英霊の方々の思いを受け取った話
2022年7月で止まっていたままのnote。
それにも関わらず、定期的に過去記事を読んでハートマークをつけてくださる方々がおられて、感謝しかありません。
いつもありがとうございます。
昨日、Twitterを流し見していたら、たまたま「永遠の0」の映像が目に止まって、思わず見入ってしまい、久しぶりに映画を観たい衝動に駆られました。
おやびんこと百田尚樹さんの処女作にして代表作、大ヒット小説でもある「永遠の0」の映画版。
2013年に公開された映画でもう10年も前の作品なんですね。
昔一度だけ観た記憶があり、結局ラストまで謎が解けずに記憶があいまいになったままですっかり忘れていました。
プライムビデオを開いたらちょうどプライムになっていたので、観ることにしました。
あらすじとしては主人公にもう1人の祖父がいたとわかるところから唐突に始まります。
その祖父は大東亜戦争で零戦のパイロットであり、終戦間際に特攻で命を落としたことを知ります。
祖父の名は宮部久蔵。
しかし、祖父のことを調べ始めて早々に天才的な操縦技術を持ちながらも、生きることにこだわり「海軍一の臆病者」と呼ばれていたことも知ってしまいます。
それなのになぜ祖父は特攻を志願したのか、その謎を解く物語です。
小説が発行されたのは2006年なので、26歳という設定の主人公はちょうどわたしの世代、つまり戦争を知らない子どもたち。
その当時のわたしも歴史上の戦争は知っていても、実際の戦争も、国のために戦ったわたしのおじいちゃんの気持ちも、なにも理解していませんでした。
そんな主人公が戦争のことについて深く理解したとはっきりとわかるシーンがあります。
特攻は自爆テロと同じ
友人のこの言葉に怒りをあらわにして席を立ち、勢いよくその場を去るのです。
自分だって友人と同じ、ついこの前まで戦争を知らなかった。
知らないだけじゃなく、自分は進路も決まらずフラフラしてる。
(この当時の若者は就職難民も多かったのでそれも仕方がないのですが。)
同じ歳で国のために命を失った祖父と自分を比べて情けなさと悔しさといろんな感情が入り混じった故の怒りだったと思います。
このシーンで初めてわたしに信号が来ました。
探ったら、英霊思凝霊の方々からの信号でした。
わたしはまだ思いをうまく受け取ることができないのですが、それでもわたしを通して思いを聞かせてくださいと伝えてみたら、なんとなく伝わってきた言葉がありました。
かつて、戦ったのは、自分の思い、誠の思い
洗脳ではないということですよね?
はい、
死ぬことが生きること
(たぶん、死ぬことと見つけたり?みたいなことかも)
そんなお言葉を感じました。
生きて帰ってきてほしいと素直に願えるのが当たり前の価値観の中で育ったわたしにはなかなか受け入れるのが難しい思いでした。
最後にあれだけ生きることにこだわった宮部久蔵が最後に零戦に乗り、これまで見せることのなかった数々の技を繰り広げながら敵の空母に特攻していきます。
「なぜ球が当たらないんだ?!」と叫ぶアメリカ兵のセリフで技術の凄さがわかります。
宮部の顔が画面いっぱいに映り、どんどんこちらに迫ってきます。
そして最後に口角を上げてニヤリと不敵な笑みを浮かべながら終わるのです。
この久蔵の笑みに反してわたしは涙が止まらず、しかしなぜ自分が泣いているのかわかりませんでした。
物語を通してほぼほぼ泣いていたんですが、それはわたし自身が感動していたから。
しかし、最後のこの笑みのシーンだけは自分でもなぜ涙が出るのか不思議でした。
「ああ、英霊の方々が泣いてるんだ。」
そう感じました。
観終わってすぐ、またまたタイミングよく大好きな岡田斗司夫さんの永遠の0の解説動画を見つけてしまいました。
岡田さんの解説を聞き始めたら、また涙がボロボロと溢れてきて、わたしの中で深くうなずく人もいます。
それでようやく一度も泣かなかった英霊の方々がなぜ最後の最後で涙したのか理解することができました。
やはり、漢だ〜
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