気づき待ちの間 2023.11.16

本日、お話をしました。
内容は態度が悪いやつをどう注意すればいいのか?です。
そこでの私の回答は、「それまでの人生の中で「そういう態度はやめよう」みたいな直接的な注意はもう十分に受けてきたわけだから本人が自覚して治そうとするように願うしかないっすよ。」でした。

まあ、そこでお話は終わって、少し後に反芻していると、この「気づいてくれ!」って願うっていうのをめちゃくちゃ多用してるなと思ったわけです。人に何か教えて、「じゃあ横についてるから一緒にやってみようか」って時に「次どうするんだっけ」ってアワアワしてても致命的な間違いをするか聞かれるかするまで全然動いてないなと気づきました。

この姿勢がどこ由来かを考えていくとおそらくボーイスカウトになるのかなと思います。ボーイスカウトは教えられるより自分で気づいた方が覚えが良いというスタンスが根底にある活動だと思うので(自論)、その教育を受けてきた私が繰り出す教育もまた根底にそのスタンスがある…というわけでしょう。

ただ、この「気づき待ち」は賛否あるなとも思いまして例えば、聞いてすぐに行動に反映できる人はさっさと教えてほしいだろうし、一歩ずつ踏みしめるように学んでいくので絶対的に時間がかかるだろうなとも思います。あと、黙~って様子を見てるだけというのは威圧感を感じる人もいるんだろうなっていうのもあります。

まあ、この賛否の部分については自分の中でまだまとまってないのでよくわかりません。今日のところは「気づき待ち」を私が多用してんなってのに気づいた…っていうnoteでした。終わり!チャンチャン。

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