昨日のこと

大学も夏休みに入り、私は久々に実家に帰ることが出来た。私の実家は北陸の一角にあり、周りには温泉が多く湧いている。今日日なかなか見ることの出来ないのどかな田園風景が広がっている美しい場所。それが私の故郷である。

実家に戻りかつての自分の部屋から見た風景は上京する際に見た景色とちっとも変わらず、どこか嬉しく感じた。長きにわたる都会での生活により精神面で疲弊しきった私にはこの景色が際立って美しく見えた。こうも美しいのならばいっそ大学を辞めこの景色をずっと眺めていようとする気概さえ産まれた。枳棘は鸞鳳の棲む所に非ずと云う故事成語もあるので将来について考える際、念頭に置いておこう。

さて、私の好きな場所はほかにもある。それが実家の近くにある大きな潟である。時々、ふらふらとそこに行き1時間ほど思索に耽っていることがままある。波打ち際まで寄ると心地よい波音が耳朶をうつ。その波音が私をまた癒やしてくれるのだ。しかし、この大きな潟には良くない点があり、それは汚いのだ。ただ汚いのだ。潟の色は純情を失い、深部には泥とゴミにまみれている。上流から人が捨てたゴミが流れてきているのだろう。そこに私は昨今の人間の精神状態のように感じた。上では激しく波打ち、下ではひどく汚れている。これを救うにはまず上流からきれいにせねばなるまい。

話は大きく変わるが、幼時の頃によく読んでいた本を久々に読んでみた。読んだのは故横山光輝氏の三国志と史記であり、あの頃は何が何だか分からぬまま読んでいた節があった。しかし、改めて読んでみるとこれがなかなか面白い。義務教育で習った故事成語や詩の由来となる逸話が多々あり教養を養うには十分すぎる程である。昨今SNSで教養が教養がといった意見が散見されるがそういった人には是非、歴史物語を読むことをおすすめしたい。

さて、つらつらと実家での出来事を書いてきたのだが、やはり自然は良い。都会に生まれ、都会に育ち、都会に生きている人々がいくら自然を夢想しても自然の良さが分かるわけがない。かつての日本人は自然に従って生きてきたが、発展していくにつれ、自然と離れて暮らすようになってしまった。また、西洋の思想が入ってきて自然を自と対立する関係と変えてしまった。これは非常に良くない流れである。今一度自然とは何かと考えること、かむかふことが必要とされるのではないだろうか。

最後に最近プレイしたゲームで心に残った言葉を紹介して擱筆とさせていただきたい。

幾重にも辛酸を舐め、七難八苦を超え、艱難辛苦の果て、満願成就に至る

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