ほいにはあらで

「本意(ほい)にはあらで」というフレーズがある。中高生のころ、古文の授業で出てきた。いま調べたら、伊勢物語らしい。

むかし、東(ひんがし)の五条に、大后(おほきさい)の宮おはしましける西の対(たい)に、すむ人ありけり。それを本意(ほい)にはあらで、心ざしふかかりける人、ゆきとぶらひけるを、正月(むつき)の十日ばかりのほどに、ほかにかくれにけり

いまだに覚えていて、ときどき思いだす。悪い意味で。授業で当てられて、意味を問われて、わからないと答えたとき、国語の先生に「本意、ホンイ、ホンイにはあらで、なんやから、〇〇という意味にきまっとるやろが」と、あきれたように言われたのである。

〇〇の部分がなんだったかおぼえてないのだけれど、そのときの感触、いってみれば辱められた感じがいまでも残っていて、それがぶわっとよみがえる。

なんだったんだろうな。決まっとらないやろが、って言えればよかったんだろうな。今インターネットでしらべて、現代語訳をみても正直よく分からない。

「こころざしふかかりける人」が、この女の人にうまく会えなくて(=本意ではなくて)「ゆきとぶらっていた」という意味なの?そういう訳をみたけれど。たぶん当時は、わからないなりに、女が主語で、女がそこに住んでいることが本意ではないのかと思ったんだよね。主語がおかしいって?だって二つ目の文そもそも途中で主語スライドしてるし、いったりきたりしてもそう変わらんやろ。

どっちでもいいや、まったく理不尽だと思って、それっきり。ほいにはあらで。不幸な出会いだったな。

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