高校時代 INDEX
めでたく都立高受験に合格した私ですが、その当時の都立高校の制度についても触れておきたいと思います。
どの学校に入れるかは運次第・・・群制度の受験
私が高校受験をした1973年当時の受験は、単独受験ではなく”群制度”というものでした。
どういうものかというと、
都内の地域をいくつかの学区にわけ、
その中で偏差値の近い学校を2~3校ずつにまとめて”群”と呼ばれるものにグルーピングし、それを受験するというものでした。
どうやって学校が決まるかというと、”群”の受験者の上から”群”の定員まで合格者を決め、その合格者を”群”の中の学校に割り振っていくという、いわば、”あみだくじ”ですね。
だから、”群”の中のどの学校に入学することになるのかは、時の運。
泣いても笑っても願っても暴れても、どうしようもありません。
合格発表は1箇所で行われて、学校毎に受験番号が発表されていました。
私の受験番号を見つけたのは3校目の発表場所でした。
3年間通うことになる高校がどこにあるのか、そのときまだ知りませんでした。呆れたもんですね(^^;)
そのときの私の気持ちはというと、目標を達成した実感を感じていたと思います。ホッとしていたでしょうね。
とにかく絶対に合格することが使命でしたから。
ダメだったら二次募集で、受験が続いてたんですから(^◇^;)
同じような偏差値の生徒を集めて、学校全体のレベルの均一化をはかる。
多少人気のない学校にも等しく入学者を送り込める。
って、まるで昔のプロ野球のドラフトが、成績が下位だったチーム順で、欲しい選手と優先的に交渉する権利を割り振っていったみたいな感じ?
チョット違うか(^^;)
言いたいのは、”群”制度というものは、役所の大人がよかれと思ってよけいなお世話で、受験生の希望とかを踏みにじる仕組みだったんじゃないか?ということですね。
その当時の合格者の中には、希望する学校に行けなくて人生変わったという人もいたことでしょう。
そのときは特に希望したわけでもない学校に行くことになった私ですが、
ここでも運命のレールは、しかるべき目的地に向かって敷かれていたのです。多分。
なんて書きながらも話をひっくり返すみたいですが、
行った先々で違う人生があったわけだし、これまでの人生と比べて良かったかどうかなんてわかりません。だってその道に進んでいないんですから。
ただ一つ絶対言えることは、違う人生を歩んでいたら、今このときこの場所でこの文章を書いている自分はいなかったということでしょうね。
間違いなく(^^ゞ
思ったよりも長くなってしまいました。
と、言うことで私の高校生活は始まるのです\(^_^)/ 続く
高校一年生 ・・・工事中
高校二年生 ・・・工事中
高校三年生 ・・・工事中
卒業 私の音楽は続いていくのです ・・・工事中
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