【漢詩⑭】鳥たちが春の陽の枝を争う《銭塘湖春行》

 春なので、春の歌を探しました。こちらです。

孤山寺北賈亭西,水面初平云脚低。
幾処早鶯争暖樹,誰家新燕啄春泥。
乱花漸欲迷人眼,浅草才能没馬蹄。
最愛湖東行不足,緑楊陰里白沙堤。

白居易(唐)《銭塘湖春行》

 例のごとく(?)簡体字の部分は、相当する日本語の漢字に適当に置き換えました。浙江省の有名な西湖を題材にした早春の歌です。昔は銭塘湖と呼ばれていたんですね。一段目が景色、二段目が春に集う鶯とツバメ、三段目が草花、四段目が再び景色とぐるっと一周春を愛でている感じです。

 文頭の孤山というのは西湖の北側の小さな島です。当時はお寺があって湖の景色が見渡せたそうなので、そこから湖の水面と雲の脚を見渡しているということだと思います。雲の脚って、雲が地上にかかって見えるところのことらしい。まあざっくり景色ですね。結句の白沙堤は、今は白堤と呼ばれていて、孤山から西湖の東の岸に向かって湖を横断する柳並木の道です。私も昔西湖をぐるっと一周散歩したときに、湖に浮かんでいる道を歩いた記憶があります。春の陽気につられて散歩に繰り出している様子が目に浮かびます。

 私は二、三段目が特にすきです。鶯、ツバメ、楊(ヤナギ)といった花鳥風月単体だけから季語的に共感をくみ取る感性は、私はそれほど高くないので、彼らの動作をありありと描写してくれている詩の方がとっつきやすいのだと思います。争暖樹(鳥たちが暖かい陽の当たる枝を争っている),啄春泥(春の泥をついばむ=巣を作っている様子と解説文にはありました),才能没馬蹄(やっとひずめを隠すくらいまで草が伸びてきた)といった描写は、読者の心の底から春を迎える喜びを思い出させてくれますね。

 いやよく見ているなと。ちょっと散歩しただけでこれだけ春が見える眼を持っている人だから詩人なんですねぇ。こういう眼がほしいです。まったく、私の目が感じとるものと言えば、目下のところ花粉だけであります。

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