あの夏のこと

2017年よりひとつ前の夏。風 are you?。

「僕のちっちゃい頃の夢は嵐になることでした。嵐になりたくて、どうやったら嵐になれるかずっと一生懸命考えて、今、ここにいます。でもちょっと今、夢が変わって。今の僕の夢はSexy Zoneになることです。僕がちっちゃい頃、嵐になりてえなって思ったように、僕も誰かにそんな夢を与えられたらなと。夢を与え続けたいなという意味を込めて、Sexy Zoneになりたいなとそういうふうに思ってます。」

2016年に風磨くんの口からこの言葉を聞いた。

秋にはデビュー5周年、冬にはドラマ撮影と卒論の追い込み時期が重なり、また5人と過ごす春が来て、大学の卒業式のほんの数日後にSTAGEが始まり。取り巻く状況や心境が変わっていき、グループやファンに溶け込んでいくような風磨くんを見ていても、それでも私には「Sexy Zoneになること」の意味を理解できないままでいた。そもそもなること、なりたいってどういうことなんだって。

理解できないまま迎えた風 is I?。Sexy Zoneの名前を出したり曲を歌ったりしなくても、他の仲間たちに囲まれていても、あの夏の風磨くんは正真正銘、Sexy Zoneの菊池風磨だった。今までだって、「夢はSexy Zoneになること」と言う前だって、言ったときだって、なろうともがいてるときだって、ずっとそうだとは思っていたけれど。でも、もう風磨くんはSexy Zoneの風磨くんだった。

そのままあまりロスになることもなく17年の夏が終わり、秋にはワガヘヤ、ぎゅっと、冬にはふまけんツムツム、24時間テレビのパーソナリティー決定、XYZ=repainting。そして、あっという間にrepainting tour。STAGEで第一章を終えたならば、第二章になって初めてのツアー。今までの風磨くんから受ける印象とは何か違ったものがあった。

そして今回サマパラが映像になり、うれしい気持ちよりもなぜか見ることを恐れている自分がいた。いざ覚悟をして見たらそこからはあっという間で、懐かしさとともに当時のこといろいろ思い出したりして楽しめたんだけど。

それよりも、私はずっと「Sexy Zoneになる」という言葉に縛られていて、あの夏、その言葉から解放されたと同時に、きっと今までの自分が死んだんだなと思った。

今年、風磨くんの誕生日を迎えるにあたって、私は以前こう書いた。

22歳の風磨くんは、見た目も心境も環境も変化が大きかったように思える。時や成長とともに変わりゆくのは当たり前のことで、新しい何かに出会って嬉しいこともあるけど、それでも、その中で変わらないものを見つけたときに安心する自分もいる。

気付けばもう春だ。また新しい1年が始まる。風磨くんにとってこの1年はどんな年だったのだろう。私も何かこの1年で変わったのだろうか。この先の1年もきっと新しいことに出会う。その中でも本人が発するものからいろいろ感じて過ごしていきたい。

この頃はあまり実感がないけれど、今になって私も変わっていたんだと気付く。リペコンを初めて見たときの、あれ、こんなに何も考えなかったっけ?というすっきりした気持ちもそう。変化というものは怖いし、それに自然と慣れてしまうのが一番怖い。だから、私はあの夏の続きを生きていたんじゃなくて、あのとき一度死んだんだと、これからのためにはきちんと受け入れる必要があったのかもしれない。

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