無題#1

脚本を書くとき、モノローグから始めてしまうのは癖

ちょっと考えればわかること、なんて言われても、ちょっとも考えてない事なんて幾らでもある。生返事のコンビニ店員。パズルゲームしながら前も見ずに歩いているサラリーマン。ギャーギャー野性で騒ぐ居酒屋の大学生。テレビからわかりやすい情報を受信もせずただ眺めているだけの経験は誰にでもある。CMみていいなぁって思っても、別に考えていいなぁって思ってるわけじゃない。上手いこと無意識をくすぐられて反応しているだけなんた。シュワーなんて効果音が聞こえたら暑い日に炭酸をグッと飲む事を想像してしまう。誰も論理的に考えて「欲しい」なんて思わないんだ。衝動買いなんて言葉があるくらいなんだし。考えるって事自体想像力とはちょっと遠くに在る気がする。こういうビジョンが見たい、なんて考えたモノが見える事なんてほとんど無い。文字通り思い浮かべてるんだ。浮かべてる。フワっと浮いている。プカプカかもしれない。コントロールなんて出来やしないのにちゃんと想像できた気になってる。っというかそもそも考えるって言われても。皆、おんなじように考えているのだろうか。おんなじようなビジョンが見えているのだろうか。頭の中なんて人それぞれなのに。想像だって同じだ。りんごって言われたって、きっとおんなじ形の、色合いの、大きさのりんごを想像なんて出来やしない。そもそも自分の知ってる赤色が他の人とおんなじ赤色なんて保証はどこにもない。もしかしたら見るだけで闘士が滾る血液の色は僕の思う青色の事をみんな言ってるんじゃないかって不安になる。そう考えると、顔のタイプが違うのも説明がつくかもしれない。みんなが見えてる肌色が僕の思う緑色とかなら、そりゃ顔の見え方は違ってくるだろうし。なんて、そんな事ばっかり考えてても、証明する方法なんてないから、死後の世界に期待する。僕の期待する死後の世界は過去現在未来全てのことが。地球ができてから、いやもっともっと昔。宇宙ができるずっと前から、僕が死んで僕の子孫が、まだいないけど。これからできるかもしれない僕の子孫がどこかで途絶え、星の支配者が人間じゃなくなって、例えばイカとかもっともっと先のずーっと未来の事まで。何もかも何もかもがわかる。違うなぁ。何もかもを理解する事を期待する。わからない事は何一つなく、古代のミステリーから宇宙人の真実。ずっと話してくれなかった両親の馴れ初め。それから中学の頃好きだった女の子がその時好きだった別の誰かは誰なのか。僕が就活に苦戦した本当の理由。ちょっと考えても、凄く凄く考えても決して分からない事を全て理解したい。理解できる事を僕は死後の世界に期待する。なんせ身体がなくなるわけだから。身体でモノを見るとするなら、目で見て脳で認識しなきゃいけない。身体は地球のおおよそ1分で1分しか進まないし、過去には行けない。でもこう目を閉じて昔を思い出すと頑張れば温度や匂いまで思い出される。これは精神だけは過去にタイムスリップしてると言えるだろう。だから僕は期待する身体から解放された後に期待する。その分僕は怖くなる。人に嘘をつくのが怖くなる。嘘をつかれた方が死んだ後。嘘をつかれたのを理解するんじゃないかと怖くなる。生きてる間はなんとかなっても、死んだ後に失望されるんじゃないかと怖くなる。けれどもその時は本当のことなんて言えないから、とりあえず僕は死んだら先に死んじゃった人に謝りに行って、それから三途の川で出待ちしようと思っている。

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