見出し画像

モノカルチャー、後を引く

あっ、サムネは適当です。

いよわさんの曲しか聴いてなかったあの頃から脱却し、いつしか自分にも推しボカロPというものが新しくできていました。
そんな話です。
軽めだよつまんないよ自語りだよ(コックカワサキ)

きっかけはインターネットの誰かの紹介でした。一目惚れでした。
どこが好きかと言われると、今も分かりません。いよわフォロワー的音楽でしたが、別にそこが好きだった訳ではないと思います。
いよわフォロワー的音楽なんて探せばそこら中に見つかりますし、強いて言うならその中でも異質だったのが理由かもしれません。

ただピアノを気持ち悪く鳴らせばいよわ曲ではない。計算されていないピアノならない方がよっぽど良いのでは?という意志を感じる曲だったのです。
その向き合い方に惹かれたのかもしれません。

(参考↓ ここで言っている曲は豆カカオさんの曲ではないけど、この人もすき)

好きになったのは去年の10月くらいだったでしょうか。その頃にはまだ「隠れた名曲をめっちゃ書く人」という認識だったはずです。

過程は省きますがそこからあの人はみるみるうちに知れ渡り、現在はもう「中堅P」のような立ち位置になってしまいました。
この言い方もあんまり好きじゃありませんけど。

まあ大体予想がつくと思いますが、そうです。懐古厨の厄介オタクがここに生まれてしまいました。

厄介オタクの話なんて聞いていい気持ちがするものでは決してないでしょう(それでもつい見てしまうものですが)。
かと言ってこの感情を秘めておくといつか限界が来て病んでしまう。

だから別方向で結論を出しました。



自分はいよわさんの大ファンであり、しかし全肯定はしたくなかったのでいよわさんのダメな部分に目を向けすぎました。
結果、自分のいよわさんへの愛情が自分にもよく分からないまま、「他」を切り捨てていました。

そんな人間が、その「他」に心からの愛情を向けることになったのです。
人生で初めて。

2通りの受け止め方があります。
まず、いよわさんにはとても不誠実なことなのです。お前はいよわさんへの愛を忘れたのか?
これに関しては、そんなわけないだろと胸を張って言えます。いよわさんを愛してなければあんな書き出しにしていません。
ただ愛の量は半分くらいになりました。いよわさんのツイートがなくなったことで愛せる要素が一つ消えたので…(ネタツイ日常ツイのこと)


もう一つ、間違いなくこれは心の成長なのです。
(厄介オタクになるのが必ずしも成長ではない)
あの人が有名になるまでの間、自分が出来ることはなんでもしてきました。

あの人を知って間も無い頃は、もしかするといよわさんを投影していた気持ちもあったかもしれません。有名になる前のいよわさんを見ている、というような気分で。
しかし、自分が心から支援したいと思えたのは、あの人が初めてでした。

なんせいよわさんには支援者が山ほどいますからね。いよわさんに抱いている感情も支援者それぞれで違うでしょう。
だから自分の愛情がよく分からなかったのかもしれません。それに、特別支援したいという気持ちが生まれることもほぼありませんでした。

だから「伸ばしたい!」より「伸びてくれ!」だったのです。自分から行動することをしなかったので、結果どんな曲が伸びようが、そこに参加していないために実感がありませんでした。

そんな人間が、誰かのために支援・応援しようと行動するに至ったのは、間違いなく自分にとっての成長であり、紛れもないあの人のおかげです。
人生経験として賜ったものは、到底計り知れません。

あの人がいなければ今の自分はいなかったでしょう。はっきり言うと、救われたんです。


話を戻して、厄介オタクは自分の今までの推しとの触れ合いが無下にされた感じがして厄介オタクになったのだと思っていますが(自分がそうなので)、

もしそうなら、決して無駄ではありません。

その記憶は必ず自分に還元されています。血となり肉となり残り続けています。
推しに利益を与えるだけが推し活ではないことが分かったのです。意味の無い応援などありません。自己満足の応援をしましょう。




なんてさ。違うだろ。
綺麗事ですらないじゃないか。

あの人がくれたもの、まだ返し足りないよ
でも無力で怠惰で今まで何もしたことのなかったファンには、もうどうしようもないんだ。

届かないモノに意味なんか。

だから、これからあの人に捧げる祈りが
欠片でも届きますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?