮かばなかったり、うまく描けないのかもしれない。風磨くんが「中島はやりたいことをやってくれ」だったり「そのまま好きに突き進んでほしいです」と話すのは、そんなケンティーのことを分かっているからなのではないかな。

個々の役割は決まっていないけど属性としていうならば、独創性や意外性に秀でているのはケンティー、俯瞰で捉えて現実的に落とし込む作業をしているのはさときくかな。マリはケンティーとさときくの中間で、聡ちゃんはファン寄りの視点を持っているイメージ。

誰が良くて誰が悪いという話じゃなく…というか誰にでも善し悪しはあって誰の視点も必要なもので。グループだからね。かといって、誰かひとりの意見に偏ってしまったり、任せっきりになるのは危険になる。

私が最初に「個性をつぶさないためにも必要なのはコミュニケーションだと思う」と言ったのは、目標や目的が共有され、「自分はこう考えている」という意見の認識がきちんとされているのであれば、それこそ手段や方法は人それぞれで構わないと思うから。だからこそ、互いを理解するためにも意思疎通が大切なのではないかな。

…と私が考えたところで特に何がある訳ではないのですが。私は「メンバー」じゃないのでね。ラフ会、もっとラフになるといいな~。

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